こいのうた | 夢の終わりに・・・

夢の終わりに・・・

哀しいほどの切なさとときめきを


「マヤちゃん、今度の新しいドラマの主題歌、君が歌ってみないか?」
その曲は若い女性アーティスト熊林杏里のものだった。
ドラマの主題歌にするにあたり、マヤにカバーさせたいと局側の要請にアーティストサイドからのOKは出ていた。
ドラマのプロデューサーから打診があった時、マヤは即座に断った。
だが、その楽曲を聴かされて、マヤの心が揺らいだ。
杏里の透明感のある歌声がマヤの心にスッと溶け込んできた。

ほんじつ私は ふられました 
わかっていました 無理めだと 
だけども あの時少しだけ 
ほほえんでくれた ような気がしたから… 

こんな時 いつでも 何も聞かずに 
見守ってくれた母さんは 今は いないから 

忘れます 忘れます 新しい私になって 
忘れます 忘れます 忘れられると思います 

いつもは見過ごす 星占いを 
祈るようにして 開いてた 
いつもは買わない 洋服も 
鏡に映して 鼓動早めてた 

朝の訪れ 気づかないほど
泣いて泣いて 泣き明かしたら きっと

忘れます 忘れます 新しい私になって
忘れます 忘れます 思い出として仕舞います

目と目で交わしたはずと 思っていたけれど
気持ちさえ 通じたつもりでいたけれど

ほんじつ私は ふられました
やっぱり私は ふられました

忘れます 忘れます 新しい私になって
忘れます 忘れます 忘れられると思います

忘れます 忘れます 新しい私になって
忘れます 忘れます 思い出として仕舞います

〜新しい私になって〜
作詞:中島信也
作曲:熊木杏里
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高嶺の花に恋したような少女の素朴な心情が飾らない素直な言葉で表現されていた。
マヤは一度聴いただけのその歌が、忘れられなくなった。
結局マヤは主題歌のオファーを受けることにした。
マヤの仕事については、最終的にはマヤの判断に任される。
それが彼、速水真澄との約束だった。
「俺は女優 北島マヤを何があっても守る。
だから俺を信じて全てを預けて欲しい。」
その言葉に偽りはなかった。
真澄はどれだけ多忙な状況にあろうとも、マヤの仕事には時間を割いてくれた。
そしてその仕事については、真澄は一切の妥協を許さない。
だから時折、二人の意見が食い違い、言い争う事もある。
それでも最後は、真澄がマヤの気持を汲み取り、最善の方法を見つけてくれるのだ。
他の所属俳優やタレントから見れば、それは夢の様に幸せな話だ。
マヤもそれは分かっていた。
十分過ぎるほどに理解していた。
それでもマヤの心に青空が晴れる事はなかった。
どれ程熱く言葉を交わしても、共に時間を過ごそうとも、それはあくまでも仕事の域を超える事はない。
マヤの胸に秘めた気持は決して表には出せないし、出さない。
そして速水真澄がその思いに気づく事もありはしなかった。
この切ない恋心といつまで付き合っていくのだろうか。
この先途方もなく長い時間をこの叶わぬ夢を抱えていかなければならないのか。

マヤのレコーディングの当日、杏里がスタジオにやってきた。
マヤはこの歌の仕事が決まった時に、自ら杏里に連絡をとった。
彼女の曲をカバーさせてもらう事への挨拶を兼ねた社交辞令であったのだが、歳も近い二人はすぐに意気投合した。
そしてレコーディング前に、何度か杏里自らマヤに歌のアドバイスをしてくれた。
そして今日もマヤのことを気にかけて、地方公演から戻ってきたその足で、杏里はスタジオに駆けつけてくれたのだ。
二人は今や、仕事の枠を越えて、同志であり友人と言っても憚らない程に打ち解けあっていた。

「ほんじつわたしは ふられました・・・」
印象的な歌い出しがマヤの素直な声で紡がれる。
舞台の上では、年齢も、時には性別さえも超えて物語の人物になりきる事ができるマヤ。
だが今、歌を歌うマヤは、等身大の彼女そのものだった。
誰もが一度は経験するだろう、甘酸っぱくも辛い恋心を素直な声と素直な歌い方で訥々と紡ぐ。
「あまりテイクを重ねないほうがいいですね。」
コントロールルームで、マヤの歌を聴いた杏里がディレクターに声をかければ、彼もまたその意見に同調する。
「君のボーカルはもちろん素晴らしかったが、北島マヤが歌うとまた違った世界観でいいね。」
杏里はあまり歌に感情を込めるタイプではない。
マヤも初めてのレコーディングで、テクニックや感情に走って歌う様な事はない。
だが、元々女優としてその作品が持つ空気感をさらに昇華させて高める才能に長けているマヤが歌うと、聴く者の感性に自然と訴えかける何かが生まれた。
杏里もディレクターも当初の期待以上の出来上がりなる予感を得ていた。
こうしてレコーディングは予定時間を大幅に早めて無事終了した。
「泣きそうになった・・・」
ブースから出てきたマヤに杏里がたった一言告げる。
マヤはその言葉に静かに頷いた。
その目は少し涙で潤んでいた。
杏里は何となくマヤが密かに誰かに恋してる事を感じ取っていた。
それが誰かを推測する気はないけれど、その恋が成就するようなものでない事も感じた。
もしそうだとしたら、マヤも早くその恋から卒業できればいいと思った。
この歌をきっかけに新しい恋を見つけて欲しいと、杏里はそんな友人への思いを込めて、マヤの背中にそっと手を当てた。


マヤが歌った主題歌はドラマの反響との相乗効果で、発売直後からヒットチャートの上位に昇った。
それは真澄の耳にも時折届いた。
マスタリングが終わった楽曲のサンプル版を事前に聴いた真澄。
仕事を終えた真夜中の執務室で、ひとり静かに聴いた。
愛しいマヤの声・・・舞台の時とは全く違う声だった。
むしろ普段話をしている時のマヤに近いかと、色々とマヤのことを思い浮かべながら聴く。
目を瞑れば、まるでそこにマヤがいるみたいだ。
そんなマヤが唄う歌は、真澄の心に痛い程に沁みた。
マヤが誰かに恋してふられてしまった・・・。
歌の世界だとわかっているのに、それが真澄にはリアリティをもって伝わってくる。
マヤは本当に誰かに恋をしている・・・叶わぬ恋を。
その男はマヤの気持など知りもせずに彼女を傷つけている・・・目の前にいるのならこの手で殴ってやりたい。
何故なら自分もまた、マヤに叶わぬ恋をしている身だからだ。
だが自分はこんな風に潔くはマヤへの恋心を諦められそうもない。
素顔のマヤももしかしたら・・・自分と同じ痛みを抱えているかもしれないと思った。
新しい自分になっても、たとえ死んで生まれ変わっても諦められない恋に落ちた。
少なくとも真澄自身はそうだ。
マヤを諦めることなど、何をしても永遠にできやしない。
痛い程に身に沁みた・・・その為に紫織を無駄に傷つけた。
彼女との結婚は半年で破綻を迎え、まだつい先日協議離婚が成立したばかりだった。

真澄はマヤの歌を何度も繰り返し聴いた。
切なさが込み上げて、胸が締め付けられるようだ。
マヤの心の痛みと自分の痛みを重ね合わせる。
マヤにはこんな思いなどさせたくはない。
もしも許されるなら、いつも自分が彼女の側にいて、全てのものから守ってやりたい。
「・・・マヤ・・・」
執務室の机に伏せて眠ってしまった真澄の目尻には僅かながらに涙が滲んでいた。


それから1ヶ月後。
マヤが仕事の打合せで、大都にやってきた。
真澄はその事を水城から聞くと、マヤを食事に誘った。
何かのついででなければ、食事にも誘えない。
自分にはその理由がない・・・いや、それは違う。
ただの言い訳だ。
自分には勇気がない・・・それだけだ。
「久しぶりだな。
君とこうしてゆっくり話すのは。」
「速水さんは大都の社長さんになられて、昔以上に忙しいでしょうから。
いいんですか、私なんかに時間を割いて。」
少し会わない間に、大人びた事を言うようになったマヤに真澄は寂しさを覚える。
「俺だってたまには息抜きしたくなるのさ。」
核心には触れない程度に本音を漏らす。
だがそれ以上は気持ちを言葉にすることは避け、真澄は無難な話題に切り替えた。
どんな話でもいい、こうしてマヤを側において、彼女を見つめ、彼女の声を聞けるなら。
それ以上望んではいけないと分かっていた。
「今度のドラマも視聴率は良かったみたいだな。
君の主題歌もヒットしているようだし。」
「気にかけていただいて、ありがとうございます。」
真澄は自分の歌を聴いたのだろうか・・・おそらく聴いてくれたのだろう。
マヤの中に期待と不安が過ぎる。
あの歌から自分の気持ちを気づかれやしないかと。
「なんだ、少し会わない間にえらく殊勝になったものだな。
君も大人になったということか。」
マヤの不安をよそに、昔と変わらない皮肉をいう真澄。
そうすることで、ともすればそれぞれの立場故に離れてしまいそうな二人の距離間をせめて昔のままに留めようと無意識のうちにしているのだ。
「速水さんは相変わらずですね。
でも安心しました。」
マヤがにっこり微笑む。
真澄は思わず息をのんだ。
こんなマヤの笑顔を見た事がない。
舞台やテレビで見せるものとも違う・・・作り笑いでもない。
あまりにも自然で柔らかな優しい微笑みだった。
欲しい・・・。
プリミティブな感情が真澄の胸を突き上げてきた。
この笑顔を掛け値無しに、自分だけに向けさせたい。
マヤの心も身体も自分のものにしてしまいたい。
ワイングラスを持つ手が震えそうになるのを真澄は必死に堪えて、平静を装った。

マヤはマヤで自分の気持ちの揺らぎと戦っていた。
何度も何度も歌った・・・忘れると、新しい自分になると。
でも、どうしてもできそうもない。
はっきりと真澄の口から、言われたなら諦められるのだろうか。
この人はいつも皮肉を言いながら、それでもいつだって自分の為に力を貸してくれた。
紫の薔薇の人として素性を匿して、本当に多くのものを与えてくれた。
そんな彼にこの気持ちを打ち明けることさえできずに、この恋を終わらせるなんて、やっぱり無理だ。
目の前で優雅に佇む彼に到底釣り合うはずもないと解っているのに、この時間がずっと続けばいいと思ってしまう。
大好き・・・。
心に溢れてくる気持ちはそれしかない。
打ち消しても打ち消しても消えない思い。
アルコールがあまり得意ではないマヤのために真澄が選んでくれたアルザスのリースリングをそっと口に含めば、心と身体の強張りが緩む気がした。

「今夜は君もよく呑んだな・・・送るよ。」
ホテルのレストランを出て、真澄はdoormanに目配せをする。
直ぐにタクシーが二人の前に招き入れられた。
「・・・大丈夫です、私ひとりで帰れます。」
「ダメだ、大切な君に何かあったらどうする。」
背中に回された真澄の腕から逃れて、俯くマヤ。
「もういいです・・・もう優しくしないで下さい・・・辛いです・・・」
その言葉が真澄の胸に突き刺さった。
自分は思い違いをしていたようだ・・・あんな風に笑ってくれたから。
最近のマヤの優しい態度に浮かれて、自分は忘れていた・・・マヤに嫌われていることを。
嫌われて当然の罪を犯した過去を。
「・・・すまない。
忘れていたよ、君が俺を嫌っていること・・・大嫌いだって、昔あんなに言われたのにな。」
それでもマヤをひとりで帰すわけにはいかない。
「でも心配なんだ・・・頼むから送らせてくれないか。」
その言葉にマヤは戸惑った。
真澄は自分の言葉を誤解している。
未だに彼は母の死に責任を感じて自分を責めている。
マヤはそれ以上真澄の好意を断れなかった。
真澄はマヤの手を引いてマヤをタクシーに乗せ、続いて自分も乗り込んだ。
タクシーの中では二人は無言だった。
何を話していいのかわからない。
言葉を使えば使うほど、本当の気持ちとかけ離れていくのが辛かった。
まさか、相手も同じように感じているなど、二人共が想像すらできずにいた。
あと1ブロックで自分のマンションに着く手前の交差点で、車は赤信号で止まった。
「私、ここで大丈夫です。
今夜はありがとうございました。」
マヤは車が停車したと同時に口早にそう告げると、自分で車の扉を開けて車を降りた。
そして直ぐ信号が青に変わった事を幸いに、まるで真澄から逃げるように横断歩道を走り出した。
後ろは振り返らず、ひたすらに駆け出す。
切なさに息もせずに走る。
あの角を曲がれば後もう少し・・・。
舗道を駆け抜け角を曲がったその時、強い力がマヤの腕を掴んだ。
咄嗟に振り向けば険しい顔をした真澄が息も切らさずにマヤを見下ろしていた。
「逃げるな。」
自分の無礼を怒っているのだろう・・・当然だ。
けれど、もう耐えられそうもなかったのだ。
「ごめんなさい。」
マヤは謝ることしかできなかった。
「謝って欲しい訳じゃない。」
その言葉に伏し目がちだった視線を真澄の瞳に戻す。
怒りよりも哀しみを湛えているように見えた。
「そんなに俺の存在は疎ましいか?
こんな風に逃げたくなる程に。」
こんな仕打ちを受けるくらいならば、面と向かって憎まれて悪態をつかれた方がマシだと真澄は思った。
「速水さん・・・」
マヤは真澄の手が震えていることに気づいた。
「フラれて忘れられるくらいなら、俺は誰も愛したりはしないさ。」
まるでマヤの歌の歌詞を皮肉るように唐突に呟く真澄・・・。
まだマヤにはその言葉の裏にある真実は見えていない。
それでもマヤなりに、誠実に真澄に向かって言葉を返す。
「でも忘れなければ前に進めないじゃないですか。」
ひょっとすると紫織との事をまだ引きずっているのだろうか。
そう思えばマヤの心がチクリと痛んだ。
「君もそうなのか?
君が忘れたい相手は誰なんだ?
紫の薔薇の男か?
それとも他に誰か思う男がいるのか?」
真澄は己の中にある矛盾に唇を噛む。
マヤを諦めて忘れるなんてできない・・・でもマヤには他の男への恋心など早く忘れて欲しいと願っている。
突然、紫の薔薇の人の事を真澄から言われて、哀しみと怒りの混ざった感情を曝け出したマヤ。
「速水さんは勝手過ぎます。」
わかってるさ・・・マヤの非難の言葉に返せる言葉などありはしない。
「速水さんは私をどうしたいんですか?
私はいつまで知らないふりを続ければいいんですか?」
知らないふり・・・?
マヤは何を知っていると言うのだろう。
まさか自分のマヤへの思いに気づいているのか。
真澄の心が大きく揺れた。
まるで足元の地面がひび割れていくような不安に駆られる。
マヤも真澄も互いの心が一番遠くにあるものも思っていたから、ある意味互いに対して無防備になっていたところに、その言葉の数々は突如空から降ってきた矢の様に互いの心に突き刺さった。
「私がどれだけ思いを伝えても、貴方は応えてはくれなかった。
それなのに、いつだって貴方は私のために溢れるほどのものを与えてくれた。
花やドレスだけじゃない・・・女優としての夢も成功も全て。
それは愛情ではないの?
やっぱりただのビジネスだったの?」
マヤの言葉がどんどんと核心に近づいてくる。
「君は何を・・・」
「惚けないで・・・もう私辛いんです。
紫の薔薇の人と速水真澄・・・貴方にとっては女優北島マヤを成功させるための飴と鞭でしかない。
なのに私は今も勘違いをしそうになる・・・それを愛情と思ってしまいそうになるんです。」
マヤは気付いていた。
紫の薔薇の人の正体を。
それが速水真澄その人だという事を。
真澄はその事実に雷に撃たれたかのように茫然自失となった。
「・・・マヤ・・・君が愛しているのは誰だ?
・・・俺なのか?」
先程問い詰めたのとは全く違う意味で、真澄は再度マヤに問うた。
「・・・俺を好きだと言ってくれ・・・。」
マヤの答えを待つ事すら出来ずに、真澄はとうとう己の本心を吐露した。
その言葉に今度はマヤが茫然自失になる番だった。
互いから目を反らせずに見つめ合って立ち尽くす真澄とマヤの脇をヘッドライトを煌々とさせた車が忙しなく何台も走り抜けていった・・・。

このまま別れて、眠れない夜を過ごす事は出来ないと思った真澄はマヤを再びタクシーに乗せて、自分のプライベートマンションに向かった。
もう何があってもマヤを離さないとの意思表示か、真澄の手はマヤの手を握ったままだ。
車がマンションの前に止まるが早いか、一万円札をドライバーに渡して、釣りも受け取らずにマヤと共に車から降りる。
そしてマヤの手を引き、足早にマンションの中に入っていく。
部屋の鍵を開けてマヤを先に部屋に入れると、真澄はマヤをリビングに導いた。
「座って、マヤ・・・」
明らかに緊張をしているマヤをこれ以上緊張させないように、穏やかな声で話しかける真澄。
マヤはただ言われるがままに軽く4人は人は座れそうな長いソファーの中央に座らされた。
もう逃げ場はない。
真澄もマヤの隣に腰を下ろす。
マヤを怯えさせないように、彼女とは向かい合わず、開いた膝の間で組んだ手に視線を落としていた。
マヤもまた膝の上で重ねた自分の手を見つめていた。
「俺たちはもっとちゃんと話さないといけなかった。」
真澄はまず自分からと、話始めた。
「あの時の俺には君を成功させる事しか頭になくて、結果君のお母さんを死に追いやってしまった。
自分が許せなかった・・・君の涙を見るたびに俺は。」
「じゃあ紫の薔薇の人となって私を助け励ましてくれたのは、母の償いだったんですか?」
「違う、それは違う・・・。
いや、最初はそう自分に言い聞かせてはいたよ。
だけど本心は違っていた・・・何の柵もなしに君に愛情を注ぎたかった。
君の心を支えられる存在になりたかったんだよ。
いつの間にか俺は君を心から愛するようになっていたんだ。
けれど・・・君にとって大都の速水真澄は憎むべき相手でしかない事はわかっていたからね。」
真澄が自嘲的に放った言葉をマヤも即座には否定はできなかった。
だけど今は違う。
マヤはふと気づいた、自分と真澄は表裏一体の似た者同士なんだと。
「憎んだ事もありましたよ・・・そうしないと生きていけなかった、あの頃の私は。
子供だったんですね・・・。」
「今も怨んでいるだろう?」
「どうかな、、、よくわからないです。
私の中の速水さんへの想いはそんな単純じゃないんです。
いっそのこと嫌いになれたなら楽だったのに。」
「死ぬまで俺を許さなくていい・・・マヤとの間に何も無くなるくらいなら。」
真澄はマヤに話す事で、自分の心を整理していく。
「好きも嫌いも、感謝も怨みも、マヤの気持全部を俺のものにしたい。」
マヤにとって何の意味もない、無味無臭な空気のような存在にだけはなりたくない。
「・・・君を誰よりも愛している。」
「私にとって速水さんは、悪魔と天使・・・鬼と仏・・・全部の顔を持ってる人。
仕事で厳しく私を叱責する貴方も・・・暴漢に襲われそうになった私を見つけ出し、悲しいほどの不安げな顔で私を抱きしめてくれる貴方も・・・本当は大好きでした。」
「もう俺は紫の薔薇の影に隠れて、君を見つめなくていいのか?
俺を愛してくれるのか?」
最後の言葉はマヤの目を見て聞きたい。
真澄はマヤに向き直り、彼女の両肩にその大きな手を添えた。
「愛しています。」


真夜中過ぎのベッド。
白いシーツに包まった二人は甘く気怠い余韻に浸っていた。
「夢じゃないんだな・・・」
マヤを腕に抱き、もう片方の手の甲でマヤの頬をくすぐるように触れながら真澄は呟く。
いつもは艶やかな張りのある声音の彼だが、今は物静かな優しい声音をしていた。
「ひとつベッドの上で、俺の腕の中にマヤがいるなんて、まだ信じられない。
・・・怖いよ。
もしも朝に目が覚めて、君がこの腕の中から消えていたらと思うと。
怖くて、眠れそうもない・・・。」
真澄は両腕でマヤを再び抱きしめた。
「もう離れない・・・絶対に離してなんかやらないからな・・・覚悟しろ。」
真澄はマヤの耳元で囁く。
それは傲慢な言葉とは裏腹に真澄の不安と切なさが滲んだ懇願であった。

マヤ・・・もしまた歌を歌う時が来たら、今度は俺の為だけの優しいラブソングを聴かせてほしい・・・君の声は・・・俺の心を震わせて、溶かしてしまうんだ・・・

真澄はそっとマヤの唇に優しいキスを落とした・・・


〜Fin〜