電車やバス、外出先でお腹を崩すようになり、
外出先で食事したあとは吐くようになりました。
朝起きることができなくなり、会社に遅刻ばかりするようになり
そんな自分が嫌になって化粧することも、おしゃれすることもやめました。
すっぴん、毎週同じ服のローティションで出社するようになりました。
お風呂にも毎日入れなくなりました。
会社は見かねて残業を減らしてくれましたが、それでも体調が回復せず、仕事を辞めました。

私はずっと「何で今まで普通にしていたのに何故できないのか?」「私はなにを間違ったのか?」とずっと考えて泣きました。
そんな私を見て母親は「それはお前が弱いからだ」と言いました。
それを聞いて私は「そんな風に育てたのはあんただ」と反論しました
母親は「子供なんて勝手に育つ」と言い放ちました
あれだけ"育てやったのだから"とずっと言い続けてきた親が、自分の思い通りに育たなかったからと立場を放棄したのです
なら子供を生むのは親のエゴだな、勝手に生みやがってと言ってやりました(笑)

それからはもう関わらないでくれと言って必要以上に話していません。

それからまた考えたのです、仕事を辞めて半年経っても症状が回復しない理由は"育った環境が問題なのでは?"と

私の父親は子供がキライでした
子供というか…自分の子供がかもしれません。
父親が休みの日寝ている側で弟と一緒に追いかけっこをして遊んでいました、
父親の足に躓いて私が転んだ時、私は父親にうるさいと殴られました。
記憶に残っているのは一回ですが、それ以降父親の機嫌を損ねないように、父親の前ではずっと気を張っていたのを覚えています。
そんな父親が親戚に生まれた赤ちゃんがグズっているのをあやす姿を見て驚いている私に母親は「パパは昔から子供好きだよ?」と不思議そうに言ったのを今でも忘れられません。
当時17歳だった私は悔しいのか、意味も解らず泣きじゃくりました。

母親は怒ると必ずひっぱたく人でした。
反抗した時には蹴られもしました、だから私はよく家出する子供でした。
警察に捜索願いが出されたこともります、
ですがやはり転勤族の子供には親元しか居場所が無いため最後には自分で家に戻るしかありませんでした。
ですが、母親には反抗できました。
ここは父親と違うところです。
母親は怒ると大抵「お前が悪い」「お前が弱いからだ」「私も昔はそうだったが自分で変わった」と言いました。
そして私がやりたいと言ったこと(創作・芸術分野の職)には大体「そんなムダなことの為にお金は使えない」と言い自分がしたかった事を勧めてきました…
小学生の頃から何か絵や文章で表彰されても一切誉めてもらえることはありませんでした。
ここで私が母親のやりたいこと(看護・教育分野の職)を受け入れられていたらまた違ったのかもしれません、
が、私には魅力的に感じられませんでした。
高校の時デザイン関係・アニメ関係の専門学校へ進学したいと言ったら"資金援助は一切しない"と言われ高校を中退したいとサボり続けたものです(笑)
結局は卒業後にしっかり就職しました。
このことについても母親曰く「本当にやる気があれば自分で何とかするはずだ」との事。

職場ではそれなりに頑張っていたと思います。
人付き合いは得意ではありませんでしたが、人が嫌がる仕事は積極的にやりましたし、残業してでも自分が請け負った仕事はやり遂げようと努力しました、上司から評価して頂いたこともあります。
ただ、今思えばそれは自己犠牲をして自己満足をしていただけなのかもしれません。
私は仕事が上手くいかなかったり、怒られた際「自分が悪いのだから私が何とかしなければならない」と無意識に思っていたのかもしれません。
たからなのか人を手伝うことは出来ても手伝って貰うのは苦手です、
その為1人で最後まで残っているなんてことは学生時代からありました。
ある上司は責任感があると評価してくれましたが、別の上司はコミュニケーション力がないと注意してくれていました。
今思えばその時に気付けていればと思います。

恐らく私は無意識に何事に対しても「自分が悪い」と思ってしまうクセが付いているのです。
だから誰にも相談できない、唯一話した母親は常に「お前が悪い」とその考えに拍車をかけるのです。
私は子供の頃転勤族で何度も転校しました。
その為幼なじみなる方が居ません。
親や弟以外に幼少期からの付き合いがないのです。
学生時代は周りに馴染めませんでした、
イジメや大人への反抗に一緒になって荷担出来なかったからです。
社会人になってからも自分という人間をさらけ出すことは恥ずかしいと思っています。
だって「私が全部悪い」から。

これに気付いた時気持ちがスッと楽になりました、"これは問題を親のせいにして逃げているのでは?"という考えも浮かびましたが、
では「自分が悪いという考えは何時から始まったのか?」と考えるとやはり行き着くのは親なのです。

ただこの体験は悪い事だけではありません。
転勤族だった私は色んな考え方や人と触れ合って一ヶ所に留まるよりたくさんの感覚がある事を肌で知っています。
子供には体罰ではなく、言葉で悪い事を教え考えさせてあげることが必要なのを学びました。
人に受け入れてもらえないこと、人が受け入れられないことの辛さを知りました。
きっとこれはムダにならない財産です。
当たり前の事かもしれませんが、私は当たり前と思っていた事で身体を壊しました。
無意識に我慢していました。
もし同じように苦しんでいる方がいるのであれば少しでも元気付けの後押しになれればと思います。