2015年も9月に入り、季節は夏から秋へと移りつつあります。


 トンボの世界も「シオカラトンボ」から「アカトンボ」へ変わる季節を感じる瞬間です。


 そこで、今回は、前にしか進まないことから「勝ち虫」とも呼ばれている、縁起のいい虫「トンボ」の歌と話を、この夏撮った写真と一緒に紹介したいと思います。



 まず「トンボの抜け殻」の写真をご覧ください。

 これは、公園の池のほとりの木に残っていたものです。

 セミの抜け殻はよく見かけますが、トンボの抜け殻を見たのは、私は初めてです。


 ぬけ殻の大きさは、約5cmほどもあったので、もしかしたらオニヤンマかなと思っています。

 ちなみに、トンボは「不完全変態(サナギになって一旦活動停止せずに、幼虫からいきなり成虫になる)」ですので、水中からこの木に登って、1日で脱皮して大空へ飛び立ったのだと思います。



<写真:トンボの抜け殻>


トンボの抜け殻


 トンボは、「蜻蛉目(せいれんもく)トンボ科」の昆虫で、英語では「dragonfly, damselfly」と言います。

 世界では約5000種類、日本には200種類がいるといわれています。


 とんぼの歌と言えば、1番に思い出されるのが、童謡「赤とんぼ」です。


♪「赤とんぼ」(作詞:三木露風、作曲:山田耕筰)♪

 

1 夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのは いつの日か


 山の畑の桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか


3 十五で姐(ねえ)やは嫁にいき お里の便りも 絶えはてた

4 夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ 竿の先 ♪



 夏から秋へ向かう今の季節に、ぴったりの歌ですが、実はこの歌にはこんなエピソードがあります。


 「赤とんぼ」を作詞した三木露風(みきろふう 1889年~1964年 兵庫県出身)さんは、5歳の時に両親が離婚し、母親とは生き別れとなりました。

 その後は、祖父に養育されることになったのですが、実際は「子守り」の奉公に来た少女(姐や)に面倒を見てもらいました。



例えば、1番の「負われてみたのは」とは、子守役の「姐(ねえ)や」の背中におんぶされて肩越しに見た夕焼けという意味です。


 「赤とんぼ」の歌詞は、1921(大正10)年、三木露風が32歳の時に発表されていますので、20年以上も前の、幼い日に見た「夕焼けと赤とんぼ」を、懐かしく思い出して、頭に浮かんだものを詞にしたことになります。


<写真: シオカラトンボ>





  2枚目の写真は、シオカラトンボです。

 私の中では、このトンボが夏の象徴で、麦わら帽子をかぶって、夏休みに網を持って走り回った思い出があります。

 このトンボが、「アキアカネ」(赤とんぼ)に変わると、秋の匂いを感じるようになったものです。




♪「とんぼのめがね」 (額賀誠志作詞・平井康三郎作曲)♪


とんぼの めがねは
水いろ めがね
青いおそらを
とんだから とんだから

とんぼの めがねは
ぴか ぴか めがね
おてんとさまを
みてたから みてたから

とんぼの めがねは
赤いろ めがね
夕焼雲(ゆうやけぐも)を
とんだから とんだから ♪


 子供の頃、この歌詞を聞いて、確かめるために「トンボの目」を見て、その大きさに驚いた記憶があります。

 トンボの目は、それぞれにレンズを持つ小さな目(個眼)が、約2万個も集まった「複眼」と呼ばれる大きな目で、270度の方向を見ることができると言われています。


  「とんぼのめがね」の作詞者、額賀誠志(ぬかがせいし 1900年~1964年、福島県出身)さんは、現在の福島県いわき市の生まれでした。


 額賀さんは、東京の日本医科大学を卒業後、当時、無医村だった福島県浜通りの広野町(当時は広野村)で内科医として開業します。

 その後、太平洋戦争が起き、敗戦となり、日本は貧困と窮乏の中にありました。


「せめて子供たちの心には、愛情の灯をともしたい」と、額賀さんが作った童謡が「とんぼのめがね」です。

 福島県広野町では、「こどもの目をもったお医者様」として、額賀誠志さんを親しみを込めて呼んでいます。


 2011年3月、広野町も「東日本大震災」の甚大な被害を受け、福島県浜通りの「東京電力福島第1原子力発電所」では、炉心融解の重大な事故が発生しました。

 もし、今、額賀さんが生きていたら、どんな童謡を作って、福島の子供たちを応援してくれるのか、知りたいような気がします。



<写真 ハグロトンボ>




 


 3枚目の写真は、ハグロトンボという種類のメスの写真で、文字通り真黒なトンボです。


 ここで、「日本のトンボの歴史」について、紹介します。


 日本のトンボの歴史は古く、古代は「秋津(あきつ)」と呼ばれていました。


 奈良時代の720年に成立した「日本書紀」には、初代・神武天皇が高い山から日本の形を見られて、「秋津(あきつ=とんぼ)のとなめ(交尾)の如し(形だ)。」と言われたとの記述があり、日本の国を、「秋津洲(あきつしま)」、つまり「とんぼ島」とも呼んでいました。


 戦国時代には、前にしか飛ばないとんぼは「勝ち虫」と言われて、縁起のいい虫とされました。

 豊臣秀吉の槍には、「とんぼが止まると真っ二つになるほど鋭い」という意味で、「蜻蛉(とんぼ)止まらず」と名前が付けられたという伝説もあります。



 最後の写真は、「とんぼの心中」の証拠写真です。


 この夏、水路で青と黄色のイトトンボが2匹、交尾をしながら飛んでいるのを見つけました。

 何気なく見ていると、水面におしりを入れて、卵を産み始めました。

 そこまでは、珍しい光景ではありません。


 でも、次の瞬間、私は我が目を疑いました。

 何と、2匹がつながったまま水中に入っていったのです。

 「そのうち、出てくるだろう。」と思って待っていましたが、いくら待っても出てきませんでした。


 2匹のイトトンボは水中で卵を産んで、そのまま「心中」してしまったのでしょうか?

 すごく、ショックを受けて、しばらく放心状態でした。

 なぜか、福井県での「赤とんぼ博士」が、教え子を殺害した事件を思い出してしまいました。


 その時の、水中の2匹のトンボのようすを撮ったのが、次の写真です。


<写真: イトトンボの心中?>





 最後に、「とんぼが新幹線に勝った話」をします。


 2015年3月、「東京~富山~金沢」を結ぶ北陸新幹線が開通し、大ブームになりました。


 この北陸新幹線は今後延伸し、2034年までに福井県敦賀市へ、そして最終的には大阪までつなぐ予定になっています。


 この延伸ルートのうち、「南越~敦賀」ルートが、2012年8月末に発表されました。

 ところがこの中に、「中池見湿地」(なかいけみしっち 福井県敦賀市)という、世界的にも貴重で「ラムサール条約」に条約湿地として登録されている場所が入っていました。

 市民や環境団体から、ルート変更を求める声が上がりました。


 約25ヘクタールの「中池見湿地」は、3000種類もの生物が生息し、中でもトンボは72種と国内最大級の種類が確認されている、貴重な湿地です。


 市民や環境団体、国際団体からも強い「ルート変更」の運動・要請があり、ついに2015年5月にルートが変更され、新幹線が湿地の中を通るのが回避されることになりました。


 「とんぼが新幹線に勝った」のです。

 昔から「勝ち虫」と呼ばれたトンボの本領発揮というところですね。



<一句>

 

 夕焼けに 飛行機雲と 赤とんぼ





 2曲目のトンボの歌として、「とんぼのめがね」の歌詞を紹介します。