「フェアレディZ の生みの親」 片山豊氏、105歳で死去…日産が追悼声明
2015年02月23日(月) 17時11分
日産『フェアレディZ』の生みの親として知られる米国日産の初代社長、片山豊 氏。2月19日、105歳で亡くなった同氏を追悼する声明を、北米日産が発表している。

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 片山豊 氏は1909年、静岡県生まれ。1935年、日産自動車に入社し、宣伝や広告を担当する。1954年には、現在の「東京モーターショー」の初開催に尽力した。

片山氏を語る上で欠かせないのが、初代フェアレディZ。片山氏は1960年代初頭、米国法人の米国日産の初代社長に就任。同時に、米国市場で誰もが気軽に楽しめる新型スポーツカーの開発を、日本の日産本社に熱心に働きかけた。

そして1969年、その思いは、初代フェアレディZの誕生に結実。米国では『Datsun Z』として、大ヒットを記録した。片山氏は、その功績から、「ミスターK」として親しまれている。

北米日産は2月21日、声明を発表。「ミスターKは、ダットサンと日産ブランドにとって、情熱的なアンバサダーだった。日米の自動車産業での活躍は、80年以上。日産への貢献と情熱に感謝している」と述べている。《森脇稔》


Z-Carの父 片山豊氏 インタビュー

240Z(日本名:フェアレディZ)をはじめ、多くの日産車をダットサンブランドとして米国に広めたことで知られる、米国日産初代社長の片山豊氏。今年で105歳を迎えた彼に、日産80年の歴史や、Facebookファンから届いた質問などを伺いました。
たいへん貴重なインタビュー映像を、全3章にわたってお届けします!


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1909(明治42)年9月15日生まれ。静岡県出身。
1935年、日産自動車入社後、販売課を経て総務課配属となり、宣伝を担当。1954年には『第1回全日本自動車ショウ』(現・東京モーターショー)の推進役を務めた。1960年に渡米。米国日産の初代社長を務め、その屋台骨を築き上げる一方、「フェアレディZ」のコンセプトをまとめ、その誕生に大きな役割を果たす。後に、その成果が認められ、米国自動車殿堂入り。日本が世界に誇るべき自動車人のひとりとなった。
2014年に105歳を迎え、なお精力的に活動を続けている。


ご冥福をお祈りします。


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千梅ちゃん

moonyが少年の頃
胸をワクワクさせながら
日産のショールームに通ったものです。
営業マンに迎えられ、分厚いカタログやポスターを貰い
家に帰って繰り返し見ては、
Z432の 灼熱のサファリラリーや
240ZGの レーシングシーンを思い浮かべていました。

その頃、同年代の少年と言えば
2輪の話ばかりで話題が合わず
変な子供だったのかも知れません。

…そのまま大きくなりました(笑)。