理想化と脱価値化。
特に境界性パーソナリティ障害の人は、白か黒かという世界観を持っていたり、0か100かという二分法で物事を考えてしまったりする場合が多い。
だから神や天使、悪魔が好きだったりするのかな(笑)。
そういうのはとにかく善か悪かはっきりしてるからね。
けど、中でも強く惹かれるのが堕天使だったりするのが面白いところ。
もともと完全な善だったのに、ちょっと汚れて地に堕ちちゃった天使が好きだってことは、白でも黒でもない存在を受け入れてるってことだからね。
それはもしかして、「本当の私はこんなダメな人間じゃない」って気持ちを持っているパーソナリティ障害の人が自分に重ね合わせやすいからなのかもしれない。
…しまった、いきなり話が逸れている(笑)。
理想化と脱価値化について。
理想化とは文字通り相手を自分が理想とする人と思いこんでしまうこと。
しかも、よく知り合うことなく会った瞬間に。
なんでそうなるかっていうと、理想の相手と接している私も同レベルの人間であると感じられるから。
自分を高い位置に持っていくために相手を先に上げるんだな。
こういうことはパーソナリティ障害の人にはよく起きる。
自分一人で自信を持ったりできないから他人との関係を通して自信を持つんだろうと思う。
さて、実際には完全に理想的な人なんて実在しない。
白馬の王子様なんていない。
いたとしても臭いウンコだってするんだよ、人間だもん。
だから、きっとそんな現実に直面したら、あっという間に理想は崩れてしまう。
そんな感じで理想が崩れることを脱価値化という(余談だけど、専門用語というのはおかしなもので、「理想化と脱理想化」または「価値化と脱価値化」って感じで揃えればいいのになぜか「理想化と脱価値化」と言われるんだよね)。
脱価値化は理想化の後に必ず起こるもので、それには大きく2つの理由がある。
1つは先に書いたように相手の嫌な面が必ずいつか見えてしまうから。
もう1つは、相手を理想化しすぎて自分が釣り合わなくなってしまいそうになったり、相手から嫌われそうになると、その前に相手の価値を下げておく必要が出てくるから。
つまり、理想の相手から嫌われるのはとても怖いことだけど、たいした人間じゃない相手から嫌われるのは平気だってわけ。
そもそもパーソナリティ障害の人に共通するのは、相手の態度うんぬんではなくて自分の中にちょっとでも不安や不満が生じると耐えられなくなっちゃうってこと。
ちょっとでも不安や不満があるってことは、全部が不安で不満だからね(無ければ0、有れば100)。
そして、それを自分一人じゃ解決できなくて他人を巻き込んでしまう。
例えば、理想化してしまった相手を妬んでいる自分は醜い、と感じるのは自分の勝手な気持ちなんだけど、それを一人で解消できなくて、最初からたいした相手じゃなかったんだと価値を下げて接して解消するわけ。
それが間に合わなくて、相手からほんのちょっとでも指摘されたり不満を言われたりすれば、自分は全然ダメな奴になってしまうから必死だよね。
まったく、白か黒か、0か100かってのは忙しいものだ。
周りからみれば本当に気持ちがコロコロとよく変わる人だって見られてしまうのも当然。
だけど、本人だって相当疲れる。
だから、できれば心に余裕がある人はパーソナリティ障害の人を責めないであげてほしい。
追い詰めたっていいことないし。
もしもみんなが精神的に問題を抱えていないならパーソナリティ障害の人を支えていく側にまわってほしい。
マスメディアで「理想の社会」って言葉はよく聞くけど、高齢者や身体障害者が生きやすいだけの社会じゃなくて、精神疾患を抱える人やパーソナリティ障害の人も排除されずに生きていけるような社会になるようにね。