子どもが小学生?くらいに出会った友達。

ご実家には行った事はないけど、私がシングルで友達もいない時にたくさん仲良くしてくれた友達。

同じ誕生日だね♪

っていつも毎年おめでとう!って言う中だった。

なかなか会えなくて最後に会った彼女はとても年齢相応には見えなくて

おばあちゃんみたいに痩せて、歩くのも大変そうだったんだよね。

でもそれでも、元気大丈夫!

って。言ってて。

入退院繰り返してたんだけど。

医者の言う事聞かないこともあって、薬も勝手に減量して。

間質性肺炎と、敗血症と・・・・・色々元気になりたくて、色々なものに手を出したりして。

そんな事よりきちんと薬を飲んだ方がいいんだろうなって自身も難病指定の病気を2つ持ってるから、

きちんと飲みなよーって言ったけど。

人によって信じられるものもきっと違ったんだろうな・・・・・

薬がいらない人になりたい。

入院なんてしたくない。

生きていたい。

色々理由は合ったんだと思う。

周りの身近な友達が亡くなる度に、身近な私と同じ難病指定の友達が亡くなる度に思う。

 

きちんと薬を飲んでいたんだとしても、朝起きたら息をしていない時もあるんだって事を考えなきゃいけない

病気なんだって。

 

死を意識して毎日を生きる。でもなんのために生きるのかを私は見つけたから、それを死ぬまで

やり通して毎日を悔いのないように生きていこう。

 

改めて再認識。そんな再認識なんて出来ないほど、同じ病気の友達が元気だったらいいんだろうな・・・・・

って思うけど、現実そう言う事もある。

 

それは受け止めなければならない事で。

 

現実から逃げていたわけではないけど、自分には刺さる。友達の死。

悲しい。悔しい。

せっかく赤ちゃん授かれたのに・・・・・・子供が成人するところも見れない・・・・・

そんな友人に比べたらきっと私は全然いいんだと思う。

 

子どもが成人するところも、就職が決まって元気に旅立つところもきっと見れる。

高校受験もなんだかんだめんどくさいと思いながらも一緒に未来をかなえようと前に前進する姿を見れる。

 

きっと当たり前の事なんだろうけど、当たり前なんて何一つないんだって。

悲しい事や、嫌な事ってたくさんあるんだろうと思う。

でも、それでも生きてるから反省も出来るし、人に伝える事も出来る。

自分が生きてきた人生が素晴らしかった。生きたって思える事があるって

当たり前でも、なんでもないんだって。改めて思った。

 

子どもの障害に向き合えない事実があったとしても、自分が今精神的に追い込まれていようと

相手がいる幸せだったり、心配をしてもらえる誰かが居る事だったり、子供に障害があったとしても

その子が生きている。その子の成長を見届ける事が出来る喜び。

 

どれもこれも素敵な事で、当たり前なんてないんだって。

 

本当に心からそう思う。

 

自分の現状を受け入れて、色々な事にチャレンジをして、生きて自分の生きる意味を

生きているという事だけで恵まれているって。だから、いつしか果てる自分の代わりに

未来に担う子供達が困らないように、困りづらさを感じないように。命をかけて伝え続ける事は

絶体に辞めないって思った私でした。