◎前回のお話



息子も退院し、我が家はいつも通りの生活を取り戻した。


私もやっと自宅に落ち着くことができた。



朝、旦那を仕事に送り出し家事をしていると


【ピンポーン】と、玄関のチャイムが鳴った。



『はーい』玄関を開けるとそこには祖母が立っていた。



『あれ?ばあちゃんどうしたの?』


『ひ孫の顔見に来た。』


そう言い家の中に入る。




1、2時間話をすると『じゃあね』と帰っていく。


また次の日も、そのまた次の日も同様にやってきた。


我が家は3階建ての3階であり、もちろエレベーターなどない。



膝の悪い祖母が毎日3階まで上がって来ること大変だろう。




私は母に連絡をした。


『もしもし、最近毎日のようにうちに来るんだけど家での様子はどう?』


『少し落ち着かないかな?』



祖母は祖父が亡くなってからまだら呆けのようになることがあった。



その症状が見え始めるとまず落ち着いて家にいることが出来ない。


朝から晩まで誰かの家に行っては夕飯時まで話して帰ってくる。


母は近所の人から後で苦情を言われる。



元々インドアな生活をしている祖母が毎日のように歩き出すと、今で言う『認知症』の初期段階だった。



そんな生活が数日続き母から電話が入った。



『ばあちゃんちょっと入院するから。』



あー…やっぱりダメだったか…



夜中にとうとう末期症状がでてしまった。



押し入れの荷物を全部出し、意味不明なことを叫びながら歌をうたったり洗濯機を回し出したりと手がつけられなくなる。


そうなると母が精神科に連絡し入院させてもらうのだ。



昔は介護施設なんて今ほど浸透しておらず、症状が酷くなると精神科のお世話になるしかなかった。



祖母が入院すると汚れものの片付けは家族がしなければならなかった。



母だけでは大変なので旦那に理由を話し病院に付き合ってもらった。



精神科は立派な内科の病院の裏手にあり、ずいぶん昔に建てられたのだろう…



スリッパに履き替え廊下に立つとギシギシと床がきしむ音がした。



1階は男性の病棟。


祖母は2階の右奥の鍵のついた病棟にいた。



入院後すぐは落ち着かず叫んだりする行動も見られたが、薬で調節すればすぐに落ち着く。


看護師さんが面会室まで祖母を連れて来てくれた。



『少し落ち着いた?』



『うん。ごめんね。こんなとこ来させて…』




『いいよ、いいよ。ばあちゃんが楽になったらそれでいいよ。』



祖母は旦那と息子に『ごめんね。ありがとう。』と言い、切なそうな顔をしながら病室へと戻って行った。




私は祖母の名前の書いてあるポリバケツの中から洗濯物を取り出し持ち帰った。


排泄に失敗してしまったのか汚れた下着もそのまま入っている。



私はそれを手袋をつけて洗い漂白し洗濯してから干す。



母はこれをずっとしてきたんだなーと関心した。



それからしばらくこの生活が続いた。




この時何よりありがたかったのは旦那の存在だった。


旦那は全く気にせず洗濯も面会も付き合ってくれた。



『汚い』なんて一言も言わなかった。



いろいろあったけど、やっぱり一緒になって良かったな…


そう思うようになっていた。