女神紀行
地球史上最大のイベントがスタートしました。記念すべき始まりの年です。
お陰様です。世紀の瞬間を体感できます。お世話になった上様に御礼を伝えようと四方八方駆けずり回ってやす(;゚∀゚)=3ハァハァ
佐賀県嬉野市
嬉野温泉に鎮座する『豊玉姫神社』は美肌の神様と言われます。女性の参拝者が多いです。
♨手洗水も温泉です♪
人気は「美肌ナマズ」です。ナマズに温泉水をかけて参拝すると美肌になるそうです。
有田焼の白磁ナマズ
我が家もナマズを崇める『阿蘇国造神社』を先祖代々からの氏神とします。
若い女性の輪ができています。彼女達に気を遣わせない様に、離れた場所で途切れるのを待ちます。神社の案内を読むフリをして待ちましたw
後ろに立って『待ってるぞ!』と圧力をかけるは無粋です。人様の楽しい一時を台無しにする行為はモットーに反します。遠慮じゃなくて私自身が嫌いなんです♪
豊玉彦様・住吉大神様♪おめでとう御座います。
八坂神社
亀と馬♪
昨年11月に初めて神社に導かれます。その経緯は偶然が重なりました。前日に志賀島の「沖津宮」を参った直後です。それが起因だと感じています。
乙姫様の故郷
沖津宮=福岡県東区勝馬(志賀島)
『沖津島』も『沖ノ島』と同じく女人禁止とされます。福岡には2社の沖津宮が存在します。『志賀島の沖津宮(志賀海神社)』と『沖ノ島の沖津宮(宗像大社)』です。
世界遺産に登録された『沖ノ島の沖津宮』は有名ですが、『志賀島の沖津宮』は福岡県人ですら知る人は僅かなんです。
志賀島の沖津宮は太古から『ウガヤフキアエズ王朝』の聖地と崇められました。伊邪那岐命の禊で誕生した綿津見三神の末裔である『安曇氏』が奉ります。
沖ノ島の沖津宮は、後にこの地を統治した『宗像氏』が奉る神社です。『持統天皇』の母親が宗像氏の血筋です。沖ノ島の沖津宮や宗像大社が繁栄したのはその時代からです。
私が未だに一度も、『宗像大社』に足を運んでいない理由です。物部も割れました。大和朝廷側に反した者は滅び、否は残ります。コレも定めです。善悪ではありません♪
いずれ足を運ぶ事になるでしょう。
祀神=天之御中主神・綿津見神
豊玉姫神社に辿り着いた経緯は?
給油をしようと最寄りのENEOSをナビに設定します。誘導に従ったら豊玉姫神社に到着しました。そこにENEOSは存在しませんでした。誤操作?とナビの履歴を調べるも間違っていません。付近にENEOSの事務所があるのでしょうか?
妄想活動の地(因縁解き)に導かれる時に同様な事が生じます。
①動画=島内の様子
沖津島は女人禁制です。女性の方で興味がある御方のために島内の映像を残します。
②動画 =渡島方法
徒歩で渡れる時期は三月の大潮です。岩礁なので素足は危険です。コースを外れると深見もあります。離岸流による水難事故も起きてます。小さなお子さんはお控えください。
鳥居の先は?
志賀島沖津宮の鳥居
鳥居の先に見える陸地は糸島です。昔は糸島も四方を海に囲まれた孤島でした。
沖津島の鳥居から見える視線の延長上に、『櫻井神社』や『二見ヶ浦』が鎮座しています。その先に『芥屋の大門』があります。
大門神窟の鳥居
大門神窟に初めて訪れた時に感じたのは、海の向こうの娘を案ずる父親の心境が伝わってきました。同じく二人の娘を持つ身です。隠しても微妙な感情を察知できます。
大門神窟
●大門神窟の鳥居
●はらひど
●大門神窟内部
この地は「朕の山」といい、隣接の海岸を「はらひど」と言われていた様です。「はらひど」については、「伊弉諾命の禊祓(みそぎはらい)が行われた地」と伝承されます。江戸時代までは大勢の参拝者や観光客で賑わったそうです。
橘(たちばな)
橘=柑橘類です。糸島は古来より橘の産地でした。「筑前国土風土記」にも記されています。対馬暖流の恵みを受けるこの地は柑橘類が豊かに実ります。後に中国から伝来した甘い蜜柑(みかん)とは違い酸味が強かったと思われます。
小戸神宮
福岡市西区小戸にも『禊の伝説』が伝わります。小戸神宮が鎮座します。妙見神社も鎮座します。空海様も鎮座します。
小戸公園妙見岬の小門(洞窟)
大門神窟と小戸の洞窟は霊的に通じている?相島の洞窟もです。海神族と縁ある場所です。
弥生期の地図
赤ライン=弥生期の海岸線
●大門神窟●小戸神宮●沖津島(沖津宮)●須玖(奴国都)●とどろきの丘(安徳台)
上図の赤ラインが弥生期の海岸線です。大門神窟も小戸公園も志賀島も孤島でした。
祝詞が行われた神代期は、更に海抜は高かったと思われます。太古の博多湾と有明海は一つの海として繋がっていました。太古の福岡県南西部と佐賀県は一つの島です。
祓詞
祝詞の『筑紫』の日向の『橘の小戸』の『阿波岐原』とは?
黄泉(よみ)から帰還した伊邪那岐尊(イザナギノミコト)は、黄泉の穢れ(けがれ)を清めるために、禊(みそぎ)を行った場所です。黄泉とはあの世です。
●筑紫の=九州の
●日向(ヒムカ)の=日の国に向かう途中の
日=日国→火国→肥国→肥国から熊曾国・日向国が独立→肥前・肥後・筑後に分裂→肥前が長崎県と佐賀県に分裂、肥後が熊本県に改名。福岡の日向峠も日国に向かう峠道の意。宮崎県は藤原氏の創作です。
●橘の=柑橘類が生い茂る地の
●小戸の=おど=おおど=大門(大門神窟)・小戸公園の小門洞窟
●阿波岐原(アワキガハラ)が難解でした。当初は開けた平地=海が引いた湿地帯なのか?と思いましたがシックリしません。脳裏に海がよぎります。
阿波=淡路島の淡=泡
波=波
岐=四方八方に広がる(枝分れ)
原=海
波泡立つ海が一面に広がり、太陽の日差しでキラキラと光り輝く光景が浮かびます。
渦潮?
写真は鳴門の渦潮です。
しかし!玄界灘に渦潮は存在しません。
いや!まてよ…子供の頃に耳にした、『二見ヶ浦にまつわる怪談』を思い出しました。人の魂は琵琶湖から浄化されながら玄界灘まで流される。禊を終えて綺麗な魂に成った命は、玄界灘の渦潮から飛び出して、二見ヶ浦から黄泉国に帰還する。だから、『二見ヶ浦の岩から海に飛び込むと、アノ世に引きずり込まれるぞ!』と言うオカルトです。
二見ヶ浦
玄
玄界灘の「玄」の意とは?時間と空間を超越した天地万象の根源とされます。現世と黄泉の国のゲートが玄界灘の何処かにあるのかも?
渦潮に関する手掛りが無いか検索してみると\(^o^)/興味深い情報を入手しやした♪
黒之瀬戸海峡(鹿児島県長島町)
古来から『一に玄海・二に鳴門・三に薩摩の黒之瀬戸』といわれた日本三大急潮と記されてます。万葉集にも玄界灘の渦潮を詠った和歌が存在します。鳴門の渦潮を超える日本最大級の渦潮が玄海に存在した痕跡を発見します。
阿波岐原は、海抜が低下した為に、玄界灘から消えて無くなった『大渦潮の泡が多岐に広がる光景』と妄想します。神代時代の糸島地域は下の写真の様に緑が陸地で、白っぽい平地は海です。
●大門神窟●小戸の小門○大門
大門神窟と小戸神宮の伝承をつなぎ合わせると、伊邪那岐命は大門の浜で一度禊をして、船で海を渡り、再度小戸公園で禊をしたのでしょうか?神話には潮の流れが丁度良い中間とされます。
阿波岐原の正体
●大門神窟●二見ヶ浦
■阿波岐原
阿波岐原とは多岐に広がる潮の流れであり、渦潮で発生した泡が広がります。
黄泉比良坂
黄泉国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の入口を大岩で塞ぎ、イザナミと完全に離縁します。この黄泉路を塞いだ大石を、『道反の大神』と呼び『岐神』として日本各地に祀られています。
黄泉の国への入口は?でも無理して知る必要はないです。死んだらイヤでも解ります。それに新世界を迎えたので既にリニューアルされているのかも?
根拠がない『妄想ファンタジー』でした。
アニキャラは?
このアニメキャラは?
佐賀県を舞台とした『ゾンビランドサガ』というアニメの中です。『豊玉姫神社』や『祐徳稲荷神社』がアニメの舞台となっています。
アニメは好きですがオタクではありません。少女アニメ系は少し苦手かもwww
佐賀県佐賀市三瀬村大字杠
祭神=仲哀天皇・神功皇后・武内宿弥・淀姫命。西暦268年に建立された神社と伝わります。
少名毘古那様♪おめでとう御座います。
野波神社の境内には、淡島明神を祭った小社殿があります。祭神は少彦名命・大己貴命(大国主命)・息長足媛命(神功皇后)の3柱です。社の中を覗いて見ると!?
少彦名命のご神体です。餓鬼を踏みつける?『毘沙門天』に見えますが?…
佐賀市富士町大字上無津呂 野波神社から『古湯の淀姫神社』にナビを設定します。なのに何故か?上無津呂の淀姫神社に案内されました。新しい御縁を頂き有難う御座います♪
玉依姫命?…
創建は西暦500年頃だと伝わります。川上の與止日女神社よりも50年ほど古い様です。
ナマズと馬が向かい合います。この組合せは初めて見ました。
馬の造形が鎮座する神社は、須佐の神を崇めます。諏訪神社の主祀神である「建御名方神」と繋がります。
■鎮西大社諏訪神社
鯰と馬=海と陸の者の共存の願いではないダロウか?
佐賀市富士町大字古湯
富士町には上無津呂の淀姫神社とは別に、もう一つ古湯の淀姫神社が鎮座しています。
古湯の淀姫神社は、諏訪神社と淀姫神社が同じ社に祭られています。嘉瀬川の側にあった淀姫神社が疫病流行のとき、神域が汚されるということで諏訪神社に合祀されたとされます。
淀姫神社の鳥居
諏訪神社の鳥居
祀神=豊玉媛命、海津見神、大山祇命、高皇産霊神、国常立尊、磐長姫命、応神天皇、国狭槌尊、武内宿禰、源義経、猿田彦命、菅原道真、湯気神
妙だと思いませんか?
①諏訪神社なのに「建御名方神」の御名前がありません。②淀姫神社なのに「淀姫命」の御名前がありません。③諏訪神社に合祀された淀姫神社の方が主に変わってます。
明治期に合祀されたので、建御名方神の名を消したのは明治政府? 淀姫様は建御名方神の娘様です。ココに祀られる女神は建御名方神と立場が平行の女神と考えます。
淀姫様は複数の女神が混同されます。淀姫、豊姫、豊玉姫、玉依姫、乙姫、神功皇后、瀬織津姫、ミズハノメ命、奈留多姫、速秋津姫、市杵島姫、、、
名前は違えど大半が同一神です。祖母・母親・娘・孫や姉妹関係なども混同しています。
古湯の女神のご正体は?
玉依姫命です。
豊玉姫・玉依姫は、現代で云う官職名なので代々継承されます。ウガヤフキアエズ命・饒速日命も同様です。同じ祀神なのに神気が違うと感じる理由です。
阿蘇惟成様♪おめでとう御座います。
九郎堂は古湯の天河に建立してあったが、明治期に諏訪神社に合肥されました。1336年に後醍醐天皇を擁した南朝方の菊池武敏公、阿蘇大宮司惟直公と弟の阿蘇九郎惟成公らは、筑前多々良浜(福岡市東区)に足利尊氏公の軍勢を迎え撃ちますが、味方の裏切りにより敗れてしまいます。
阿蘇惟直様♪おめでとう御座います。
千葉氏の領内へと逃れましたが、寝返った千葉氏によって阿蘇惟直公は白坂峠にて自刃します。阿蘇への帰還が叶わないと悟った惟直公は『阿蘇山が見える高地に埋葬してくれ』と遺言を残します。
定期的に「阿蘇の赤酒」を背負って阿蘇惟直公と阿蘇九郎惟成公を参ります。
■天山山頂
2021年6月に登山して以来、ご無沙汰してます。暖かくなったら山頂に伺います。この場にての挨拶をご容赦願います。
■佐賀県(旧肥国=日国)内の淀姫神社
佐賀地区には淀姫神社があまた鎮座します。ナマズを女神の御使いとします。阿蘇地方も鯰は女神様の使いとして祀ります。阿蘇國造と諏訪國造は同族です。
容量オーバーになりました(^o^;)