☆仕事がはかどる 禅習慣☆
曹洞宗徳雄山建功寺住職
枡野俊明さん著より
【見返りを求めないということ】
「無功徳(むくどく)」という禅語は、達磨(だるま)大師の言葉とされるものです。
由来は達磨大師と梁(りょう)の武帝との問答。
武帝は仏教に対する造詣も深く、その隆盛にも尽力した人で、みずから仏典も著(あらわ)すほどでした。
達磨大師がインドから中国にわたった折、そのことを聞きつけた武帝が宮殿に大師を招きます。
そして、問答におよんだのです。
「自分は仏教寺院も建ててきたし、写経も熱心にしている。僧への貢献も惜しむものではない。さて、この自分にはどんな功徳があるのか?」
そのときの達磨大師の答えが、「無功徳」、すなわち、功徳などありはしない、というものだったのです。
武帝のおこないを大師が認めなかったわけではありません。
しかし、これだけのことをしたのだから、功徳があってしかるべきだろう、とする心がそのおこないの価値を無にしてしまう。
達磨大師は武帝をそう諭したのです。
功徳を現代風にいえば、「見返り」ということになるでしょうか。
人は自分がしたことに対する見返りを求めてしまったり、どこかで期待してしまったりするところがあります。
残業も厭わず、数日間必死に取り組んで、ようやく仕事を仕上げた。
それを上司に提出したとき、「はい、ご苦労さん」。
そんなひと言だけだったら、舌打ちのひとつもしたくなりませんか。
「がんばってくれたな。残業続きで大変だったろう。
すこし、ゆっくりしてくれよ」
そんな言葉の見返りを期待していたからです。
プライベートではこんなこともありそうです。
恋人や友人の誕生日に洒落たレストランでディナーをご馳走し、プレゼントも用意した。
やがてやってくる自分の誕生日。
その日が近づくにつれて、しだいに思いがふくらんできます。
「あれだけのことをしてあげたのだから、どんなふうに誕生日を演出してくれるかな。 プレゼントは何だろう?」
ところが、期待に反して、LINEで「おめでとう」しかなかったら、なんだか裏切られたような気持ちになるのではないでしょうか。
見返りを求めていたからです。
その結果、上司に反感をもつようになったり、恋人や友人を怨むようになったりする。
寂しい感じがしませんか。
「労いの言葉がなくたっていいじゃないか」
「誕生日にお返しがなくてもいいじゃないか」
そんなふうに受けとめたら、よほどすっきりした気分でいられます。
必死に仕事を仕上げたという、自分の充実感だけでいい。
大好きな恋人や親しい友人の誕生日を祝ってあげられたことがうれしい。
それがすべてなのです。そのあとのことは放っておけばいいのです。
そう考える習慣を身につけて、心安らかに、恬淡(てんたん)として、日々を送りましょう。
《無功德/どんなおこないも、することがすべてであり、 果報や見返りを求めるものではない。》
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「ギブ・アンド・テイク」は何かをしたとき、何かの見返りを求める、という考え方です。
持ちつ持たれつという関係です。
また、「ギブ・アンド・ギブ」という言葉もあります。
相手に見返りを求めず、ただ与え続けることです。
自分の「我」を捨てて、ただただ、人に喜んでもらうことをすることです。
「おかげさま」の気持ちでする行為です。
それが良寛さんのいう、次の言葉です。
「俺が、俺がの、我(が)を捨てておかげ、おかげの、下(げ)で生きる」
また、「忘己利他(もうこりた)」という伝教大師最澄(さいちょう)の言葉と同じです。
自分のことは忘れて、他人のために尽くすこと。
見返りを求めず…
ただただ、ギブ・アンド・ギブの気持ちで、日々を送ることができる人でありたいと思います。
◇白光の誓い◇
自分を愛して、
他人を愛します。
やさしさと笑顔をたやさず
人の悪口は決していいません。
長所を誉めるように努めます。
【斎藤ひとりさん公式ブログ】
https://ameblo.jp/saitou-hitori-official/entry-12785286024.html
◇淡島商店◇
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