依存性パーソナリティ障害。
大事な席に着ていく服が決まらないなんてのはよくあること。
だけど、これがもし毎日のことだったら?
あるいは、結局、服が決められなくて当日ドタキャンなんてことを繰り返してしまっていたとしたら?
そして、これが着ていく服についてだけじゃなくて、人生の様々な岐路についてでも同じように決めることができなかったら?
依存性パーソナリティ障害の人は、だいたい「どうしよう」と思うだけじゃなくて、人前で口にしている。
そう言うことで、誰かが意見をくれることを身につけている。
というよりも、誰かが「どうしたの?」と言ってくれるまで、きっと「どうしよう」と言い続けているかも。
そうすれば「聞かれたから答えた」という相手の責任にできるからね。
同じ「依存」という言葉がついているけれど、アルコールや薬物などの依存症患者とはちょっとニュアンスが異なる。
どちらかというと、依存症患者の問題行動を助長する周囲の人の方に依存性パーソナリティ障害の人がいるという感じ。
依存性パーソナリティ障害の人は、孤立することが不安でたまらなくて、常に人といたい、人の意見が聞きたい、人の役に立ちたいという気持ちが強かったりして、誰かを通してじゃないと自分で物事を決めたり、生きていることに自信を持てない。
だから、依存症患者の面倒をみることに結構生きがいを感じてしまったりすることがある。
うまくいっている時はいいんだけど、例えば、アルコール依存症患者の状態が悪くなった時、手助けをしていたはずの依存性パーソナリティ障害の人は相手に嫌われたくないから、お酒を飲んでいるのを見て見ぬふりをしてしまったり、手助けという役割を失ってしまうと自分の存在意義が失われてしまうように感じてしまうから、むしろ治らないようにお酒を飲ませてしまったりといったことが、信じられないかもしれないけど起こりうる。
一人になりたくなくて行う行為が、相手の死期を早めてしまうという矛盾を抱えていることに気がつかずに。