今の家は、元祖父母の家です。
仏壇が、あるのでご先祖さま達と私は、同居しております。

今でも家の中には、祖父母の使っていたものが残されています。
こちらに越してだいぶ捨てたのですが、それでも食器、本、手芸の作品、手作りの着物などまだ残っています。

越してきたばかりの頃何ヶ月もかけて、整理して今残っているものははるかに少ないのですが、それでも3年暮らすと要らないなと感じるものが、出てきました。

食器は、関東から越した時に自分で持ってきたもの、こちらで買ったものとありますが、その中でもピンとこないものも出てきました。
 

私自身が、変わったからなのだと思います。
それらを全部処分することにしました。

少し前にもこのような気持ちになり、使っていたタオルや調理器具、靴などを捨てたのですが、その時捨てられなかったものを昨日ゴミ袋にまとめました。

祖父母が作った着物達と私が、関東から持ってきて、残っていた洋服です。
関東から持ってきた洋服は、気に入って買った洋服で、しかも少し高いと感じたけれど買ったものでした。
でも、今こちらでは場違いで気なくなり、何年も袖を通りていない物ばかりでした。

こちらにきて、収入が減ったのでもったいなく感じて、なかなか捨てられませんでした。
同じように着物も祖母の温もりと手縫いのものなので、捨てられませんでした。

でも最近、こう言った判断で残した物ばかりに囲まれて、暮らしていることに気がついて、停滞している自分に気がつきました。

停滞は、長くなると淀んでくるかもしれません。
なので思い切って袋に入れました。

それでもまだまだ手芸の作品など一部屋丸ごと残っていますが、誰でも自分のいる空間を自分の思う通りに整えて良いはずです。

私は、いつの間にかそうしなくて良い場所まで、遠慮していたのです。
一日だけならいいかもですが、長くなればそれが当たり前となるでしょう。それは、知らないうちに望まない変化を起こすかもしれません。(その人の性格によりますが、私は、遠慮してしまいがちな性格なので)

食器も、片付けようと思います。判断できないものは、とりあえず段ボールにしまって、自分だけのスペースを食器棚にも作ろうと思います。

自分が、どんな家でどんな空間にいたいのか、どんな仕事をして収入を得たいのか、どんな仲間や友人に囲まれていたいのか、全部自分で選んだ通りになり、満足も幸せも全部自分の下した判断で決まってきます。

3年は、短く長い時間です。3年前の私と今の私は、違った判断をするようになったんだな。
でも変わらず祖父母や家族を大切に大切に思っているなと、感じました。