早くも、自ら課した“週イチペース”に、くじけそうです
無い知恵と、限りなくフラットな日常から、どうにかこうにか文章に起こすのは骨が折れますね
さて…
そんな私、先日、誕生日を迎えました
“人生100年時代”と云う方々もいる現代に於いても、折り返し地点が近付いている私ですから、誕生日が特段嬉しい日ってのはとうの昔の事で、極々フツーの日常だった訳です
まぁ、毎年、近所に住む母親がヒマ潰しで作った赤飯を持ってくる位なモンです
その母親も、近所で有るが故に、大量の料理を作ってはデリバリー
、且つ、ほぼ毎日家に来ては猫を愛でている故、全くの“日常”です
そんな誕生日、家に帰ると、例の如くタッパーにみっちり詰められた赤飯が、お出迎えです
いつもの事ですが、初老の男女2名の三食分は有ろうかの量です
二十歳ソコソコで家を出てしまった為、母親の私に対する食べる量のイメージは、その辺の年頃のまま止まってんですかね?
ま、コレはいつもの事
年齢に見合わない量の食事をどう裁くかは、ルーチンワークみたいなモンなんですが、今年はオマケ付きでした
オマケ=みそピー
何故に、みそピー?
赤飯に、みそピー?
そもそも、オッサンに、みそピー?
嫌がらせなのか、大喜利の類かと悩まされつつ夜を明かし、翌日、母親に会う事が出来たので、真相を訪ねた所
「化繊とうふ(著者)は、みそピー大好きだったでしょ」
って…
いやいや、確かにご飯のお供にしてた時代は有ったケド、それってランドセル期、それも初期のハナシで、桜でんぶ+白飯と同じ頃にブームは去ってましたよ
その後は、イカの塩辛やタラコなんていった、酒のアテにもなる様なモノを、ご飯のお供にしてたでしょ?むしろ、その時期のが長いでしょ?
しかも、赤飯とセットとは、トリッキーよ
そもそも、母親の中で、私の設定年齢はいくつなんだよ?見た目からして、みそピーでテンション上がる年頃じゃないでしょ
と色々思いつつも、私は感謝を伝え、母親はいつもの様に、猫を愛でて帰って行きました
そんな感じで誕生日の翌日に、母親の中でのみそピーの認識が“私の大好物”であり、それがアップデートされる事が無く、今に至っている事を知りました
そんなに、疎遠でも無かったでしょ…
でもね、母親がスーパーでみそピーを手にし、かごに入れる姿を想像すると、オッサンになった私でさえ、彼女にとっては“子供のまま”なんだなと…
そうなると、母親と同居している兄は、幼少期の好物が頻繁に食卓に並んじゃっているのか?と、少々、心配になりました
母親よ
貴女も身をもって知っていると思うが、子供達も年齢を重ねると共に、食の“量”も“好み”も変わるのよ
でもね、電チャリでスーパーや我が家へ疾走する日常は、変わらず続けて欲しい
オッサンになった息子が、現在、思っている事です
面と向かっては、言えませんが…
で、みそピーは?って
食べましたよ
大好物に返り咲く事は無く
幼少期の様にがっついたりはしませんでしたが、色々思いながら頂きました