
9月のはじめに、日本対がん協会主催 がん征圧全国大会でお会いしたばかりでした。
膀胱がんを温存治療で「克服」し、俳優業から農業に「転職」したと
元気に報告しておられましたが… 無念です。。
「激しく、熱い波動」=菅原文太さん訃報に悼む声
「妖怪大戦争」で子役時代に祖父と孫の役で共演した神木隆之介さんは「とても良くしてくださり、本当の祖父のようでした」と優しかった現場での菅原さんをしのんだ。
「仁義なき戦い 広島死闘篇」などで共演した北大路欣也さんは「激しく、熱い、文太さんの波動が忘れられません」と短い言葉で悼んだ。
市川崑監督の「映画女優」で共演した吉永小百合さんは「密度の濃い日々でした。溝口(健二)監督と田中絹代さんに扮(ふん)しての芝居でしたが、緊張感の中で胸が躍りました。近年の社会的なご発言も、私の心に強く響いております」とコメントした。
晩年は有機農業や脱原発、そして反戦のメッセージを発信し続けた菅原さん。妻の文子さんは「小さな種をまいて去りました。一つは無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわぬよう、共に声を上げることでした」と思いを伝えた。
菅原文太さん死去 健さんに続き昭和の名優がまた… 時代が求めた男たち
産経新聞 12月1日(月)15時49分配信

飢えた野獣のような演技で一世を風靡(ふうび)した俳優の菅原文太さんが81年の生涯を閉じた。男がほれるアウトローをリアリティーたっぷりに演じ、広く大衆に愛された。先月10日には、やはり日本を代表する俳優の高倉健さんが亡くなったばかり。相次ぐ名優の訃報に、映画ファンや関係者の間に驚きと悲しみが広がった。
広島やくざ抗争の実態をつづった元暴力団組長の獄中手記を映画化した「仁義なき戦い」シリーズで、東映の任侠(にんきょう)・やくざ路線の看板スターとなった。それ以前の東映は鶴田浩二さんや高倉さんら、着流しスタイルの任侠映画が主流だったが、菅原さんの活力ある“与太者”が主人公の実録タッチが主流になっていく。
「仁義なき戦い」が上映されたのは昭和48年。当時は全国の大学や高校で学生運動が盛んに行われていた。「仁義なき-」はエネルギッシュなチンピラたちの群像劇で、菅原さんが演じた広能昌三は欲望をギラギラと燃え立たせながら、幹部、組長と、上り詰めていく。そんなアナーキーな映画は、喧噪(けんそう)の時代に熱狂的に受け入れられた。
ど派手な電飾で飾り立ってたトラックに乗った男たちを描いた娯楽ロードムービー「トラック野郎」シリーズの「星桃次郎」役も当たり役だ。シリーズは10本製作され、松竹の「男はつらいよ」シリーズと並ぶヒット作となった。星桃次郎は粗暴でおっちょこちょい、そして女好きというキャラクター。だが、「仁義なき-」の野獣のようなエネルギーという点で共通する。
任侠映画で一時代を築いた菅原さんと高倉さん。我慢に我慢を重ね、最後に怒りを爆発させる高倉さんに対し、狂犬のようにむき出しの怒りをぶちまけた菅原さん。ともに時代が求める男の美学を体現した硬骨の役者だった。(櫛田寿宏)
菅原文太さん死去 「無農薬有機農業広め、再び戦争しないよう声を上げ」妻、文子さんコメント
「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種をまいて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。

















