前回の続きです。
上野東照宮のたぬきの神様は、
私の愚痴をたっぷり聞いてくれて、なのにこの後も質問にも答えてくれました。
私「あ、今日は識子さんの本を読んで来ました。」
たぬきの神様「知ってる。何人も来ている。」
ああ、やっぱり、読者の方々が沢山訪れているのだな。と思いました。
私は先程話していた事の中で、ずっと気になっていた事を質問してみました。
私「私は何故(神仏の声が)聞こえないのですか?」
娘はこんなに若くても、こんなに話せるのに。
私が産んだのに。。。
私は全く話せないのは何故???
もう、本気で信仰に目覚めて13年間、あちこちの神社やお寺にせっせと通い、自分なりに修行しているのに。と、最近思うようになってきて、不安になってきています。
もしかして、一生聞こえず、話せないのではないだろうか?。。。
すると、たぬきの神様はこう答えました。
「子供の頃に何かあっただろう?素直に育たなかった、何かがあったから、その時に何か心を閉ざしたのだろう。しんどかった。から、多分蓋をしてしまった。だから、うまく接続出来ないのかも。もしかしたら、死ぬまで難しいかもしれない。」
私「え?!そうです。私は、子供の頃、母親からずっと酷い虐待を受けていたんです。じゃあ、、、もう無理なんですね。。。」
この時、今までの13年間が全て水の泡のように感じてしまい、目には涙がうっすらと浮かびました。
実は、私は実母に大人になってもずっと、酷い虐待を受けて育ちました。
母はシングルマザーでした。
お酒の仕事をしており、仕事上、酔って帰宅し子供の頃から罵声を浴びせられ、殴られ、暴れられ。
赤ん坊の時から、大人になってもずっと、虐待されて育ちました。
それはそれは、死なずに、自殺せずに、よく生きてこれだな。と思う様な虐待でした。
身体的にも、精神的にもボロボロになりました。
よく今現在、普通に明るく育ったな。と自分でも思います(これには、理由がありますが、また今度、お話しします。)
私は自分の虐待されていた事実は殆ど誰にも話していません。
子供にも最近まで話してはいなかった位です。
なのに、たぬきの神様は見抜いたのです。
流石、他抜き。
抜く。とは、こうゆう事も見抜く。の意味もあるのかも?と、驚きました。
と、言うのは今まで、どこの神仏も、わかっていたかも?知れなくても、誰もこの虐待を受けていた事を、私には話さなかったのです。
悲しくて今までのワクワクしていた、テンションだだ下がりになり、しょんぼり(´・ω・`)していると、
たぬきの神様は「でも、あきらめず、頑張りなさい。」と。
すこーしだけ、また頑張るか。。。と、この時は思いました。
相手は神様です。
神様に死ぬまで駄目かもしれない。なんて言われたら、
私はそれを楽しみに、夢見て生きているのに、おばあちゃんになってからでもいいから、死ぬまでに神仏とお話し出来る様になれたら、困っている誰かのお役に立てる様になりたい!!と心から願っているのに、夢を絶たれた気分になりました。
だから、諦めずに頑張りなさい。と、励まされても、素直に喜べませんでした。
たぬきの神様は、娘にこう言いました。
「わしがお前と話せているのは、お前の母親にそんな事があっても、お前を優しく育てたからだろうなぁ。」と言ってくれたそうです。
ここでも、また目に涙が浮かびました。
私は最初の夫に、私の幼馴染と浮気されて、娘が生後半年の時に離婚しています。
勿論、幼い娘を1人で暫く9年間育てている時も、母親は、酔った際には私達親子に容赦なく、虐待や暴力、言葉の暴力を日常的にしてきました。
たぬきの神様は、私の今までの人生を一瞬で垣間見たのかもしれません。
私は、この、たぬきの神様に他ならぬ、何か凄いものを感じ始めていました。
続きます。