昨日は、ヴェローナに住まれている妻の友人夫妻と、ランチ。

ホテルの近くからバスに乗り、10時半にヴェローナの街中で待ち合わせ。

数年前にミラノでの仕事で妻と同僚だった彼女は、日本の大学の先生をされていたイタリア人の旦那さんと出会い、今は彼の地元のヴェローナに住まわれているのだそう。

彼は、この春まで日本の大学で教えておられて、秋には、中国に赴任が決まっているそうで、ちょうど、その合間の休暇だとのこと。タイミングが良かった^_^

4人で向かったのは、ヴェローナのサン・ゼーノ聖堂。
西洋美術が専門のご主人がイタリア語でガイドしてくださって、奥さんと妻がふむふむと言いながら、僕に通訳してくれるという流れ^_^

立派な教会。ヴェローナの守護聖人サン・ゼーノが祀られていて、1100年頃に建てられた建物がそのまま残っているのだそう。

ご主人が、

人が全然いないけど、実はここが一番大事なところです^_^

と言って立ち止まったのは、その教会の入り口。

木の扉の上部には、聖ゼーノが居て、その左には、ヴェローナの旗を掲げた民衆、右には騎士達がいて、様々な階層の人達から崇められていたという事を伝えているのだそう。

そして、扉の右側には、こちらも1000年近く前に作られた石の彫刻があって、それぞれの彫刻に、聖書の創世記の物語が描かれているのだと。
左列下から2番目のシーンから、まず、神が何もなかった世界から、動物達を作られ、
右に移って、次に神が最初の人間アダムを作られて、
左上に移って、神がアダムの脇腹から、イブを作られて、
右に移って、2人が神との約束を違えて知恵の実を食べてしまって、
左上に移って、神の怒りに触れて、エデンの園から追い出されて、
右に移って、人は働かないといけなくなった、

というストーリー。

昔は文字を読める人が少なかったので、こうして、聖書の内容を、彫刻にして、教会の壁を見て学べるようにしたのだ、とも聞いて、

なるほどー

とうなづく。

続いて、教会の内部に入って、先ほどの入り口の木の扉の裏側へ。

これも1000年近く前に作られたオリジナルの青銅の扉で、先ほど同様に、聖書の大事なシーンが描かれていた。
右列上から3番目は、最後の晩餐のシーン。

その後、教会の内部をいろいろと案内してもらう。

金持ちの教会だったようで、有力な貴族で、ミラノのスカラ座の由来になったスカラ家とも、密接な繋がりがあったのだそう。
スカラ家の家紋は、梯子のマークで、そのマークが彫り込まれたお墓などもあった。

最後に、

ここも大事なところです^_^

と言われて見たのは、立派な額縁に飾られた、大きな絵画。

描かれたのは、ルネサンスの初期。

レオナルドダヴィンチよりも、少し前の時代に、マンテンニャという画家が、教会からの依頼を受けて、2年遅れで完成させた絵。

当時にはイノベーティブだった遠近法を取り入れて、額縁も含めて、あたかも神殿がそこにあるかのような表現で、聖母マリアと聖人達を描いたのだそう。

マンテンニャは同時期に別の貴族からも、依頼を受けていたそうで、

この教会と、その貴族から、催促されまくって、言い訳しまくっていた手紙のやり取りが残っているのです。いつも遅れるのはイタリアの電車と同じですね〜

と、ご主人が面白そうに話されていた^_^

ちなみに、この絵はナポレオンによってフランスに持ち去られた後、取り戻せたのだけれど、下の三枚の絵はコピーで、オリジナルは今もフランスの何処かにあるとも言っていた。

やっぱり詳しい人に案内してもらうと、とても面白い^_^
今回は、詳しいどころか、その筋の専門家。本当に楽しい見学になった。

教会の後は、近くのオステリアでランチ。
我々は、リゾットを頂いた。
この地の白ワイン、ソアベと共に。とても美味しかった^_^

お二人も旅が好きな様子。色んな場所の話題で、話に花が咲いた。


そして、ご馳走にもなってしまった…。本当にありがとうございました^_^

ご夫妻と別れて、街歩き。

翌日は、この2000年前に作られた円形競技場で、野外バレエを見ることに^_^
ちなみに、先ほどの教会は、ここの石を使って建てたそう。2000年前の円形競技場の石を使った1000年前の教会…。
歴史がすごい。

続いて、ジュリエットの家。
あまりの人の多さに、早々に退散。。

美しい、川沿いの街並み^_^

このあと、宿に戻って、ヴェローナから先の行き先について相談。
なかなか決まらない。。

腹が減ってきたので、宿のキッチンを借りて、ミラノで入手した、うどんと麺つゆで晩飯。付け合せは、トマトとベビーリーフと、ツナと生姜。
ひさびさに出汁の味。美味かったー^_^

この日は遅くまで、延々と調べ物をし、話し合う。

大まかに、この後は、ヴェネツィア、ドロミテの山、フィレンツェ近くの街ルッカ、フィレンツェ、トスカーナの田舎の街、ということとなった。