もうすぐあの時間になります。


14時46分18秒


デイサービスでレクリェーションのリーダーをしていたあの日。

『じゃぁおやつの時間になるので移動しましょうか!』


と言った直後、経験したことの無い揺れに襲われました。



あの頃の記事がないか探しましたが、あったのは2011年8月以降のものでした。



例えばこの記事。今思うとご家族が被災時の心配で入所に至ったのかもしれないな…と、読み返して思いました。


あの地震でライフラインが3日復旧せず不便だったこと

情報が入らず、届けられた新聞で津波のことを知り心が苦しくなったことを思い出します。


私の住む栃木県真岡市も震度6弱。


塀が倒れ地面はうねり割れ、ガソリンは手に入らなくなり生活は一変しました。


地震直後、息子の安否確認前に職場の利用者さんの送迎や入所者さんのベッドをホールに集め、
電気も街灯も信号も動かない中での送迎はいつもの3倍時間がかかりました。

一人一人家の中の安全確認をしながらおうちに戻ってもらう。



全員が帰宅したのは真っ暗になった後でした。


急いで家に戻ると息子の姿がない!

どこ!?どこ!?と探していると、私の車を確認した息子が『友だちの家に一緒にいさせてもらった!』と帰ってきました。

ほっとしたのもつかの間、家にある乾電池を持ってもう一度施設へ。
電気がない中でのオムツ交換や夜間対応などの為に換えの電池をわたしにいきました。




あの日を忘れることはありません。


あの光景も、暗さも、みんなで寄り添った時間も

あの新聞の写真も…



自然災害ではありますが、今のコロナにせよ全ては環境です。

今一度自分に出来ることを振り返りたいと思うんです。


子供の頃、夏の暑い日に夕方夕立が降っていたあの頃にはもどれないかもしれないけど、地球がこの先も住みやすい場所であるように自然と共存する生き方を選んで行けたらと思います。



この震災で亡くなられた全ての皆様のご冥福を、ご家族を亡くされた全ての皆様の幸せを祈ります。