今日わ
柏原杯
元日本代表の上野由岐子さんの父親や母校のOB・OG達が主催する中学女子のソフトボール大会です。今年が23回大会。コロナで3年間中止になったので26年前から続いています。
ボランティア運営
現役の父兄が大変です。協賛金の依頼、学校関係者や民生委員との協議、参加校選出案内、プログラム作成、会場や駐車場の確保、弁当手配、審判確保、当日の会場設営、誘導、運営と数か月前から上野氏やOB・OG会と協議を重ねます。
妻は会計を任されます。この2週間は運営業務に追われていました。連夜遅くまでパソコンとニラメッコしてました。妻も娘の為ならばと頑張っています。私は長崎で単身赴任中なので、協賛金の寄付で協力させて貰います♪
大会2日目(花畑小グランド)
残念ながら惨敗です😅
次回頑張ろう♪
次女も姉の背中を追いかけて、ソフトボール部に入部しました。バットも握ったことが無いドシロートですが、消化試合なので打席に立たせて貰えました。
構えがクワを持った百姓一揆です!何とかバットに当てます。2塁走者の長女が隙を付いて帰塁しました。姉が妹の初陣に打点をプレゼントしました。姉妹が協力する光景を目にすると感慨深いモノがあります😂
4月の中頃から空気が変わりましたよね。私は良い方に変化した様に感じます。霊体エネルギーが増した様にも感じるのですが気のせいかな?
妄想スタート!
誤字脱字はスルー願います(^_-)-☆
建御名方神の【建】とは?四面宮の建日別を示します。建日別=熊曾国です。
天忍穂耳命(アメノオシホミミ)
草部吉見神社:熊本県阿蘇郡高森町
祀神は日子八井命(彦八井耳命)は神武天皇の第一子とされます。正体は天忍穂耳命です。両親は素戔嗚命と天照大神とされます。伝承通りならば神武天皇=素戔嗚命となりますが🤔?
天忍穂耳命は建御名方神の父と噂される神です。風神の級長津彦命とも言われます。沢山の呼名はあるのですが混乱するので控えます。
国龍大明神
栲幡千々姫命(速秋津比売神)
高津神社:福岡県那珂川市山田
伏見稲荷神社の元宮である伏見神社の頓宮が高津神社(高津稲荷神社)です。画像は元祖天才『日巫女様』のソーラーパワーなのだ
天忍穂耳命の妃が栲幡千々姫命(速秋津比売神)です。またの名が風神の志那都姫や織姫とされます。オヤジ狩りぞ!今年も彦星をボコるぞ♪
八意思兼命
速秋津姫には思兼命という兄貴がいます。建御名方神の叔父にあたります。建御名方神は叔父に追随して乱を起こした筈ですが!?建御名方神の叔父=八意思兼命が正しいのなら思兼神はあの御方なのか?もしくは別に兄弟が居たのだろうか?
天満大自在天(菅原道真公の荒魂)
菅原道真公は知恵の神である思兼命の化身とされます。祟神と化した菅原道真公が天満大自在天です。破壊神シバが仏教入りした姿です。
八意思兼命=天満大自在天=菅原道真公=素戔嗚命=長髄彦命?=天津甕星?
🤔うーん?天児屋根命、罔象女神、天之鈿女命との関係が、、、因みに劣勢に立たされた長髄彦が最終決戦の地に選んだのが吉野ヶ里です。遺跡から首が無い等の損傷が激しい遺骨が発掘されした。長髄彦命の乱の犠牲者です。
阿蘇国造神社
建御名方命の両親である栲幡千々姫命と天忍穂耳命=織姫と彦星です。そして風神です。
手野の夫婦岩
宮川の辺に手野夫婦岩が鎮座します。奥に見えるが国造神社の末社である手野金毘羅神社。宮川を挟んだ手前に国造神社が鎮座します。まるで天の川を演習してる様です。
手野風宮神社(阿蘇国造神社末社)
阿蘇国造神社の末社として風宮神社が鎮座します。国造神社にも天忍穂耳命と速秋津姫命(栲幡千々姫命)が鎮座します。
志那都彦命=天忍穂耳命。志那都姫命=速秋津比売神(栲幡千々姫命)
父=饒速日命
饒速日は個人名では無いので複数人の存在します。饒は豊かな地を表します。饒=肥=肥国です。速日別=火国=肥国=実り豊かな日国=太陽国の盟主。天忍穂耳命=草部吉見神=志那都比古=彦星=彦八井耳命、、、
母=瀬織津姫命
瀬織津姫命も称号です。饒速日命を補佐する巫女。日国の巫女=火国の巫女=肥国の巫女⇒太陽神を支える日巫女=志那都姫=織姫=栲幡千々姫命=速秋津比売神=豊受姫大神
その他
伯父=八意思兼命(長髄彦命?)
妻(乳母)=玉依姫命
妻=八坂刀売神(奈留多姫命)
子=川上猛命、淀姫命etc
肥前(火国)
肥前(佐賀県、長崎県)には建御名方神の痕跡が点在します。佐賀大和の川上峡や杵島郡は熊曾の拠点でした。又佐賀県内には数多の淀姫神社の鎮座しています。淀姫命は建御名方神の娘です。佐賀県武雄市の武=建=建日別=熊曾を連想します。
淀姫神社(古湯)
佐賀県佐賀市富士町大字古湯
建御名方神が隠されています。
明治10年頃に諏訪神社に、淀姫神社が習合されました。なのに習合された淀姫神社の社名が表になり諏訪の社名が消されます。更に奇妙な事は諏訪神社の鳥居や神額は残されているのに、祀神から建御名方神明らかに変ですよね😅
建御名方神を消した犯人は!?古湯淀姫神社の真祀神は建御名方神と玉依姫命です。
淀姫神社(伊万里)
佐賀県伊万里市大川町
佐賀県伊万里市大川町
祀神は淀姫命、建御名方神、菅原道真公(思兼命=天児屋根命=長髄彦命)。伊万里の淀姫神社にも建御名方神が鎮座します。
鳥居の神額は河上社とされます。淀姫神社の前身は河上神社です。淀兄である河上猛命の跡を淀姫命が継ぎ川上大明神を名乗ります。
火と水の融合
安曇氏は豊日別を治めるウガヤフキアエズの海人族です。建御名方神の母である万幡豊秋津姫命です。豊日別=豊秋津姫=豊国姫。火国(山一族)の王である天忍穂耳命と豊国(海人族)の姫である万幡豊秋津姫命が結ばれます。お二人の間に誕生したのが建御名方神です。火+水=日=太陽=鬼滅の刃の火の神神楽みたいです。
統一国家
建御名方神は建日別(熊曾)と速日別(肥国)国の血筋である天忍穂耳命。白日別(白族=大幡主の幡=奴国)と豊日別(ウガヤフキアエズ)の血筋である秋津姫命の間に誕生した事で、建御名方神の体には四面全ての血筋が流れます。四面宮が1つの国として統一されました。
倭建命(日本武尊)
川上猛命は女装した日本武尊に討たれます。女装して酒に酔いつぶれた川上猛の寝込みを襲った日本武尊に対して、英雄視して倭建命の称号を与えたと記されています。😥意味不明です。倭建命を直訳すると、倭国に所属する建日別(熊曾国)を意味します。日本武尊は熊曾なのか?
倭国大乱
魏志倭人伝の女王と戦う男王の国が『狗奴国』。狗奴国は倭奴国から分離しました。男王の女王の不平等な政治にブチギレた様です。狗奴国の男王である狗古智卑狗とは?久久能智神や建御名方神との関係が気になります。
本居宣長
諏訪神社の数は全国でも1万社を超えます。それだけ民衆に人気があった証です。「神功皇后」や征夷大将軍の「坂上田村麻呂」、戦国時代には天下を治めた「徳川家康公」や戦国一の軍神と恐れられた「武田信玄公」が崇拝した軍神です。あの様な無様な敗北が本当ならば祀る筈がありません。聴衆からの人気もありません。嘘の神話が浸透したのは江戸時代の中期です。1798年に本居宣長が書き下ろした『古事記伝』の影響です。
武内宿禰
武内宿禰の別名も建内宿禰です。建が付きます。武内宿禰も熊曾一族!?実は熊曾は一枚岩ではありませんでした。後に建御名方神の息子の川上健命が乱を起こします。川上猛命は諏訪に転封されます。日本武尊に討たれた神話も創作で川上猛命は殺されていません。母親の玉依姫命も責任を負い諏訪に移転します。玉依姫命は福岡県福岡市早良区に住んでいたと思います。現在の賀茂神社(早良区賀茂)〜諏訪神社(早良区原)付近だと思われます。賀茂神社も白いナマズが祀られていますよね。
太陽神
因みに素戔嗚命の別名は『建速須佐之男命』。建は建日別の熊曾国、速は速日別の速を示します。速日別は火国(肥国)です。現在の長崎県、佐賀県、熊本県、宮崎県。宮崎県は後に肥国(火国)から独立します。建速須佐之男命とは肥国(火国)と熊曾国を束ねる王です。
そして肥国の肥=豊穣を表します。肥=饒=豊穣=饒速日命=肥えた肥国(火国)の王です。饒=肥、速日命=肥国(火国)です。
369神
369の世に近付くに連れて真実が明らかに成ってきますよ♪つい最近までは邪神が世の中を統治していました。ならば今までの神話や歴史で優遇されている存在は邪神サイドです。
鎮西大社諏訪神社
長崎県長崎市西山
出社中の車内で諏訪神社に行こうと思い立ちました。いつも感覚頼りの行動です。
諏訪神社の狛犬さんは立派なんですよ♪ 写真より実物の方が遥かにカツコイイ!
重厚で強く優しい狛犬さんです♪
諏訪神社にお参りする時はいの一番にご挨拶をします。
日吉社
滋賀県の日吉大社は全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社。祭神は西本宮が大己貴神(大国主)、東本宮が大山咋神。通称「山王権現」とも呼ばれます。しかし鎮西大社諏訪神社末社の日吉社の祭神は違うんですよ(・・?
少彦名命とは?
祀神は少彦名命とされます。同じく末社の蛭子社の祭神も少彦名命とされます。諏訪神社では少彦名命=日子(蛭子)大神=弥勒(369)大神と伝えています。
蛭子社
野波神社
野波神社の末社である淡島神社
佐賀県の野波神社は神功皇后の神社です。境内に淡島神社が祀られます。祀神は少彦名命です。社を覗くと毘沙門天尊と天照皇大神の札が祀られます。少彦名命=毘沙門天尊=天照皇大神が真であるならば、少彦名命=毘沙門天尊=天照皇大神=猿田彦大神=大山咋命になりますが!?
淡嶋神社・乙宮神社
長崎県長崎市の淡嶋神社の祭神は少彦名命です。境内には慈愛菩薩観音が鎮座します。母親の様に少彦名命に微笑みかけています。隣接して淡嶋神社を見守るように乙宮神社が鎮座します。祀神は乙姫様=鬼子母神=慈愛菩薩観音と思ったら?荒ぶる神の「素戔嗚命」ですwww
慈愛観音菩薩と少彦名命
女神磐
淡嶋神社の目下に鎮座する「女神磐」です。特に名称が無い様なので、私が勝手に「女神磐」と呼んでます。姫が上陸している様に見えませんか?
日吉神社
福岡県那珂川市一ノ瀬
祭神=天御中主神・大己貴神・彦火々出見命
福岡県那珂川市の日吉神社(山王宮)にも大山咋命の名前がありません。代わりに天御中主神と彦火々出見命が鎮座しています。天御中主神=大幡主=国常立尊神を示します。彦火々出見命=豊玉姫命の夫であった猿田彦大神です。
伝教大師延暦24年(805)に唐から帰朝の折に筑紫で最初の天台派寺院たる背振山東門寺を開基いたしました。背振山東門寺を比叡山延暦寺に移した時に、その守護神として福岡県那珂川市の日吉神社の山王神猿田彦命を勧請して、滋賀県に日枝神社を創建したと言う伝説が残ります。
筑紫
福岡県と佐賀県の境に位置する背振山系一円を「筑紫」と呼ばれました。筑紫島です。下図の④が筑紫島です。九州全体ではありません。
背振山東門寺
福岡県と佐賀県の境に位置する背振山の山頂にあった天台宗の寺院で背振神社の神宮寺でした。背振山は玄界灘に面し航海する船にとって目印となり、多くの人々が入山して航海の安全を祈願した場所として知られています。伝教大師最澄が背振山に背振山東門寺を開基し、その後比叡山延暦寺に移された際、背振山の守護神として日枝神社が創建されました。背振山は山岳密教の修験場としても多くの修行僧が暮らしていた場所です。現在の脊振山山頂には航空自衛隊のレーダー基地があります。
福岡県那珂川市一ノ瀬に鎮座している日吉神社(山王宮)が、全国に約3800社ある日吉・日枝・山王神社の元宮です。原初の宮です。那珂川市山田に存在する迹驚岡(とどろきのおか)現在の安徳台が奴国の王都です。
冒頭は火の国も〜♪脊振山山頂も火の国です。
魏志倭人伝は中国の歴史書『三国志』中のに記された日本列島にいた民族・住民の倭人の習俗や地理などについて書かれた物です。『三国志』は西晋の陳寿により280年~ 297年の間に書かれました。
大幡主が後漢王から金印を授かったのは57年とされます。魏志倭人伝には238年に邪馬台国女王卑弥呼の使者が明帝への拝謁を求めて洛陽に到着したとあります。これが事実であれば大幡主の妻である倭奴国の日巫女と邪馬台国の卑弥呼は時代が180年~200年違います。
私がご厚意にして頂いている倭奴国の日巫女様は産土神です。当時の狗奴国(熊襲国)は奴国の一部です。日巫女との関係は良好です。ですので邪馬台国や卑弥呼が何処に存在したのかも知りません。
長年論争される邪馬台国の卑弥呼とは無縁です。私は何処に存在したのかも?卑弥呼と記される女王を知りません。
諏訪神社拝殿
拝殿
本殿
神馬=国常立尊の象徴
平和祈念像の作者である北村西望作の神馬が鎮座しています。神馬は大幡主命のシンボルです。大幡主命と関係する神社です。
高麗社
水波能売命(罔象女神)が祀られます。
弁天社
何かいつもと雰囲気が違います!
祖霊社
楠木の落葉が一斉に落ちてきました。大量の葉がパラパラパラと降ってきました。自然現象ではありません。祝福を受けたと感じました。
蛭子社
祀神は蛭子大神(少彦名命)です。弥勒大神様に感謝の意をお伝えします。また落葉が大量に降ってきました!?
空気が尋常ではありません。何事だろうか?と近付くと厳島神社の大祭が始まる直前でした。急遽諏訪神社に呼び出された理由はコレだったんです。大祭は禰宜3名と氏子2名と部外者の私を含んで6名で行われました。邪魔しない様に少し離れた位置から参加します。
ピンポイントタイミングに来たことに驚きました。諏訪神社の全て参拝すると約50分ほど時間を要します。途中で色々とありましたが、全てが大祭に合うように調整して頂いたのだと直感しました。
空気が何時もと違いました。ふわふわする様な心地良さでした。真上ではトビが低空でくるくる回遊してます。大祭は10分程度なのですが、その間は参拝者が一人も来ないのも不思議でした。風も無いのにクスの葉が一斉に落ちて来ました理由は、何処からか飛来して来た目に見えないモノが木の枝にとまったんだと思います。そんな感じでした。2度あったので市杵島姫命と弁財天尊でしょうか?
厳島神社大祭
玉園稲荷神社
大祭が終わると厳島神社は祭壇の片付けを成されているので、先に玉園稲荷神社を参拝します。
祭神は宇迦之御魂神です。
カエル磐
秘密の石碑の場所を公にします。案内はされていませんが、発見した時は引き寄せられました。得体のしれぬ動物の鳴き声も聞こえました。
大神石
諏訪神社は公式に発表していませんので神名は控えます。
八坂神社
おわり
はぐれ烏369