志村けんさんがいなくなって、はや3年。生存説が出るなどしたが、もちろんデマであった。しかし、僕らの心の中にけんさんは生きている。



テレビでドリフターズのコントを見て育った僕ら世代にとって志村けん さんは、仲間やクラスメートのような存在でもあり、ヒーローでもあった。


特に学校コントに出てくるけんさんは、クラスの

中のおちょうし者、悪ふざけばかりしている 志村であり けん であった。小学生の頃はそんなこともあって皆んな親しみを込めて 志村 と呼んでいた。


土曜日の夜8時。8時だよ全員集合が始まると

毎週、ブラウン管テレビの前で笑い転げていた。


そして次の月曜日の学校での話題はもちろん、全員集合でのコントや志村けんのギャグであった。

皆んなで競い合うように志村けんのギャグを真似ふざけあったことを覚えている。



メインのコント、途中の歌手やアイドルを交えての合唱や体操、後半部分も全て面白くて小学生ながら一週間の学校でのストレスを笑い飛ばすガス抜き番組にもなっていた。


番組中では世相を反映するのも早くて、ノーパン喫茶やビニ本といった言葉は、ドリフから学んだと思う。また、会社コントなどを通して社会人がどういったことをしているのかを、志村けんさん演じるサラリーマンを通して学ぶ場でもあった。


今思えば、当時の志村けんさんは笑いに関してとてもストイックであったのだと思う。というのも素の姿を一切見せないもんだから、志村けんは常にふざけてばかりいるとんでもない人だと子供心に思っていた。そういった意味では、志村けんを演じることに徹底していたのだろう。


8時だよ全員集合の打ち切りが決まりその後、どうなるのだろうかと思ったが、かとちゃんけんちゃんご機嫌テレビ という名前の番組が始まった。

ここで、初めて志村けんさんの素に近い姿を知ることになった。本当は、きっと真面目な人なんだ、。


3月に入って少しずつ暖かくなり、ここのところはコロナ禍からの出口も見え始めた感があるこの時期に、ふと志村けんさんのことを思い出した、。あれからもうすぐ、3年。


子供の頃の僕らのヒーローはいくつになってもヒーローのままである。