最後の女神
神功皇后は169年に誕生して269年まで生きたとされる倭国のスーパースターです。
しかしあり得ません。弥生期の食生活と医学で100年も生きませんよね。それに31歳の妊婦さんが腹に石を括り付けて、飛行機も無い時代に、朝鮮に渡航して戦が出来る筈がありません。
仮に100年間も存在したが事実ならば、神功皇后は複数人存在したとしか考えられません。いや…存在したのかな?
時を同じくして、倭国に英雄がもう一人存在します。邪馬台国の卑弥呼です。三国志の魏志倭人伝で卑弥呼を「鬼道使い」の特殊能力者と記されています。中国では「鬼道使い」とは死者と交信が出来る霊能者の事を指します。
三国志【魏志倭人伝】
卑弥呼が魏へ遣使したのが239年、台与(とよ)の遣使が266年とされます。神功皇后が269年まで生きたならば、卑弥呼と時代が被ります。台与とも被ります。
二大スターが同時期に存在したのでしょうか?神功皇后は300年代の人物だとする説もありますが間違いです。神功皇后は200年代に生きた人物なのは断言します。脊振山山中で誕生して、那珂川市の山田(安徳台)で裂田うなでを建造して、福岡平野に大水田地帯を作り上げました。
しかし魏志倭人伝で、神功皇后の存在を確認できません。三韓を統べた皇后なのに妙です。又魏志倭人伝では複数の北部九州の国名(地名)が登場しますが、邪馬台国の存在が有力視される近畿地方の地名が1つも確認できないのは奇妙です。
私の妄想圏内は北部九州です。福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県です。古くは日国と呼ばれたエリアです。魏志倭人伝に登場する北部九州の国々は、女王卑弥呼が統べる国なのに北部九州では邪馬台国の卑弥呼の存在を微塵も感じません。
日の国=火の国=肥の国。そして比の国もヒコクと呼びます。現代では比国はフィリピンとされますが、太古の時代は比売国(姫の国)=女王が治める国と解釈します。魏志倭人伝の女王が治める国と一致します。しかし私が縁あるは『瀬織津姫命、天照大御神、乙姫命、日巫女、豊玉姫命』の称号を持つ女神のみです。耶馬台国の卑弥呼の神気を感じた事が一度もありません。
邪馬台国の卑弥呼はフィクション?それとも正式な国名や名前が違うのか?九州や近畿以外の地域に存在したのか?
神の島エリア
皇后島
三韓遠征時に神功皇后が戦勝祈願をしたと伝わる皇后島を訪れました。長崎市民には『ねずみ島』の通称で知られます。
ねずみ島と呼ばれる理由は?①皇后島は深堀鍋島家の領地でした。深堀から見ると島が干支の子(ねずみ)の方角に存在する。②島の形がネズミの姿に似ている。➂役人(恐らく明治政府)から鼠島と呼ぶように強要されたと諸説あります。
明治から昭和30年代までは、ねずみ島で水泳教室が開催されていました。学校にプールが無い時代は長崎市内の子供達は、大波止から船に乗ってねずみ島に通ったそうです。
明治の終わり頃から、神輿を担いで立ち泳ぎでねずみ島に渡る『大名行列』と云うイベントも開催されていたそうです。参勤交代時に細川藩の行列が大井川を渡った様子を再現されます。
廃墟島!?
現在は陸続きに成っています。埋め立てられ埠頭と化します。廃材ヤードの様な殺伐としたグレーゾーンと化していました。
元より無人島です。防災対策でもなさそうです。自然を破壊してまで、伝統を遮ってまで、埋め立てる必要があったのでしょうか?脳裏に政治家と土木業者が仲良くしている姿が浮かびました。どういう意味なのかなwww
仮称・皇后海岸
砂浜が健在していたのは幸いでしたが、この浜が長崎市で最初の海水浴場だったそうです。今ではこの海岸で泳ぐ人の姿は殆ど見られないそうです。少し寂しさも感じます。
埋立られる前の風景
マリア像が確認できません。マリア像が建設される1949年以前の写真です。
廃船
戦争の残骸の様なモノが目に飛び込みます。戦時中のモノか!?と思いきや、平成時代に関西の土木業者が不法廃業した工作船でした。
女神大橋の建設時に使用された『銀杏丸』という名の作業船です。工事が終わると処分に困り不法破棄した様です。事業者は行政の指導に応じぬまま他界してます。会社も廃業してます。用無しになると捨てられた船が不憫です。
車や船にはキャラクターがあると地球さんに教わりました。精霊みたいなモノが宿るのかな?事故の際は命を守ってくれるんです。第6地球創世記のアトランティスは超科学文明でした。クローン(機械人間)まで創造したそうです。アトランティスは機械に恨まれ滅亡しました。性能が高い人造人間=人間に近いです。人間の感情詳細がインプットされます。乱暴に扱うと反旗を覆す事は容易に解りそうなモノですが?アトランティス人は、人道的な感性は退化してた?科学は長けるも、霊的次元は低かったと判断します。
神功皇后が上陸したとされる記念碑が立っています。人気が無い岩礁にポッンと立ちます。長崎市民でも知る人は少ないです。写真の奥に写る橋は『女神大橋』です。
女神大橋
女神大橋の名前の由来は?神功皇后が朝鮮出兵された際に、船上から見た長崎港の風景を愛でられ、浦の入り口に浮かぶ東西の小島を陰陽または満干に例えられたそうです。神功皇后は東側の小島を陰神島(めかみしま)=女神島と名付けます。西側の小島を陽神島(おがみしま)=男神島と命名したそうです。『男神大橋』でも良かったのかも?
奥に見える島が高鉾島です。神功皇后が鉾を立てたと伝わります。その奥に見えるが深堀〜香焼〜伊王島です。過去記事で案内したエリアです。
この様な光景が見られたのかも知れませんね♪
鼠島公園
鼠島公園内に神功皇后の記念碑があります。そこに興味深い記述を発見しました。神功皇后は長崎市山里村で「鎮懐石」を採取したと書かれています。山里村とは浦上天主堂の裏手〜爆心地公園の裏手付近です。近辺を調査してみると、鎮懐石に纏わる神社を発見しました。
長崎大学医学部通り沿いに『稚桜神社』が鎮座していました。原爆で倒壊して戦後に再建された様です。奈良県桜井市にも神功皇后を祀る稚桜神社が存在します。神功皇后との繋がりはある様です。境内に鎮懐石(ちんかいせき)の石碑を見つけました。石神町では赤色の美しい火打石が産出されます。本原石神の「角ヶ崎火打石」が鎮懐石だと伝承されています。
神の島
池之神社
祭神は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと) 別名が神功皇后です。昔は池が存在した事で池之神社と呼ばれます。阿姫(おちひめ)伝説が伝わる『池之御前神社』と関係があると直感します。両社の距離は近いです。池之御前神社の主祀神は豊玉姫命。豊玉姫命と神功皇后の関係性は⁉
恐ろしい姿の魔界虫に遭遇して『ニャ~ん!』と悲鳴をあげた神社です。石祠の屋根が下に落ちていたので、元に戻そうと屋根を持ち上げたら「真っ黒でテカテカと光沢のある巨大なゴキブリに似たキモイ虫」が3匹潜んでいました。
私は国家権力、反社会的勢力、幽霊を恐れません!がゴキブリは怖いです。ゴキブリに遭遇したら『
オォ…お~い!』と妻に助けを求めます。私より妻の方が戦闘力は上です。太古の宇宙で昆虫型異星人と戦った時の苦い記憶が細胞に刻まれているのだと自己分析します。
ゴキブリが人間と同等の大きさなら?動きは秒速で素早く、半端ない生命力です。空も飛びます。肉弾戦ならドラコニアンより強いかも?
魔界虫が潜んでいた石祠
BATTLE・MARS
右回りの三つ巴
淀姫様が祀られる伏見神社。市杵島姫が祀られる厳島神社。阿姫と豊玉姫命が祀られる池之御前神社。白山菊理姫が祀られている白山神社と同じ右回りの三つ巴紋が神紋です。
伏見神社
福岡県那珂川市山田
伏見神社の主祀神は『淀姫命と神功皇后』です。以前は別人と思っていました。最近になり同一人物に思えてきました。伏見神社は京都の伏見稲荷大社の元宮です。なのにキツネさんじゃなくて、白ナマズを祀ります。白ナマズ=白龍です♪
水神碑
池之神社の真横に水神が祀られています。石積から昔はココが海岸線と判断します。
恵比寿神社・マリア像
ドンク岩
奥に見える島影が伊王島です。六芒星を発見した伊王島灯台が存在する場所です。
伊王島灯台
ドンクは長崎の方言でカエル。干潮時に岩場に行くと岩のシルエットがカエルに見えるそうですが、私には見えませんでした(笑)
鳥居とマリア像のコラボです♪鳥居と十字架が1枚の写真に収まる珍しい光景です。
恵比寿社
恵比寿天が笑顔で迎えて下さります♪恵比寿社の真横には水神社が鎮座します。
水神社
マリア像
フランシスコ・ザビエル渡来400年を記念して1949年に建てられました。高さは4.6m。江戸からキリシタンが潜伏した島です。
神功皇后
コレまでに何度もお伝えして来ました。真の神功皇后は半島で命を落とされています。帰国して応神天皇を出産した神功皇后は別人です。
安田 靫彦(やすだ ゆきひこ)
明治17年2月16日 - 昭和53年4月29日は、大正~昭和期の日本画家、能書家。東京美術学校教授。東京府出身。日本芸術院会員。文化勲章受章。文化功労者。歴史画の大家である安田靫彦氏は「2つのヒミコの肖像画」を世に残しております。
縄文系の衣装
安田靫彦は1968年に「卑弥呼」を世に発表します。背後に描かれた5つの山は、阿蘇山の外輪山の中にある「阿蘇五岳」とされます。
日巫女
日の国の巫女です。現在の熊本・佐賀・長崎・福岡筑後地方です。日子王のパートナーであり、神と交信する星の巫女です。
背景は「阿蘇五岳」と伝わりますが、、、
阿蘇五岳
阿蘇五岳とは似てません。
根子岳(ねこだけ)
阿蘇五岳の1つである根子岳に似ています。日巫女が鎮座している場所は何所なのでしょうか♪
興味深いのは日巫女の着衣に「魚影」が描かれています。阿蘇の山奥に敢えて「魚影」を用いています。重要なサインを発しています。
コレです♪
隠された姫です。
乙姫神社
熊本県阿蘇市乙姫
阿蘇地方には乙姫伝説が根付いています。ナマズを神の使いと祀る国造神社では『雨宮姫』が祀られます。雨宮姫の娘がウガヤフキアエズの妻であり、母でもある『奈留多姫命』です。別名が『八坂刀売命』。『建御名方神』の妻であり、安曇磯良の母親です。軍神で名高い『建御名方神』は水神でもあるのです。そして、、、
ウガヤフキアエズ
建御名方神の息子が熊襲王の『川上梟帥(かわかみたける)』です。神話では「日本武尊」に倒された事に成っている熊襲王です。川上梟帥は日本武尊の見事な戦いぶりを称賛して、梟帥(タケル)の称号をを譲ったとされます。
神話は、女装して騙し討ちにした卑怯な日本武尊を褒め殺しにしてますよね。日本武尊も驚くべき秘密が隠されていました。日本武尊も称号です。時期が来たら公表します。
産宮神社
福岡県糸島市波多江駅南
川上梟帥には二人の兄弟がいました。彦王と淀姫命です。兄弟は福岡県糸島市の産宮で産まれます。産宮神社が鎮座している場所です。
熊襲王の正体は?
三兄弟の父親はウガヤフキアエズの建御名方神です。母親は奈留多姫命です。八坂刀売命と同一人物です。嫡男である川上梟帥も次代のウガヤフキアエズの筈です。ならば川上梟帥=安曇磯良なのでしょうか?大和王朝の景行天皇の刺客「日本武尊」に倒された熊襲王はウガヤフキアエズの安曇磯良となりますが真相は如何に!?
龍登園
與止日女神社(川上神社)は、熊襲・隼人族の北部九州の拠点でした。族長は川上大明神の称号を持ちました。川上猛の後は淀姫命が川上大明神を継ぎました。龍登園(温泉施設)のロゴは島津家と同じです。経営者と島津家は無関係ですが、土地柄から霊的因果があります。又川上地区には龍神伝説も存在します。ナマズ神話も存在します。隣接する富士町には諏訪神社(淀姫神社)が鎮座します。
淀姫神社(古湯)=佐賀市富士町古湯
建御名方神が諏訪に落ち延びる時に、無数のナマズが建御名方神を守護したとの神話が存在します。ナマズとは海洋族の安曇氏です。
水神である雨宮姫の娘である奈留多姫も水神です。建御名方神に嫁いで八坂刀売命に改名します。八坂は国之常立神・須佐之男命系を示します。古湯の淀姫神社には諏訪神社が隠されています。明治政府が隠蔽しました。
淀姫神社(上無津呂)=佐賀市富士町上無津呂
上無津呂の淀姫神社はナマズと馬が狛犬のように向き合います。ナマズは淀姫命の家系、馬は建御名方神の家系を示します。
豊玉姫=淀姫/玉依姫=豊姫
神功皇后に豊姫という妹が存在します。淀姫と豊姫は同一人物とされますが私は別人と感じます。豊姫は武内宿禰の妻です。別書に神功皇后には虚空津姫(そらつひめ)という神懸りをする次女が存在すると記されます。虚空津姫こそが豊姫と推測します。魏志倭人伝に登場する台与です。
豊=台与。台与・臺與(とよ)、壱与・壹與(いよ)と複数の名で呼ばれます。『魏志倭人伝』で女王卑弥呼の宗女とされる人物。虚空津姫も同一です。武内宿禰の妻と言われる女性です。この御方が2人目の神功皇后と考えます。応神を産んだのは台与です。応神の父は武内宿禰です。聞きたい事があったので9月の半ばに、福岡県宇美町の宇美八幡宮に二人を訪ねました。
武内宿禰
蘇我氏の祖神と呼ばれる人物です。実は武内宿禰も名前では御座いません。役職名なので歴史上に複数人存在します。台与が神功皇后にすり替わってから武内宿禰の勢力は急激に増します。葛城王朝を創始します。蘇我氏が台頭しました。
水の女神
淀姫命は安曇磯良(ウガヤフキアエズ)の妃です。淀姫様も豊玉姫命の御一人です。與止日女神社(川上神社)の祀神は江戸時代までは「豊玉姫命」とされていました。雨宮姫の孫娘であり、奈留多姫命の娘です。水神です。阿蘇国造神社と同様に淀姫神社もナマズが祀られます。
豊玉姫命
豊玉姫命は神職名です。安曇族の直系の姫が代々世襲するので複数人存在します。瀬織津姫・日巫女・豊玉姫は個人名ではありません。豊玉姫に仕えた次女が玉依姫命です。
玉依姫命
玉依姫命も神職名なのです。『鴨玉依姫や活玉依姫』の御二人が有名です。事実は何十人と存在したのが真の様です。豊玉姫も玉依姫もウガヤフキアエズ王朝の役職名なので、大和王権に消されます。歴史上重要な役割を成された御方のみ、古事記や日本書紀に名が残されました。消したくても消せなかったが本意かな?
秘密に気付いてましたが、誰かを傷つけると思い今まで書くのを躊躇っていました。でも現代と異なる覚悟です。命がけの行為です。玉依姫は心底から豊玉姫を尊敬していたと気が付いたので書くことにしました。お許し下さい。
豊玉と玉依の秘密
豊玉姫命(1名)に対して、玉依姫(3~6名)の組合せかな?姉妹とされますが真は違います。玉依は豊玉を補佐する次女です。血縁関係はありません。豊玉姫命が子供を身ごもらないのて、密かに玉依姫命が代理出産なされた様な秘事が生じたのかも?複雑化した事情が隠されている様です。
豊玉姫命は猿田日子大神と離縁されています。実家に帰った豊玉姫命の代わりに、玉依姫命が赤子を育てたと言う逸話の真相でしょうか?そして雨宮姫様と奈留多姫様の母娘は関係があまり良くないのでは?その様に感じました。
磐長姫と木花咲耶姫の関係。瓊瓊杵尊と武内宿禰の関係。 糸島の若宮神社に木花咲耶姫と共に苔牟須売神(コケムスメ)が祀られます。地元では磐長姫と伝わりますが、朝鮮半島から連行された全くの別人です。役目が終わると口を封じられた不憫な女性に感じますが?気のせいでしょうか?心当たりがある御方は、369を迎える前に自ら清算して開放してあげて下さい。
木鼻
少し余談です。神社で目にする木鼻の正体をご存知でしょうか?大幡主、牛頭天王、須佐之男命、乙姫命が祀られる神社でよく目にします。
獏(ばく)
獏は中国から日本へ伝わった人の夢を喰って生きると言われる伝説の幻獣です。中国では獏は龍と並んで霊獣として人々の信仰を集めます。悪い夢(厄)や鉄や青銅などの武器を食べて、戦争の無い平和な世界を与えてくれると言われます。獏の化身が夢福神だそうです。
地球さんは「達磨さんと獏の縫いぐるみ」を大切にされていました。当時は特に気にしませんでした。思い返すと「何かのサイン」と思います。後に達磨大師も国之常立神の神霊と判明しました。獏の真意は何なんだろうか(・・?
2人目のヒミコ
弥生系の衣装⁉
安田靫彦は4年後に2人目のヒミコを描きます。なぜ2つも肖像画を残されたのでしょうか?最初の卑弥呼と全く違う様相です。
大和のヒミコ女王
題名も「大和のヒミコ女王」とご丁寧に「大和の」と形容しています。ヒミコのカタカナです。背景は奈良県の三輪山です。巨大な絹笠を被った姿でヒミコを描いています。そして女王と記しています。最初のヒミコには女王は記されておりません。日の国の日巫女は日子王(天照皇大神)と云う男王のパートナーです。
第一印象は韓国の民族衣装の「チマチョゴリ」でした。
憶測ですが、安田氏がヒミコの肖像画を2種類描かれた理由は、一つ目のヒミコを公表した後に、何らかの圧力がかかったのだと思われます。安田靫彦は何を伝えているのだろうか?圧力により二種類のヒミコを描いた?ヒミコは二人いると伝えているのでしょうか?
織帯
神功皇后は複数の御名前で表記されています。①日本書紀=気長足姫尊②古事記=息長帯比売命③古事記=大帯比売命④日本三代実録=大帯日姫と、名前に「帯」の文字が付きます。帯から織が連想します。瀬織津姫の織です。天の川神話の織姫にもつながります。
織帯とは?
染帯に対する語。先染めの糸を用いて織った帯で、種類も需要も多く、日本の伝統的な織の技法のほとんどが織帯に生かされています。
○織帯
✖織帯じゃない
衣装に織帯が見当たりません。大和のヒミコ様は何処から来た御方なのでしょうか?日本人ポクないです。NHKの韓流時代劇で出てくる衣装に思えるのは気のせいでしょうか?
本音
過去の事は今更どうでも良いが正直な思いです。過去の因念を抱えて苦しんでいる御方が開放され楽になれば良いと考えます。九州に存在した倭国、安曇氏のウガヤフキアエズ王朝、饒速日命を祖とする大和王朝、武内宿禰を祖神とする葛城王朝、持統天皇や藤原氏、平家、源氏、北条、南北朝、足利、豊臣、徳川、明治政府、、、様々な勢力が国政を受け継ぎ日本が守られてきました。日本が滅亡していたら369の新世界はありません。別の世界線を迎えていました。地球人類も終焉していたと思います。時の人々に心から感謝致します。
有難う御座いました。
日巫女
火の国の神功皇后のお腹の中の御子は、海に帰られたのかも知れません。
以上は日巫女の話です。邪馬台国の卑弥呼の事は存じ上げません。誤解しないで下さい。
神功皇后は異国の地で消息を絶っていると聞いております。何処に居られるのだろうか?最後の瀬織津姫であり、最後の日巫女です。私が行方を追い求めている『最後の女神』です。
おわり
はぐれ烏369