今日の午後2時46分で東日本大震災から13年が経つ

震災当日、山形県新庄市のルートインホテル9階の部屋で3時から使用可能となる大浴場に入浴するまで、ベッドでうたた寝中であった

強い揺れで覚醒し部屋の何がが落ち始め、長い横揺れで建物が倒れるかもという恐怖を感じた

自分は目覚めておらず、これは夢なのだとも思ったが、時間と共に現実だとわかった

揺れが収まると女性社員が客の安否確認で駆けつけてくれた

山形県ほ殆どが停電になり津波等の映像はテレビで見れなかったが持参のポータブルラジオからの音声に耳を傾けて被害状況に戦慄した

弟が単身で仙台の官公署に勤務していてメールしたら津波により車が流されてるとのこと

その後、連絡できなくなり、不安が続いた

夜は食堂でローソクの下、おにぎり他の夕食を摂る

隣のテーブルの女性の話しが聞こえ、彼女が新潟市豊栄の人だとわかる

私は電車で当地に来たため、新潟に帰り14日から石巻市に災害支援に行く命令を受けていたので帰宅の手段を考えあぐねていた

運転に不慣れで方向音痴の妻に当地まで迎えに来てもらうことは無理だと思っていた

彼女は仕事で一人電車で来ており、明日、息子が車で迎えにくるということなので、お願いして豊栄駅まで乗せてもらうことになった

今思えば観光地でもない新庄市の一ホテルの多くない宿泊者のなかに新潟市、それも自分と同じ北区の人がいたということは、今考えれば非常に幸運だったといえる

ラジオを聴きながら移った一階で不安の一夜を明かす

翌朝、大震災を伝える新聞の号外が配られた」