私は
神社などでのコンタクトを
ほとんど、いや全くだろうか
ここに書いてこなかった
初期はなんかそれっぽいことをやっていかも
なんか恥ずかしい笑


でも今やらない理由は
軸がブレるから
がたぶんしっくりくる

それをしたい方々は、それをしているだろうし
例えばコンタクトがあって
本当に必要だと思わない限り、シェアしないし
そもそも、誰かに向けて受け取ることをしない


チャネリングというやり方?や瞑想もほぼしない
それに、どこでもコンタクトはできるし
そもそもみんなが繋がっている

もちろん、困ったらどこでも神頼みはするが笑






どれが正しいかの話ではなくて
自分がどれをしたいか
自分に合うやり方があるから
どう生きていたいか
でそれぞれが選択している結果だと思う

それに繋がることが私には当たり前すぎてわからなかった
もちろん多分に私の魂のカルマが
良くも悪くも働いている結果だと思っています。








本題です。





たまたま次の仕事まで時間があり、東京の川沿いの古い街を歩く機会があった

神社などは、どこでも見かけるとよく立ち寄らせてはいただくのだが


そこは、通りの先から見てもなかなかに大きく立派な神社でまた古さも感じた
ひとり出てはまたひとり入るというように
どうも近所の方々らしき人の出入りが見えた

地元の信仰があるところかーとなんだかほっこり
まったくの通りすがりがお邪魔しますと入らせていただき
なかなか納得、かなり威厳のある物々しい感じの
ずいぶん古くから慕われて祀られてい男性性の強い立派な神さまだと感じた


なるほどなるほどと感心していた
さすがにここら辺は古くから栄えた街だから
こんな物々しい神さまがいるんだー
あっ私はよそ者です
通りすがりに寄らせていただきました
なんて思っていたら
言葉が降りてきた












すごい、ここまで書いて
いつも覚えていた一言が出てこない。。。




残さない方がいいのかな
一旦寝よう。




続きは4/15に書いています。
その夜、ふと目が覚めて問いかけてみた


〝ここに言葉には残さないので、思い出させてほしい〟



すると、すぐに思い出した。
そうだ。
そう言われた。





内容は約束したので伏せるが
男性性の強い彼の言葉は
私(人間)に詫びを入れるものだった





その時初めて
私は人間でなくても、まちがうんだねと思った



彼を頭から否定するつもりも
侮辱するつもりもない
彼はその時代、その世界に必要なことをしたし
彼自身の経験として必要な学びのなかにある



日本にいる神さまは人間の魂が神格化したものとも聴いたことがあるが
その神社はまさにそうだったのかもしれない
(祀られている方などは、見てきませんでした)






私の受け取り方です



神々も世界をより良くなるはずだと生きていますが、時としてそれが難しくなる時もあり
私たちのような限りのある肉体の存在でも
力を必要とすることがあるのだなと思いました

後から知ったのですが
この移行期は神々も変わるとある本に書いてあり
それもこのことを思い出すと納得していました




人間の目から見る時間はまるで
長く見える
または一瞬の出来事でも
大いなる存在からは
チャレンジのパターンの中でしかない





私たちはそこに今います
この意識が存在すると言うことは
大いなる存在のひとつの視点なんです




知恵をみんなで使いたいなと思いました。










読んでいただきありがとうございます。