友とひさしぶりのドライブである。

とはいっても、セカンドオピニオンのいる病院までである。


車で片道2時間の旅である。その名医に会うために2週間も前から予約を入れていた待ちに待った日である。その名医は何k月も待たないと予約も取れないほどの名医だそうである。その名医と何らかのつてで優先的に予約がとれたのは幸いである。

なので、不安まじりではあるが、楽しみにしていた日でもある。



検査の結果は一ヶ月後の手術であった。軽い体調検査があっただけであった。

友は何をおもったのかは分からないが、僕が感じたのは  「長い」  と感じた。もっと早くしてほしかった。けど、見てもらうだけでもラッキーなので・・・・・


帰り、お昼のご飯を車の中で食べた。友は、オニギリを一個とお茶でを食べていた。

が、その10分後ぐらいであるい、友が嘔吐をはじめた。友と奥さんはいつも道理なのか、手際よく袋とかを出して、対応をしている。

とも曰く、食事をしたあとは、体がそれを全部出すまで、許してくれないと。

10分かけて食べたものを、1時間かけてもどす。

これは、抗がん剤が癌と戦うかわりに友はその副作用と(嘔吐)と戦わなければならない。

効いている、良くなっている、と思わなければやってられない、毎回食べたら戻すの繰り返しなのだから・・・・




友の方から連絡があった。久しぶりである。


少し前にお見舞いに行こうと思ったが日曜なので親類の方がくると思いまた次にすると伝えたところで返答がなかった。4日後に電話が来た、普通の声である、しかし内容は普通ではなかった。


見舞いに行こうと思ってた次の日から、急激に体調を崩していたのである。

「ベットから起き上がれないし、咳はつずくし、辛すぎて子供にも笑顔で居てあげれなく、お父さんの姿をみて泣き出すぐらい子供が怯えてしまう」

と、電話で話しているが、受話器の向うで涙しているのがこちらにも伝わってくる、でもこらえようとしているのも伝わってくる。次の言葉に僕は衝撃を感じた、

「僕、このまま死んでしまうんかなぁ」と、呟くというか、ごく自然に出てきたのか、友は、いつもこの感情と24時間戦っているのだとこの瞬間に感じれるほどの、重い一言であった。


癌告知、余命宣告、こんな衝撃の後にも友の口から弱音を全く聞いたことがなかった。本当にこれは、不思議に思っていた、こんなに強い人間がいるのかと思うぐらいである、それともこの状況でそういう感情がなくなったのか、もうすでにとうり越したのかわからないが、本当に微塵もそういう姿、言動は僕には見せなかった。

なので、電話の向こうの友にはかける言葉が見つけれなかった、僕にも涙が目にたまってはいたが声として友には伝わっていないはずである、僕が泣いてどうする?と思った、友に不安を与えるだけではないか、ただの同情ではないか、わからないがとっさに我慢した。


その後友は感情を持ち直したのか、治療の話を始めた、セカンドオピニオンで有名な方の治療を受けれるようになったと話す。が、自宅からは遠いがごじぶんで歩いてこれる様になってくださいとはなされた、という。

簡単なことに思えるが今の友にとってはかなりのことだと思う、ベットから起き上がれないし、食事も出来ない状態なのである、かなりの回復が必要である・・・・


でも、数少ない糸を藁をも掴むおもいである。

一本切れては、また次の一本をと、友は未来が欲しくて今と闘っている。

それに比べて自分はと思うことが多々ある、でも結局自分のことを考えていることにもはらただしく思える・・・・・・情けない、未来があるのに頑張っていると胸を晴れない自分が・・・・・・・

友からの連絡が少なくなっている。


そろそろ退院して自宅療養のはずだが、気にはなるのだが友は忙しいのだろう。僕には、普通の日常が流れている、季節もいい頃だ。太陽と空気がいい具合に混ざって外で過ごしたくなる。これから来る冬には出来なくなるので、外で読書でもしたくなる。


僕は、36才飲食店チェーン店の一店舗のオーナーである。

社員は僕のみ、あとは全員アルバイトで僕が休む日には、アルバイトだけでしてもらっている。

日々悩む事だらけである、答えが欲しいが答えなんてないんだなと最近はつくずく思う。


でも、自分は小さい頃から、学校では答えのある勉強を教わったことしか記憶にない。

今、思う。

なんの意味もない。意味がなくはないが、意味があったとも感じれない。

最低限で良い、九九、漢字、ひらがな、カタカナ、足し算、引き算、掛け算、割り算、敬語、これだけで十分である。

あとは、それこそ義務教育外で自分で学べばいい。


今の日本では、もっと生きていく上で知らなくちゃいけないことがあるはずである。

もうバブルみたいな頃には生きていけない、そこを目指してもむりである。それこそ宝くじを当てるみたいに、手をあぐねて自分では何もしないが世の中が良くなる事を、奇跡を一生待って生きていき、気が付けば、世の中の負の遺産を知らず知らずのうちに被され、景気が良くならないから自分も仕方ないかと納得させて、生きていくのか。

世間に翻弄されっぱなしになるのは、ウンザリである。


もっともっと学ぶべきこと、知っておくべきこと、考えなければならないことがあるはずである。


最近の学生さんにも同様に思う。

言ったことを、言った時にしかしてくれない。

同じことを次の日にも同じ時間に、同じ様に言う。

次の出勤の日には、やはり言わなければしてくれない。

自分にも足りてないことは十分考えた、十年も同じ仕事をしている。理解してるし、基準も持ってはいるつもりである。が、最近は、若者に理解できないことが多くなっている。

同じ職業のオーナーにも相談したが、同じような事がやはりあるらしい。


気ずきました。これが、今の常識なのかな、と。

なので自分たちの年代の方がいまの、若者の年代に合わせなければいけないのかな?

数の法則で言うと、まだまだ団塊ジュニア以降の世代のほうが多いはずであるが、飲食店に限っては、圧倒的に若者世代のほうが多い現実では、やはり、合わせるのはどちらかなのか明白である。なんだか違う気もする・・・・・・


友とも、同じようなことを意見していたことがある。

仕事終わりに、お酒を飲みながら、ワイワイ言うていたのが、すごく昔に感じる。

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