大震災から今日で1ヶ月経ちました。
地震よりも怖かった大津波。
余震もまだまだ続いていて、今日も津波警報が出た時も思わず「いい加減にしろっ!!」とブチ切れてしまいました(+_+)
怒りのやり場がないですよね(´A`)
冷たくて固い床から薄い毛布になって、布団が来て、水が来て食料が来て…
それでもまだ同じ市内でも断水や停電が続いている所もあります。
結局あたしは家も津波で流されて車も水没して、仕事は始まってるけど保育所が機能してないから働けない。
逆に家はあるけど仕事が無くなった人、車だけ残った人、何もかも全部無くなって家と車のローンだけが残った人、家族を失った人…
でも、家が残っても1階は浸水して泥だらけだし家具も家電も壊れてとてもじゃないけど住める状況じゃないっていう人も沢山います。
自衛隊が頑張って道を作ってくれたので、借りた車で行ける所は行ってみました。
沿岸の家と沿岸から最高で5キロくらいの所はほとんどがれきの山か床上浸水で、津波で流されておもちゃみたいにひっくり返って積み重なった車、田んぼや街中にまで流されて来た船、燃えた小学校、倒れた石油タンクや陥没しまくった道路等、まだまだいたる所にあります。
あたしの家があった所は津波でさら地になり跡形もなく、それでも何とか写真の1枚でも出て来ないかと探しまくりました。
昨日やっと家から約1キロくらいの所にチビ達の自転車を発見して地震が来てから初めて涙が出ました。
そして何故かタコ焼き機と買ったばかりのテレビのリモコン(笑)
また時間を見つけて探してみようと思います。
津波にのまれながらも走って逃げたメガネ。
逃げている時に後ろで自分の車にプロパンが倒れてガス爆発し、家が津波でバタバタと倒れて来て、人が乗ったままぐるぐる回転しながら流されていく車や、自分のすぐ後ろで波にのまれて消えてしまった大勢の人達、沢山の亡くなった人、チビ子くらいの助からなかった子を安置所に運ぶのを手伝わされたり、色々あったそうです。
テキトーでムカつくと思ってたけどやっぱりチビ達のパパで、チビ達の顔も見ずに死んでたまるかと、4日間も引かない水の中を歩き続けて、あたしとチビ達、お姉さんのいる避難所を探して辿り着いてくれました。
始めはみんな知らない他人同士だから避難所の中でも揉め事があったりもして、ご飯やトイレもいちいち気を使ってたし、今まで普通だった事がどれだけ幸せだったか始めて分かりました。
プレハブみたいにボロボロだった我が家もあるだけ幸せだったんだなぁ…
全国から集まっている物資やボランティアの方々、警察、自衛隊、看護師さんやお医者さん、みんな県外から来ていて、凄いなぁと感謝している毎日です。
これから先の生活は不安だらけだし、こんな壊滅しまくった街が復興するなんて今はとても予想もつかないけど、みんなで一生懸命やるしかないんだなぁと。
あれから1ヶ月、生き残った意味をずっと考えたりしています。
たまたま運が良かったじゃなく、自分より幼い子や立派に生きていた人が亡くなって何故あたしが…とか。
考えても答えは出ないけど、生き残ったからにはやっぱりやるしかないんだと。
自衛隊が1ヶ月かけて何とか道を作ったように、泥だらけの家の畳を毎日外に出して倒れた家具掃除したり、道路沿いに山積みになっている災害ゴミやがれきが毎日少しずつ少しずつ無くなっていく様に、段々と復興していくのかな。
自然の恐ろしさと戦いながら、人の温かさを感じながら、これからまだまだ先は長いけど頑張っていきます。
顔は知らないけれど、全国の皆さんの応援や協力はとても有り難いし感謝しています。
心からありがとうございます。
※思った事を独り言の様にダラダラと書いたので意味不明な所はすいません(;・∀・)
地震よりも怖かった大津波。
余震もまだまだ続いていて、今日も津波警報が出た時も思わず「いい加減にしろっ!!」とブチ切れてしまいました(+_+)
怒りのやり場がないですよね(´A`)
冷たくて固い床から薄い毛布になって、布団が来て、水が来て食料が来て…
それでもまだ同じ市内でも断水や停電が続いている所もあります。
結局あたしは家も津波で流されて車も水没して、仕事は始まってるけど保育所が機能してないから働けない。
逆に家はあるけど仕事が無くなった人、車だけ残った人、何もかも全部無くなって家と車のローンだけが残った人、家族を失った人…
でも、家が残っても1階は浸水して泥だらけだし家具も家電も壊れてとてもじゃないけど住める状況じゃないっていう人も沢山います。
自衛隊が頑張って道を作ってくれたので、借りた車で行ける所は行ってみました。
沿岸の家と沿岸から最高で5キロくらいの所はほとんどがれきの山か床上浸水で、津波で流されておもちゃみたいにひっくり返って積み重なった車、田んぼや街中にまで流されて来た船、燃えた小学校、倒れた石油タンクや陥没しまくった道路等、まだまだいたる所にあります。
あたしの家があった所は津波でさら地になり跡形もなく、それでも何とか写真の1枚でも出て来ないかと探しまくりました。
昨日やっと家から約1キロくらいの所にチビ達の自転車を発見して地震が来てから初めて涙が出ました。
そして何故かタコ焼き機と買ったばかりのテレビのリモコン(笑)
また時間を見つけて探してみようと思います。
津波にのまれながらも走って逃げたメガネ。
逃げている時に後ろで自分の車にプロパンが倒れてガス爆発し、家が津波でバタバタと倒れて来て、人が乗ったままぐるぐる回転しながら流されていく車や、自分のすぐ後ろで波にのまれて消えてしまった大勢の人達、沢山の亡くなった人、チビ子くらいの助からなかった子を安置所に運ぶのを手伝わされたり、色々あったそうです。
テキトーでムカつくと思ってたけどやっぱりチビ達のパパで、チビ達の顔も見ずに死んでたまるかと、4日間も引かない水の中を歩き続けて、あたしとチビ達、お姉さんのいる避難所を探して辿り着いてくれました。
始めはみんな知らない他人同士だから避難所の中でも揉め事があったりもして、ご飯やトイレもいちいち気を使ってたし、今まで普通だった事がどれだけ幸せだったか始めて分かりました。
プレハブみたいにボロボロだった我が家もあるだけ幸せだったんだなぁ…
全国から集まっている物資やボランティアの方々、警察、自衛隊、看護師さんやお医者さん、みんな県外から来ていて、凄いなぁと感謝している毎日です。
これから先の生活は不安だらけだし、こんな壊滅しまくった街が復興するなんて今はとても予想もつかないけど、みんなで一生懸命やるしかないんだなぁと。
あれから1ヶ月、生き残った意味をずっと考えたりしています。
たまたま運が良かったじゃなく、自分より幼い子や立派に生きていた人が亡くなって何故あたしが…とか。
考えても答えは出ないけど、生き残ったからにはやっぱりやるしかないんだと。
自衛隊が1ヶ月かけて何とか道を作ったように、泥だらけの家の畳を毎日外に出して倒れた家具掃除したり、道路沿いに山積みになっている災害ゴミやがれきが毎日少しずつ少しずつ無くなっていく様に、段々と復興していくのかな。
自然の恐ろしさと戦いながら、人の温かさを感じながら、これからまだまだ先は長いけど頑張っていきます。
顔は知らないけれど、全国の皆さんの応援や協力はとても有り難いし感謝しています。
心からありがとうございます。
※思った事を独り言の様にダラダラと書いたので意味不明な所はすいません(;・∀・)