一部改定しました_(_^_)_
迹驚桜

長崎から福岡へ帰省中に温泉に浸かろうと東脊振ICで下車します。普段通らない道を無意識に右折しました。直ぐに誘導されたと気付きました。左右をキョロキョロしながら徐行していたら!
 
  
 
ヒヨコ妄想活動を続けているとキョロキョロん!みたいな感じで微妙な違和感に気付く様になるんです。
 
 
  
 
上石動天満宮
佐賀県神崎郡吉野ケ里町石動 

(゜゜)ビカー!
正面に煌々と光り輝く社が出現します!上石動天満宮の夜桜です。
 
 
  

ラブワアーーキラキラ思わず声を上げました。
 
 
 
 

祀神は『菅原道真公』です。上石動天満宮は、下石動天満宮と共に、年に1回は参拝しています。直ぐに祝福されたと直感しました。
 
 
 
 

境内は桜のジュータンが敷かれます。境内は私一人です。幻想的な空間を独り占めにしています。贅沢な一時でした。
 
 
 
 

田舎の小さな神社でしか味わえない風流です。幻想的な世界でした。
 
 
 
 

境内の末社には沢山の神々様が鎮座なされています。皆様に心から御礼を申し上げました。
 
 
 
 

夜桜は『ご褒美♪』みたいです。しかし菅原道真公に褒めて貰える様な事をしたのだろうか?上石動天満宮の主祀神は菅原道真公です。神霊は素戔嗚命と認識しています。
 
 
 
 
数日前にも鎮西大社諏訪神社でも歓迎を受けたんです。末社の厳島神社に祀られる市杵島姫命と願掛け狛犬の祠に祀られる弁財天尊からです。
 
 
 
鎮西大社諏訪神社

厳島大祭に招待されたんです。出勤中に諏訪神社に行こうと急に思い立ちました。するとドンピシャのタイミングで式典に遭遇します。部外者なのに氏子さんに紛れて参加しました。
 
 
 
 
厳島神社の楠木 

不思議な光景を目にします。蛭子社で稚日女様にご挨拶をしていたらキョロキョロ!?楠木の葉が急に一斉に落ちてきました。
 
 
 
びっくりガサガサ!と音が響く位の量の落葉です。纏めて落ちてきました。楠木の上で一羽のトビがぐるぐる飛び回っています。明らかに普通じゃない空気です。なんだ!?と近付くと!
 
 
 
 
ラブ祭壇が設けてありました。

紙垂(シデ)がクルクル扇風機の様に回ってます。右のみです。左の紙垂は動きません。紙垂=しめ縄にぶら下がっている白紙です。
 
 
 
式典が終わった後に、改めて独りでお参りをしました。あたり前ですが紙垂はピクリとも動きません(笑)。『呼んで頂きありがとう御座いました♪』と伝えたら!両方の紙垂がクルクル回りだしました。ラブわー♪
 
 
素直に嬉しかったです!
 
 
 
 
 
 
幻想的な夜にほろ酔いました♪ 

 




(・_・)祝福される理由は?

3月末から今日までの妄想活動を振り返ります。大祖神社⇒大門神窟⇒塩土神社⇒志登神社⇒細石神社⇒築山古墳⇒徳満宮⇒高祖神社⇒瑞穂岩戸水神⇒岩戸神社⇒老司神社⇒箱池⇒伊勢ノ宮神社⇒祓戸神社⇒鎮西大社諏訪神社⇒玉園稲荷神社⇒上石動天満宮⇒羽黒神社⇒伏見神社です。青字がターニング・ポイントの様な気がします。
 
 
  
 
高祖神社(たかす神社)
福岡県糸島市高祖

 
思兼神社

 
 
祀神は八意思兼命と思ったら!?

 
菅原道真公が思兼神とされています。

知恵の神様である八意思兼命も学問の神様とされます。菅原道真公が思兼神と表記されています。思兼命は阿智王の子孫です。
 


思兼命と菅原道真公の関係は?

   
光武帝(後漢初代)

東漢氏の始祖が初代後漢王の「光武帝」です。後漢は14代献帝(けんてい)の代に滅びます。西暦220年の出来事です。後漢の王族=東漢氏(やまとのあやうじ)=阿智王は第12代後漢王である霊帝の曾孫とされます。祖国を失った阿智王は289年に倭国に亡命します。渡来後は東漢氏と名乗り蘇我氏に従いました。
 
 
 
  
金印の秘密 
奴国の大幡主に「漢委奴国王」の金印を与えたのが後漢初代帝の光武帝劉秀(西暦6年〜57年)と言われますが、金印が授与された時代は西暦57年です。光武帝が崩御した年なので二代目の明帝劉荘かも知れませんね。新帝に従属を誓う挨拶に行って金印を貰ったのか?
 
 
  
主君(後漢王)の子孫が、かっての子分(従属国の倭国)に亡命した事になりますね。阿智王は倭国の聖人君子を頼り渡来しています。聖人君子とは金印を授かった奴国初代王の『大幡主』と思いましたが既に大幡主は存命しません。



大幡主が生きた時代から200年近く経過しています。倭国の情勢も大きく変わってます。当時の有力者である武内宿儺を頼ります。
 

 

炎帝
しかし武内宿禰が聖人君子とは思えません。大幡主の伝承を求めて来たが、情勢の変化を悟り蘇我一族に従ったのでは?雲南の白族(阿蘇国造)の大幡主は炎帝神農の子孫と思われます。炎帝神農=蚩尤=牛頭鬼(馬頭鬼)=牛頭天王(馬頭天王)=馬頭観世音=鬼とされた国常立尊。



肥国←火国の原初は炎帝が由来なのかも知れませんね。炎帝神農は薬の神様です。少彦名命に通じます。少彦名命は蛭子大神(ヒルコ・ヒルメ)=日子=太陽神に通じます。大日女、稚日女命、饒速日命(天照皇大神)の日に通じます。



黄帝に味方して炎帝を滅ぼしたのは西王母様です。埴安彦命(大幡主)の謀反を示したとされる倭迹迹日百襲姫の逸話が気になります。西王母様と倭迹迹日百襲姫は関係があるのか?木花咲耶姫の存在も脳裏にチラチラします。



  
思兼神と菅原氏
別名で思金神、常世思金神、常世思金神、思兼神、八意思金神と表記されます。阿智王を始祖とする東漢氏です。更に遡れば後漢王の血筋です。
 
 


菅原道真公の始祖は天穂日命です。子孫が埴輪を焼いた野見宿禰を始祖とする土師氏です。高祖神社を庇護した原田氏も阿智王の子孫です。
 

  

原田氏の前身は大蔵氏と言われます。筑前・豊前・肥前・壱岐・対馬を納める管領職を務めました。平清盛公と縁戚関係を結び太宰少弐に任官された大豪族でした。
 

 

源平合戦時では迹驚岡(現安徳台)で安徳天皇を匿います。その原田氏は菅原氏の子孫と言われます。ならば菅原道真公も思兼命と同じく阿智氏になります。思兼命と菅原道真公は先祖が、後漢の初代『光武帝』の血筋でつながる事に成ります。直血かは不明ですが大筋の流れです。

 
 
 
 
吉祥天尊
楓社:島田宣来子(しまだののぶきこ)
大宰府天満宮末社の「楓社」です。菅原道真公の正室が祀られています。大宰府天満宮を参拝する時は本殿を参るより先に楓社をお参りします。本殿内に入る参拝者を(-_-)ジーッと静観しています。
 
 
 
 
年間1千万人の参拝者が訪れる太宰府天満宮ですが、恐らく99.9%以上の人が素通りしています。正月は家族四人で参拝しますが、他に参拝者を見たことがありません。先に奥様に挨拶するのが世当たりの上手の鉄則です。願いを優遇する様に道真公に口添えして下さるかも(笑)。太宰府天満宮を訪れた際は先に奥様にご挨拶ですよwww
 

 
 
菅原氏は吉祥天尊を祀る一族 
菅原道真公と吉祥天尊は深いご縁があります。菅原家は先祖代々吉祥天尊を信仰してきた氏族です。菅原道真公の妻である「島田宣来子」は吉祥天尊と習合しています。母親も同様で吉祥院と呼ばれます。太宰府天満宮の楓社に島田宜来子様が祀られます。吉祥天尊=瀬織津姫です。




吉祥天尊には妹の黒闇天尊がいます。黒闇天尊は閻魔大神様の妻とされます。閻魔大王様も国常立尊の分霊です。国常立尊は天之御中主神の分霊と言われます。創造神です。もう一人の創造神が暗黒神です。創造神の光と闇のお姿です。人類の進化の為に光と闇に分離したが人生ゲームの真相です。姉を嵌めたとされる黒暗天尊。実は吉祥天尊と黒闇天尊も1つなのでしょうか?


  
  
毘沙門天尊(饒速日命)の妻である吉祥天尊は「瀬織津姫命」です。吉祥天尊の母親が鬼子母神です。鬼子母神は乙姫様です。菅原道真公の幼名は「吉祥丸」です。地球さんから私は毘沙門天の神霊を宿すと教わります。



私の名前の一字が『』です。コレを知った時は驚きました。父に名前の由来を聞くと「京都の高僧に命名を委ねたから知らん♪何か言いよったが忘れた♪」そうです。ムキー可愛い息子の名前くらい自分で名付けんかい!
 
 
 
 
 
羽黒神社
福岡県福岡市南区桧原 

赤橋を渡り鳥居の手前を右に進むと、古い石碑が存在します。桜の木の下です。

 
 

庚申塔だと思います。以前は橋が無くて柏原小学校側が参道入口だったのか?横参道だったのだろうか?横参道は神を封印する術とも言われます。真っ直ぐ通れない事で神が外に出ない様に封印する細工なんだそうです。
 

 
 
 
 
壱の鳥居

鳥居の神額に◯◯◯大明神と彫られています。社名が削られています。羽黒大明神?大己貴大明神?大国主大明神?地録大明神?否です。
 
  

はじめは埴安大明神と思いました。柏原の埴安神社の元宮と思いましたが、記述によると旧埴安神社は南の山手に存在したと記述されます。方向が違います。元宮が存在した場所は、現在の柏原3丁目の柏原南公園の様な気がします。
 
 
 
 
大日孁貴神
3文字目が安と女で迷いました。そして1文字目が大です。『大◯女大明神』と読み取れます。『大日女大明神』か『大日孁大明神』と推測します。
 
 
  
犯人は?
誰が削ったのか?普通の人では畏れ多くこの様な所業は出来ません。近年でこんな事をするのは明治政府くらいしか思い浮かびません。
 
  

 
神木の楠木

大きな楠木です。羽黒神社の神木です。神殿から随分と離れた場所に生息しています。


  

 
 
 
神殿跡

中間地点に何か存在します。神々しさを感じます、神殿跡の石碑が鎮座しています。
 
 
 

先程の楠木のはココに存在した神社の神木です。羽黒神社の神木にしては遠すぎます。
 
 
 
末社跡だろうか?

末社が鎮座していたと思われます。埴安神や菅原道真公ら地録・天神系と感じます。

 
 

 

昭和55年に空襲で消失した羽黒神社は創建されたそうです。しかし福岡市内から離れたこんな山地に米軍は焼夷弾を落とすのか?
 
 
  

柏原地区は昭和55年頃から造成工事が始まります。現在はマンションや住宅が立ち並びます。柏原古墳群は消滅しました。地元の人達が再開発を認める条件に神社復興を要請したのかな?
 
 
 
 
柏原地区再開発 

上段=昭和53年の風景

中段=昭和63年の風景

下段=平成23年の風景

 

 

 

30年間の変化が確認できます。中断の中央の白い建物が柏陵高校です。丘陵が切土され柏原古墳群は住宅地に変わりました。

 

 



柏原古墳群 

羽黒神社の北側に桧原運動公園があります。この一帯も桧原古墳群や太平寺古墳群が発見されました。製鉄所跡も発見されています。樋井川からは水銀も検出されます。

 
   
詳しくはコチラをご覧下さい。当然ですが縄文や弥生期の時代には触れてませんが😁

 
 
 
 
境内から見下ろした写真 

階段は新しく造成されたと感じます。まさか草部吉見神社の様に下り参道だったとは考えにくいです。もしも下り参道の上に、横参道だったら最強の封印神社です。よほど表に出したくない神が祀られている事に成りますwww
 
 
 
 
羽黒神社神殿

祭神は大己貴命(大国主)とされます。
 

亀甲紋が確認できます。亀甲紋は初代奴国王の「大幡主」の神紋です。大幡主の孫娘である市杵島姫命も亀甲紋を使用します。市杵島姫命の夫の大国主も亀甲紋です。
 
 

亀甲紋の中の大は大幡主の大です。醤油のキッコーマンの創業者も関係があるのかな?
 
 
 
千木に注目して下さい♪

大国主を祀る神殿なのに千木(チギ)は女神を示しています。何でだろう😁
 
 

神殿は女神が祀られています。大日女大明神が祀られています。大日女大明神とは?稚日女命ではないだろうか?天照大日孁貴です。
 
 
 
千木  
 
 
末社 

祭神は菅原道真公とされます。那珂川市には天神社がたくさん存在します。正確な数は判りませんが、把握するだけで7社存在します。祀神は全て「埴安彦命」とされます。
 
 
 
 
道善天神社
福岡県那珂川市道善
祭神は埴安彦のみしか表記されませんが、神殿を確認すると『埴安彦命・天照大神・菅原道真公』の三柱が祀られています。埴安彦命=大幡主、天照大神=伊邪那美命
 
 
 
 

綾部神社の祀神は八幡神、住吉大神、火具土大神、風神大神(級長津彦神、級長戸辺)とされます。紐解きます。大幡主=八幡大神=住吉大神=火具土大神=埴安彦命です。要するに天神社と同じ祀神です。


 
 

神殿の横に花見が出来そうな敷地があります。
 
 

森林に続く入口があります。
 

神秘的な空間に導かれます。木の神様が存在するかの様です。久久能智命=木俣神=御井大神=五十猛命でしょうか?森の中で参拝します。

 
 

 

 

 

 
 
森を向けると花畑園芸公園に出ます。

 

 
 
 
 
 
3年前はNG 
3年前に羽黒神社を初参拝した時は以下の様に写真の画像が乱れました。撮影した時は問題なかったのですが、家に帰ると画像が乱れていました。スマホに異常はありません。羽黒神社の写真だけで前後の埴安神社と五社神社の写真は乱れていません。間の羽黒神社の写真のみが乱れます。
 
 
 
森の中を撮影
 
羽黒神社神殿から横の敷地を撮影 
 
赤橋から楠木を撮影
以外の写真は全て真っ黒でした。当時はNGだったんです。明かしたら駄目だというサインです。
 
 
 
 
 
稚日女命(わかひるめ命)
羽黒神社に鎮座している真の女神は稚日女命です。別名に若日女、若姫、丹生都姫、下照姫と数多の名で呼ばれる姫です。ワカヒルメ=ヒルメ(ヒルコ)=蛭子大神=少彦名命=弥勒大神。
 
 

古事記や日本書紀の内容はデタラメと地球さんに聞かされます。先入観で真実が見えなくなるから読まない方が良いよ♪と言われています。それに基づいて研究される考古学も同様です。西暦300年以後に創建された神社も神話に沿って創作された物が多いです。関西圏の神社や地名がそうです。追求すると混迷する呪術の様な物です。
 
 


 
迹迹日百襲姫
倭迹迹日百襲姫(倭姫命)とも同一人物です。いや別人だと言われる意見も正解です。倭迹迹日百襲姫=神功皇后と思われますが二人います。ストレートに伝えます。本物と偽物がいます。
 
 
 

迹驚岡 (とどろきの岡)

◯は裂田神社

 

 

 

倭の奴の王国

倭迹迹日百襲姫の迹とは?奴国の王都である山田に位置する『迹驚岡(トドロキの岡)』の迹です。迹=大いに驚く意味です。




迹驚岡は9万年前に噴火した阿蘇山の火砕流が堆積したものです。距離は130kmです。物凄い大噴火だった事が想像できます。九州の生物の殆どが死滅したみたいです。後に素戔嗚命や五十猛命らが木の苗を植えて行きました。

 

 

 

安徳台に隣接するカワセミ公園に駐車場があります。駐車場から徒歩で10分程度で高台に到達します。安徳台は私有地の様ですが自由に見学する事が出来ます。安徳天皇の祠も鎮座しています。
 
 
 


高台を登れば平原です。

 

 

 

迹驚岡の内部

 

 

迹驚岡から福岡平野が一望できます。遠くに奴国の聖地である志賀島が見えます。那珂川と裂田の溝の御蔭で大稲作地帯と化しました。


 

 



正に高天原ですね(^_-)-☆


  

 

 

 

裂田の溝を建造したのは神功皇后です。

 

 

 

 

 

裂田神社


祀神:神功皇后

神殿は古墳の前に建っている様に思えます。でも神功皇后の古墳では無いと思います。
 

 

   

  

複数の情報を合算すると以下の図式が形成されました。正否は不明ですよ(笑) 


 

 

稚日女命

倭迹迹日百襲姫(倭姫)=織姫=若日姫(若姫)=丹生都姫=下照姫=高津姫=天照大日女=大日孁貴神=ヒルメ=ヒルコ=少彦名命=淡島神=蛭子(恵子)=日巫女(ヒミコ)=火巫女(ヒミコ)=肥巫女(ヒミコ)=太陽神の巫女=速日国別の巫女=饒速日命の巫女である瀬織津姫命です。饒速日命と瀬織津姫も通名(役職・神職)なので共に複数人存在します。ヒミコも同様です。卑弥呼は別人と思われます。私は妄想活動において『卑弥呼』に出逢った事がありません。

 


 



 

日巫女(初代神功皇后)

日巫女は謀略により命を落とします。ヒルコ(ヒルメ)となります。海に流される=海の向こう朝鮮半島で消息を絶ったと思われます。半島の何処かに眠ります。本物の神功皇后は朝鮮に眠っているよ♪と地球さんから聞いております。地球さんに逢いに来た御本人が泣く泣く伝えた事です。




 日巫女(神功皇后)

日巫女は謀略により命を落とします。お腹の子も亡くなります。日巫女が卑弥呼にすり替えられました。つまり倭国が乗っ取られました。黒幕はこの時期から台頭した一族です。

 

 


 

卑弥呼(2代目神功皇后)

仲哀天皇の皇子である香坂王や忍熊皇子を討つた神功皇后です。クーデターに成功します。妄想活動中に1度も感じた事が無いので、九州圏外に住んでいた卑弥呼と思います。



  

2代目神功皇后(卑弥呼)

ガーン顔が怖いっすガーン私が知っている神功皇后とは別人です。子供も仲哀天皇の御子ではありません。懐妊の神話もデタラメです。あんな石ころで出産を延ばせる筈がありません。日巫女とは別人(卑弥呼)が、仲哀天皇とは別人の子を宿します。普通に10ヶ月と10日前後で出産しました。





人間は誰もが神霊を宿しています。私の場合は毘沙門天尊(饒速日命)ですが、実は他の神霊も潜んでいます。自分のブログを読み返すと女みたいだぞ!オカマか!と思う様な文面があります。人が宿す神霊は一柱とは限らない様ですね♪




2018年の12月から長崎市での単身赴任が始まります。19年から不思議な事が起こり始めます。20年に使者が部屋に訪ねてきました。私は爆睡してたので7歳の次女が応対します。12月に仲間を不慮の事故で失いました。そこから一気にギアが上がった様な気がします。


 

21年の誕生日に白龍と融合します。そこから動きが激しくなります。それから3年間は命の赴くままに行動しました。色んな方々の御力添えを頂きました。

 
  
子供の頃に地球さんから真の神功皇后が苦しんである事を聞かされました。地球さんは詳細は語りません。人間力で気付かないと解けなかったのでしょうか?妄想力が覚醒してからは地球さんと逢えなくなりました。コレにも意味があると理解します。私が確信に迫る事を質問するからだと思います。地球さんは嘘はつきません。しかし質問に答えるとルール違反になります。😄ですよね?
 



伏見神社
福岡県那珂川市山田
夜分遅くに訪問して申し訳御座いませんでした。ご無礼お許し願います。伏見神社は京都の伏見稲荷大社の元宮です。神狐は祀られません。代わりに白ナマズが祀られます。白ナマズ=白龍。主祀神は淀姫命と、もう一柱女神が鎮座します。



日巫女
伏見神社の頓宮である高津神社(高津稲荷神社)には『豊受姫大神』が祀られています。高津姫命=下照姫命=稚日女命=倭迹迹日百襲姫でしょうか?




淀姫命(ヨドヒメ命)
①淀姫命=與止姫(ヨド姫)=与止姫(ヨド姫)=豊姫(トヨ姫)と②の女神のお名前がダブって見えるのは気のせいだろうか?②の女神とは宗女の『台与』です。壱与(イヨ)=壹與(イヨ)です。倭国の男王を継いだとされる巫女です。




似てません?
①豊(トヨ)=②台与(トヨ)、①止(ヨド)=②台(トヨ)と壱(イヨ)、①止(ヨド)=
②壹(イヨ)



淀姫=豊姫=豊日(トヨヒメ)=豊日別。雲仙四面国の『豊日別』は淀姫命かな?次回に説明しますが、四面の豊日別は、豊前や豊後ではありません。そうなるは後世の話です。似ているのは名前だけじゃなくて、男王の跡を継いだとされる『台与』と河上猛命の跡を継いで河上大明神となった『淀姫命』の生い立ちが似ています。



伏見神社には、倭迹迹日百襲姫(大日孁尊=日巫女)と淀姫(台与)が祀られます。淀姫様は建御名方神と奈留多姫(八坂刀売神)との間に誕生したウガヤフキアエズである河上猛命の妹君です。淀姫様も母親の奈留多姫や祖母の雨宮姫命と同様にナマズを使役する海人族の乙姫様です。



いつも見守っていただき有難う御座います。ラブ伏見神社で不思議な出来事がありました。アレはどちら様だったのでしょうか?



おわり
はぐれ烏369