北国では、まだまだ大雪が続いています。
一方、南の各地方からは、梅の便りが聞かれるようになりました。
もうすぐ春ですね。
まず、最近撮った梅の写真をご覧ください。
今回は、梅の季節や受験シーズンにふさわしく、「飛梅(とびうめ)伝説と天神さま(菅原道真)」について、ご紹介します。
学問や受験の神様として、広く信仰を集める「天神さま」こと、菅原道真(すがわらのみちざね)は、今から1100年以上前の平安時代、承和12(西暦845)年6月25日に、現在の奈良県奈良市菅原町周辺で生まれたと言われています。
小さい頃から非常に頭がよく「神童」と言われ、朝廷で異例の出世を続けました。
そして、昌秦2(899)年、54歳の時に右大臣に就任しました。
ところが、56歳の時、道真の出世をよく思わない名門・藤原氏の左大臣藤原時平の讒言により冤罪をかけられて、九州・大宰府に左遷され、延喜3(903)年2月25日、失意のうちに57歳で大宰府の地で亡くなりました。
道真の死後、都では政敵・藤原時平が39歳の若さで病死したのをはじめ、皇族や貴族が相次いで亡くなりました。
さらに、延長8(930)年には、朝議中の御所に落雷があり、多数の死傷者が出ました。
これらのことは、無実の罪で大宰府で憤死した菅原道真の霊の怒りであると信じられるようになり、道真の死後20年後に右大臣に復し、さらに70年後の993年には正一位太政大臣が贈られました。
さらに、都の北部(京都市北野区)に北野天満宮が奉納され、菅原道真は神として奉られるようになりました。
以後、「天神さま」と言われ、学問や受験の神様として、全国に天神社や天満宮が建立され、庶民にも信仰されるようになりました。
<写真:菅原道真と伝えられる絵>
菅原道真に関しては、多くの伝説・逸話が残されていますが、中でも有名なのが「飛梅伝説」ですので、紹介します。
いよいよ九州へ左遷されることになった菅原道真が、京都の自宅の庭で大切に育てていた、梅の木、桜の木、松の木に、別れを惜しみました。
この時に、梅の木を前にして道真が詠んだ歌が、かの有名な短歌です。
「 東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」
およその意味は、「春を呼ぶ東風が吹いたなら、梅の木よ。あるじの私がいなくても、春を忘れずに花を咲かせるんだよ。」です。(注:「春な忘れそ」は、本来は「春を忘るな」であったという説が有力ですが、今回は前者をとります。)
さて、道真が 九州・大宰府に行ってしまったあと、3本の木は寂しくなり悲嘆にくれます。
まず、桜の木は、悲しみのあまり、やがて枯れてしまいました。
次に、松の木は、道真を追って空を飛びますが、摂津国八部郡(今の兵庫県神戸市)で力尽き、地上に落ちて、ここで根づきます。
最後に残った梅の木は、見事に空を飛び、一夜のうちに、道真がいる九州・大宰府の地に降りて根を張ります。
この梅が今も、大宰府天満宮(福岡県)に咲く、「飛梅」だと言われています。
<写真:大宰府天満宮(福岡県)の飛梅>
菅原道真の誕生日が6月25日で、命日が2月25日であることから、毎月25日は「天神さまの日」と言われ、祭や市が天満宮や天神社で開催され、庶民に親しまれています。(たとえば、落語の「初天神」は、1月25日の祭のことです。)
菅原道真の死後、千年以上たった今も、毎年、命日の2月25日には、京都・北野天満宮で「梅花祭」が行われ、受験生をはじめ大勢の人たちがお参りに来られます。
菅原道真が願ったとおり、春を告げる東風が吹くと梅の花は咲き、人々の心に道真のことを思い出させます。
短歌 : 東風吹かば 人の心に 梅は咲き 願いをかける 天の神様