スプリッティング。 | F男の病的希求日記 「生きることとみつけたり!」

スプリッティング。


スプリッティングは「分裂」と訳されることがあるけど、分裂だと日常的すぎて心の働きとしての意味がわかりづらくなってしまうので、カタカナのままスプリッティングと言われることが多い。

スプリッティングは、嫌な出来事や嫌な気持ち等から自分を守るための心の働きである「防衛機制」の一つ。


そして、防衛機制の中でもあまり洗練されていない、より原初的なものに分類される。

パーソナリティ障害の人は、より高次の防衛機制を身につけていなくて、このスプリッティングを多用してしまうことで、対人関係がもめることになってしまう場合が多いんだ。

じゃあ、嫌なことがあった場合に、どんな心の働きが生じるかなんだけど、分裂というからには何かと何かの2つに分かれるっていうのはわかるはず。


それは「善」と「悪」であることがほとんど。



例えば、パーソナリティ障害の人が誰かから注意や指摘をされた場合を考えてみよう。


注意や指摘というのは自分に非があるということになるから、嫌なことだと思っておいてほしい。

パーソナリティ的に成熟した人は他人からの注意や指摘を、「自分の成長のため」と思って嫌だとは思わないなんて言う人もいるだろうけど、その「自分の成長のため」と理由づけをするのも嫌なことから自分の身を守る防衛機制の一つ「合理化」に当たるよ。合理化はスプリッティングよりは成熟した防衛機制なんだけど、人というのは自分が傷つかないように、意識せずにそういう風に心を守っているということを知っておこう。


さて、パーソナリティ障害の人は、注意や指摘をされた自分=非のある自分=ダメな自分、という風に感じてしまいやすくて、少しでもダメなところがある自分=全てがダメな自分、という風になってしまいがち。


0か100かという感じ方。

全てがダメな自分と感じてしまったら生きていくのには辛すぎるから、ちょっとでもダメな自分とさえ感じてはいけない。


だから、他人から注意や指摘をされても、自分に非があると認めることは簡単にはできない。


そこで、スプリッティングという防衛機制によって自分を守るということが起きてくる。

自分は悪くないと感じると、必然的に「相手の注意や指摘が間違っている」ということになる。


すると、その注意や指摘だけが間違っているんじゃなくて、相手の全てが“完全に間違っている”、“相手は完全にダメな人”となってしまう。


その時、相手の良い面というのが、バッサリ切り捨てられてしまっている。


その、バッサリ感がまさしく「分裂」という状態を表していて、相手の良い面と悪い面が切り離されてしまっていて、同時に認知できないというのがスプリッティングという状態なわけ。

パーソナリティ障害の人は、相手にはちょっと良いところがあって、ちょっと悪いところもあるという風に見ることがとても苦手なんだよなー。

この場合のスプリッティングでは、相手は「悪」そのものになって、自分は「善」そのものになり、対決せざるを得なくなるから、注意や指摘が的を射てないだとか、独断だ!とか、偏見だ!とか、パーソナリティ障害の人はワーワー喚き立てて相手を非難し始めたりする。

でも、本人は自分が「善」だから悪いことをしているつもりは全くない。


むしろ、不当な注意や指摘をされたことを否定することが当然の権利だと思っている。

また、そういう時の「善」なる本人もまた、スプリッティング状態にあると言える。


自分の悪い面というのも切り離されて(棚に上げられていて)、完全な善なる存在になりきっているからね。



つまり、スプリッティングというのは対象(相手)に対しても生じるし、自分に対しても生じるものなんだ。良い面と悪い面が切り離された片面同士でコミュニケーションをとるから、そのパターンは、「善(自分)」+「善(相手)」でベッタリ仲良し、「善(自分)」+「悪(相手)」で犬猿の仲となりがち。


自分のことを「悪」と感じてしまっている場合というのは、自己卑下、自己嫌悪で物凄い落ち込んでいる状態だから、あんまり人ともめることはない。


人との関わりは、「善」とした相手から慰めてもらうという形になる(大きく溜息をついてみたり、泣いてみたり、自分がいかにダメな人間かということを語って、相手は「そんなことないよ、君は素敵な人だよ」と言わざるを得ない立場に置かれる)。

そういう時にリストカットをしたりするんだけど、その時にもスプリッティングは関係していると思う。


自己嫌悪の最中にリストカットをすると、ダメな自分を傷つけることで、他人から心配されて「(心配される)価値のある自分」という感覚を取り戻したりできたりするんだけど、その時には、「傷つける自分=罰を与える良い自分(善)」と「傷つく自分=罰せられるダメな自分(悪)」というスプリッティングが起きているから。

あとは、パーソナリティ障害の人が2人の他人と関わると、1人を「善」、もう1人を「悪」にしちゃうこともよくあって、その2人が対立させられちゃうことも多い。


それもスプリッティング。


パーソナリティ障害の人に関わる時には、様々な場面でスプリッティングということが起きているから注意しておこう。