2月の終わりに、母の13回忌の為に浅草寺の観音様の所へ行ったブログを書きましたが、
これには続きがありまして。
今の世帯主(夫)の事も観音様に相談したかったんです。
過去のブログにも書いていますが、私と世帯主は、性格が合いません。と言うか、この男に合う性格の女なんてこの世にいるのだろうか???と思う位、人の気持ちがわからない。人間なのです。
兄弟も、その親も。。。
何かおかしいんです。
根本的な考え方と言うか、人として、それってどーなん???と思う事ばかりなのです。
(詳しくは過去のブログを読んで頂けるとわかります。)
これからも暫く、この世帯主とはこの世で一緒に生活しなければなりません。
でも、あまりにも私のメンタルが不安定になるので、納得いく答えが欲しくて、浅草寺の観音様に、ついでに聞いてみました。
すると、大納得。のお答えが。
観音様「本質を分かっていない。相手に悲しみを与えたな。とか、迷惑をかけたな。とか、これが全く分かっていない。今は分かっていないが、残りの余生で分かる事が出来れば、あの世での修行(反省会)が短くなる。ある程度の人は分かってから死ぬ。若しくは、死んでから、誰かが、毎年、年忌をやってくれれば、修行が短くなる。本質を分からないといけないから、人より長い修行が必要。向こうに行くと感情はなくなる。生きていた人達に迷惑をかけた。迷惑を受けた人のカルマ(宿題)を解消する時間を奪った。横槍を入れた事に対する事実に対しての罪。これを本人は全く理解していない。分からせてから懺悔。迷惑をかけたのに、え?なんで??となる。これがコイツは全く分かっていない。」と。
前のブログに母のあの世での年忌の事を書いてますが、ほぼ、世帯主に、関しても同じような内容のお答えでした。
今、この世で、自分本位に生きている人間は、残りの余生で気付く事が出来ない場合は、あの世で人より長い辛い修行が課せられる。という事なのです。
私を虐待していた亡き母も、今一緒に暮らしている夫も、残念ながら、自分が一番!!の人間性です。
家族に優しさを見せても、必ずその見返りを求め、結局、自分が満足しているかどうか?を基準に生きている為、いざこざが絶えないのです。
相手に与える愛や、優しさは、本来無償でなければなりません。
人間ですから、ムカつく時もあります。
でも、親切にする事を棚にあげてはならないのです。
家庭内では、ピラミッドの頂点になってはならないのです。
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こうなると、家族は、その人に気を遣うようになります。
その気遣いは、そいつを気分良くさせます。
一生分かり合う事のないまま、一生を終えます。
そして、あの世へ還った時に、え?!俺の(私の)何が悪いの???と、全く本質を分かっていないのです。
自分がそうさせているのに。
自らそうさせた。のに。
家族や周りは、叱咤してくれた時もあったのに。
それを怒りでつっぱねて。
あろうことか、相手のせいにして。
これが、生きている時に周りに迷惑をかけている。ことになるのです。
世帯主は、子供達にも「感謝が足りない!感謝が足りない!」と言う時があります。
まるで餓鬼のようです。
人には必ずこういう部分はありますが、
世帯主は、かまってが多すぎるのです。
家庭で俺様なのに、これ以上どうすればよいのでしょうか?
きっと、うち以外にも山ほどこの様な人がいると思います。
そうすると、残りの余生で気付けなかった者は大半があの世で人より長い辛い修行をする。と言う事ですよね。
何よりも、「本質を分かっていない。」の一言が、心に刺さりました(笑)気持ちが楽になりました。
ああ、そーよね。と。
なんで分かってくれないのだろう?とか、
わからせよう!などの努力は、無駄なのです。
これがまだ子供なら、軌道修正がききますが、
もう60手前のオッサンです。
もう、手遅れなのです。
もうあとは、自ら気付くしかないのです。
まあ、無理でしょうね?
このまま、本質を分からないまま、死ぬと思います。
もうこうなると、私の手には負えませんので、
諦めがつきました。
あとは、執拗な、俺をかまって!!をどうスルーしていくか?の問題になります。
これを全て受け入れるのは、私や家族の精神安定上、宜しくないので、また考えていかないといけないと思います。
分かっては貰えません。
諦める事。これが肝心だと、改めて思い、大納得しました。