私が医療リンパセラピストを目指した訳① | lympa-manのブログ

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最近はリンパ浮腫に関連した多くの仲間や知人、新たな出会いがあったりします晴れ

その中でやはり、私がどうしてリンパセラピストの道を志したのか?という疑問。よく聞かれます
目

私には4つのエピソードがあるので、初対面の方に話すとなると長くなるので全部を語れ無い事がありまして、何だかモヤモヤしてしまう事があります。なので今日は少しずつお伝えしていきます。

初めてリンパ浮腫の方に出逢ったのは、今から12年くらい前ですかね。当時看護師として病棟勤務をしていまして 膀胱がんで手術をしており、肝臓に転移があり、私の勤務する病棟へは放射線療法を受ける為に泌尿器科から転棟になったAさんという男性の方がいました。紳士的で家族思いの憧れとするお父さんって感じの方です。放射線療法が進むにしたがい、両脚にむくみが生じて来ました。本人は「何とかならないものなのか。とにかくむくみを何とかして欲しい」と強く話していました。安楽まくらという大きな枕で脚を上げる事くらいしか出来ない自分達。。もどかしい思いの中、徐々にターミナル期に入っていきます。本人とは意思疎通が出来なくなっていました。ある先輩が包帯で圧迫してみようとう計画を立てて、先輩と一緒に見よう見まねで包帯を巻いて見る事に。私は包帯なんか巻いたことが無かったので、怖い気持ちになった事を今でも思い出します。包帯の効果は抜群で脚は細くなり家族もとても喜んでいました。しかし今度は上半身が浮腫むようになり悲しくなった事を覚えています。
脚に関しては本人が希望する細くできましたが。。上半身が浮腫んだまま最期を迎える訳です。

本当にこのケアでよかったのかなあ。もっと根拠があって安全で安楽なケアはないものかなあ。とも思いました。いつかしっかりと勉強をして看護ケアに生かしたい。Aさんのあの「とにかく何とかして欲しい」という言葉を大切にしたいと思いました。

まずこれが初めのキッカケになります。

長くなるので次回は2つ目のキッカケを書こうと思います
シラー