「人間の一生は短いようで長く、長いようで短い。その中で俳句は私にとって全生涯の拠り所でありました。この「俳句集成」を上梓するにあたって人生最後の日々を大切に綴って行きたいと思います」。
令和4年2月27日、稲畑汀子先生が亡くなられた。今、手元にある『稲畑汀子俳句集成』(朔出版)の「あとがき」には前記のような記述がある。先生はこの一冊の完成をまたずに天に 召された。全生涯、俳人としての八十年間の5398句を収録。詳細な「年譜」と岩岡中正氏による「句集解題」にたすけられながら、今回、この分厚い一冊を読了した。
俳句界の巨星高濱虚子の孫、父もまた俳人の高浜年男、叔母に星野立子、日本最大の俳句結社「ホトトギス」名誉主宰、日本伝統俳句名誉会長、有季定型、花鳥諷詠、客観写生の旗手、と聞いて人々がイメージする人物像はどんなものだろうか。日本古来の歴史を遵守し、格式を重んじたやや堅苦しい印象を持たれる方も少なくないのではないだろうか。
通読して真っ先に気が付いたのは、意外なことに「車の運転」に関する句が大変多いことだ。自らハンドルを操り、日本各地を飛び回る。和服に草履姿ではない。とにかくアクティブなのだ。直接「運転」と詠み込まれた句だけでも軽く二十句以上ある。
運転の夜露に暗き灯をなげて
運転のときに野遊めく心
運転の春着草履を履き替へて
運転の際はサングラスも愛用されていたようである。
運転のためには別のサングラス
この「サングラス」の句も非常に多い。
サングラス涙をかくすこともして
明眸と思はせてゐるサングラス
山を見し目で海を見るサングラス
「運転」「サングラス」と同様に多いのが「日焼」の句。
運転のわが日焼けたるまだらかな
日焼気にしてゐては旅楽しめず
健康の証のほどに日焼して
三句目のように「健康」と直接詠み込まれた句も多い。カウントしたところ「集成」中、十数句あった。
いそがしきこと健康に年の暮
新涼に健康戻ること早し
短夜を短く寐足り健康に
わが汗の匂ひ健康なりし旅
「汗」の句も多数ある。
ハンドルの汗を拭ひて地図を見る
汗はすぐ引くものとして装はん
心地よき汗となりゆく風の中
サングラスをかけて颯爽と運転し、灼けた素肌に健康的な汗、そこに「伝統俳句」の語のみから受ける古臭く堅いイメージはない。父高濱年男から「ホトトギス」を引き継いだのちの生活は想像を絶する多忙さで、年譜に軽く目を通しただけでもこちらが眩暈を覚えるほどだ。昭和52年、高濱年尾脳血栓、半身不随の後のくらしを第二句集の「あとがき」に語っている。「雑詠欄、地方の句会の指導などはすべて微力な私の方にずしんと覆いかぶさって来たのである」「ずっと父の手助けをして来た私であるが、選者としての父を頼りに自由に句を作って来たそれ迄の立場とは変わって誰も頼れず、ひたすらいい句を作ることで自分自身を磨くしかない立場に身を置いた苦痛は言葉には尽くせないものがあった」。
昭和54年夫急病、同年父死去、55年夫死去。
「この間、私は仕事をすべて夫の病床のわきの看護ベッドの中でやってきた」。
悲しみにひたる間もなく、次々と仕事が多いかぶさり、息つくひまもない。年譜によれば汀子は十八歳の時、肺浸潤のため一年間の療養。翌年入学した聖心女子大学も中途退学している。そのため自身の健康にはひたすら気を配ってきたに違いない。わずかな暇を見つけては仮眠を取っているのが作品からも伝わってくる。忙しさのため、急激な睡魔に襲われることもあったようだ。
寐たりしを心に告げて冬の旅
朝寐してとり戻したる力あり
昼寐するほかなき睡魔身ほとりに
目つむれば睡魔ふとくる緑蔭に
行くべきところには自らの足で行き、汗や日焼けも厭わず、時には忙しさによる疲れや眠気とたたかいながら全国各地の句会の指導や大会に赴く。それはまさしく、カトリックの洗礼を受けたクリスチャンである汀子の「俳句の伝道師」たる求道的な姿そのものである。
(続く)
(「滝」2022.7月号所収)