みなさん、こんばんは


今日は「保元の乱」に続いて「平治の乱」の話ね😀




保元の乱から三年半後、平治元年(1159年)に「平治の乱」が起こった。


平清盛が熊野参拝に赴き、京都に軍事的空白が生まれた時、その隙きをつき反藤原信西派は、クーデターを起こしたのだ。


この軍事行動は後白河院政下で権威を誇っていた藤原信西と平清盛の打倒を目指していた藤原信頼が、保元の乱で功績を挙げた源義朝を誘って、深夜、藤原信頼らの軍勢が院御所である三条殿を襲撃したのである。


信頼らは後白河法皇の身柄を確保すると、三条殿に火をかけて、逃げ惑う者には容赦なく矢を射ちかけたが、信西一門はすでに逃亡していた。




平清盛は熊野詣でに行く途中の紀伊国で京都の異変を知った。


動転した清盛は九州に落ち延びることも考えたが、紀伊の武将の協力で京都に帰京する。




一方、源義朝はクーデターのために隠密裏に少人数を集まったにすぎず、合戦を想定していなかった。


京都の軍事バランスは大きく変化し、信頼の優位は揺らぐことになる。




清盛は内裏が戦場となるのを防ぐために、六波羅に敵を引き寄せる作戦を立て、嫡男重盛と弟の頼盛が出陣した。


信頼の戦力は三条殿を襲撃した源義朝、源重成、源光基、源季実、信西らを追補した源光保らの混成軍であった。




この平治の乱、後白河院政下で藤原信西と平清盛の打倒を目論んだ藤原信頼であったが、平清盛によって鎮静されたのである。







歴史ついでに、




向こうに、こんもり見えるのが、「城の山古墳」です😀


「古墳時代」に、この北陸の地にも「権力」が及んでいたことをしめしています。







こっちは「越後平野」、「美田」が広がっていますが、その昔は、「紫雲寺潟」が広がってたとこです。




昨日また温泉に行ってきました🚘


新潟県北部にある勝木(がつぎて読みます😁)



「ゆり花温泉」






新潟県は「チューリップ🌷」も有名です😄





帰りに



「荒川ラーメンあしら🍜」


ここは、いつも混んでいて(当然うまいです😋)名前を書いて待つことに😅



それでは


あつし