みなさん、こんばんは


最近またユーチューブで昔のプロレスの試合を見てるんだけど、ジャンボ鶴田の試合も出てきてね(勝手に😁)


なので、今日はジャンボ鶴田(故人)のことを書いていこうと思います。


注 興味がない人はスルーしてね😄ちゅ💋




まず私が物心ついたとき、ジャンボ鶴田はすでにジャイアント馬場のパートナーとして全日本プロレスのリングにあがっていた。




ここでジャンボ鶴田のことを紹介しておこう。


ジャンボ鶴田、山梨県生まれ!


生まれたときは女の子のような出で立ちだったので、鶴田友美と名付けられる。


家は農家で、子供のころから家業を手伝わされ、小学6年の時点ですでに身長は180cmを超え。


高校時代はバスケット、大学時代はレスリングでオリンピックに出場。


しかしレスリングでは食べていけないため、大相撲に弟子入りするが、水が合わず。


そのあとはジャイアント馬場のスカウトを受けて、全日本プロレス入り。


若手時代は私はあまり知らないのですが、あの大きな体に柔らかい筋肉で海外遠征にも出て、


あのアブドラザー・ブッチャー、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディー、ハリー・レイス、ドリーファンク・ジュニア、テリーファンク、リック・フレアーなどとしのぎを削り、ジャイアント馬場のタッグパートナーに抜擢される。


私はジャイアント馬場とジャンボ鶴田の一揆打ちはあまり見たことがないです。




そののち天龍源一郎が大相撲からやってきて、長州力らがジャパンプロレスを結成して、全日本プロレスと業務提携してきて、全日本プロレスのエースとして手腕を振るう。


天龍源一郎との「鶴龍コンビ」を解消のあとは、谷津嘉章と「五輪コンビ」を結成して、


三沢タイガーや川田利明が出てきてときは、厚い壁になり。




そんな中、ジャンボ鶴田に原因不明な体調不良が襲う。


病院での検査の結果、「B型肝炎」!


ジャンボ鶴田はプロレスを一旦休業して、入院生活に。


そのとき、このまま行けば、「あと2年の命」と医師に死の宣告をされてたらしい。


しかし奇跡的に肝臓は持ち直し、プロレスにも前座で復帰。


だがジャンボ鶴田がメインのリングにあがることは、二度となかった。




そんな中ジャンボ鶴田は第二の人生を模索していた。


プロレスをやりながらの大学での研究、大学の臨時講師!


その間ジャイアント馬場は、試合数の減ったジャンボ鶴田に、以前と同じだけの給料を振り込んでくれていたらしい。


このときジャンボ鶴田は結婚をしていて、3人の子宝に恵まれいた。




そんな中、病気は治ったと思っていた鶴田に、夫人が検査を受けることを進める。


検査の結果はあまりよくなく、肝臓の移植をしなければ、あと2年の命と。


ジャンボ鶴田は肝臓のドナー登録をし、海外での移植の手術のほうが頻繁にされているので、一家でオーストラリアに引っ越すことに。




しかし運命に導かれるように鶴田は東南アジアでの肝臓移植の手術を決意し、その最中での出血多量で帰らぬ人に😞




私はジャイアント馬場さんが1999年に逝去されたあと、ジャンボ鶴田が引退すると思ったんだよね。


それで鶴田は、あと1年の命だと。


そうしたらテレビのニュースで、「全日本プロレスで活躍したジャンボ鶴田さんが移植手術先の東南アジアの病院で、手術中の出血多量で亡くなりました」との知らせを受けたんだよね😞


あんなに強かったジャンボ鶴田も、運命には敵わないんだなぁと。


で私は人の運命まで予想することができると思いました😵





今日はここまで😁


ジャンボ鶴田さんの御冥福をお祈りしますm(__)m







追記


今日は新潟県北部の「勝木ゆり花温泉」に行ってきました。


その帰りに




荒川ラーメンあしら、へ🚘


味噌ラーメンとレバニラ定食

腹いっぱい😋


それでは

あつし