この恋が叶うなら 〜4〜 | 夢の終わりに・・・

夢の終わりに・・・

哀しいほどの切なさとときめきを


もう何も信じたくない・・・。
マヤはかつてない絶望感に苛まれていた。
鷹宮紫織から聞かされた真澄の話を疑うべくもなく信じるマヤの素直な気性は、マヤ自身を時に酷く傷付ける。

何よりも大切だった紫の薔薇・・・けれど今は一番見たくない花になってしまっている。
とにかく苦しくて哀しくて、何も考えられなくなってしまう。

こんな状態で、紅天女の試演に望むことなんて無理だ。
マヤは憔悴した表情で、稽古場を後にした。

「マヤちゃん・・・」

「水城さん?」

水城はマヤをアパートまで送っていき、そのまま部屋に上げてもらった。
来る途中で買ったデリを食欲がないと言うマヤに何とか食べさせ、マヤに何があったのかを根気よく話させた。

話を聞いてるうちに怒りで握りしめた拳が震えてくるのを水城は我慢できなかった。

「マヤちゃん・・・貴女は人を疑うということを知らない。
それはとても素晴らしい美徳だわ。
でも、もし真澄様が紫織さんの言ったことを否定されたら、貴女はどちらを信じるの?」

水城の言葉にマヤは頭を殴られたような衝撃を覚える。

「紫の薔薇の人が・・・いえ、真澄様がこれまでマヤちゃんをどれほど大切にして来られたか。
そんな彼が、貴女を傷つけるようなことを本当にすると思うの?」

「だって・・・速水さんは紫織さんのことを愛しているんでしょう?
だから結婚するんでしょう?」

マヤは泣き出してしまった。
けれど、それに怯んでいる水城ではない。

「世の中には、政略結婚で愛のない婚姻をすることもあるわ。」

「速水さんは好きでもない人と結婚しようとしたんですか?
でも私にはわかります。
紫織さんは、速水さんのことを心から愛しているって。」

水城は溜息をつく。
マヤにはやはり、婚約に関して、真澄のとった行動は理解できないのだろう。
真澄が義父英介の言うがままに、縁談を承知したのは、マヤへの恋に希望を見出せず、自暴自棄になっただけのこと。
けれど、それは真澄自身でマヤに弁解するべきだと、水城は思った。

だから水城はマヤに、今はただ、真澄を信じてやってほしいということしかできなかった。
マヤは、イエスともノーとも言わない。
ただ、哀しみの涙を流すばかりであった。

夜明け近く、水城はマヤのアパートを後にした。
そしてひとつ腹に決めなければならないことがあった。
もしもこのまま、真澄がいつまでも行動を起こせないならば、自分は真澄の元を去ろう。
そして、マヤの個人事務所でも立ち上げ、彼女を育てていこう。
水城にとってもマヤは、今となっては家族・・・そう、妹のような愛すべき存在だ。
あの聖でさえ、自分と同じ事を言っていたのだ。
恐らく聖の心の奥底には、マヤに対する男女の情が生まれているのかもしれない。
仮にそうだとしても、それを今の真澄が責められるはずもない。

できることなら、真澄に一刻も早く気づいて欲しいと水城は願う。
真澄は今、本当に大切なものを幾つも同時に無くそうとしているのだ。


水城の切なる願いが届いたのか、ようやく真澄が覚醒した。
水城も聖もこの時を待っていた。
走り出す準備はとうに出来ていた。
真澄は水城から、鷹宮との提携解消シミュレーション案を受け取った。
その案をさらに真澄自身で三日三晩かけて見直す。
水城はそのアウトプットを見て、改めて真澄の経営者としての能力の高さを痛感した。
さらに真澄の指示で、弁護士と会計士の手配をする事になるが、既に水城は親友の藤堂朱夏に話を通してあった。
そして幾人かの真澄派の役員を巻き込み、この一大プロジェクトの布陣は揃った。
聖からは、やがて鷹宮とギリギリの交渉戦が繰り広げられたときの切り札に使える幾つもの内部情報が提供された。
こうして真澄は自ら蒔いた種によって雁字搦めにされた荊の蔓を断ち切って行くことになった。

真澄は聖に一通の手紙と紫の薔薇の花束を託す。
マヤは聖からそれを受け取った。


北島マヤ様

先日貴女から、もう紫の薔薇もメッセージも贈らないで欲しいと言われたにもかかわらず、こうして手紙を差し上げる事をお許し下さい。

私にとって貴女は、出会った時から眩しい存在でした。
貴女に出逢って私は、昔なくした人間らしさというものを取り戻すことができたのです。
貴女を見守り、助けることは、自分自身を生かすことと同義だったのです。

初めは、貴女の舞台を観て得た感動をただ伝えたくて、紫の薔薇の花束を贈りました。
でもいつしか、その花束に、決して言葉にはできなかった私の恋心を託すようになりました。
私にとって貴女は、初めて愛した女性で、最初で最後の愛すべき人なのです。

けれど、愚かな私はやり方を間違えてしまった。
そして貴女を愛するあまり、臆病になり過ぎて、過ちを正すどころか何度も繰り返してしまった。
その結果、どれほど貴女を傷付けたことでしょう。

この悔いは一生消えません。
生涯を賭けて償わせて欲しい。
そして許されるなら、これから先も貴女の傍で貴女を守らせて下さい。

本当は全てを清算した身で、貴女にこの事を告げたかったのですが、これ以上貴女を苦しめたくはありませんでした。
だから、手紙という手段をとった事を許してください。

勝手だとは思いますが、もうしばらく私に時間を下さい。
全ての問題を片づけで、貴女に逢いに行きます。

そして、今度貴女の前に立つ時は、何よりも先に、この言葉を貴女に贈りたいと思います。

貴女だけを愛しています。

速水真澄


マヤの手紙を持つ手が震えた。
紫の薔薇の人からの直筆の手紙。
そしてそこには、速水真澄の四文字。
手紙とはいえ、やっと名乗ってくれた。
そして、想いを伝えてくれた・・・マヤは、静かに涙を流した。
悲しい涙じゃない、嬉しい涙だった。

もう二度と自分の元には届かないと思っていた、薔薇の花束・・・。
改めて抱きしめる。
薔薇の花に埋もれるようにして、小箱が忍ばせてあった事に気づいた。
マヤは箱を取り出し、リボンを解く。
蓋をあけると、iPhoneと小さなベルベットのジュエリーボックスが出てきた。
さらにその小箱を開ける。
そこには、小さなアメジストで縁取られたオープンハートに更にメレダイヤで縁取られたもう一回り小さなオープンハートが少しずらして二連になっているペンダントが輝いていた。
まるで、マヤの心を背後から抱き締めて守るような真澄の心を表現しているようなモチーフ。
真澄の想いにマヤの胸が熱くなった。

マヤがそれを手にした頃、iPhoneが鳴った。
真澄からの電話だった。

「速水さん・・・?」

「こんばんは、マヤ。
逢いに行けなくてすまない。
そのiPhone、メールの設定もLINEというツールの設定もしてあるから、何時でも連絡しておいで。
俺もマヤの声が聞きたくなったらかける。
使い方は、麗君に聞くといい。」

「はい、頑張ってみます。」

「マヤ、君には会って話したいことが山ほどあるが、もう少しだけ待っててくれないか。
とにかく今は、君は紅天女の試演に集中するんだ。
試演には必ず俺も駆けつける。
その手で、君は夢を掴むんだ。
マヤなら絶対にできるから・・・。」

「私、速水さんに私の紅天女を観てもらいたい・・・貴方のために全身全霊をかけてか臨みます。」


翌日、黒沼はマヤの迷いが消えたことをマヤの阿古夜に見た。

「北島ぁ・・・ようやっと、乗り越えたな。」

そこからは、これまでの不振がまるで嘘のように、黒沼組の紅天女は完成されていった。
マヤにも黒沼にもはっきりとした手応えが感じられた。

そして、紅天女の試演までの残すとろ後一週間。

マヤはいつも通り、稽古に専念していた。
稽古は夕方7時に終わる。
残り一週間は、メンバーのコンディション管理のために、稽古は軽めになっていた。

「明日はゲネプロだ。
朝9時に劇場に集合だぞ。
お疲れさん!」

「「「お疲れ様でした!」」」

黒沼の号令で、稽古が終わる。


マヤは、稽古場のシャワーを使って汗を流し、私服に着替えて稽古場を出る。
何時も通りに駅までの道を歩いていたら、背後から男が走ってきて、突如マヤの右腕をナイフのような刃物で切りつけて去っていった。
マヤは衝撃で、その場にうずくまり、悲鳴をあげた。

あたりは、駅も近く、そこそこ人通りもあったため、騒然となった。
直ぐに誰かが警察を呼び、救急車も駆けつけた。

マヤは直ぐに近くの病院で、処置を受け、真澄や水城、黒沼が駆けつけた時には、病院のカンファレンスルームで警察の事情聴取を受けていて、ちょうどそれが終わったところだった。

「「マヤ(ちゃん)!」」

久し振りに見る真澄の顔は、少し痩せていた。

「ごめんなさい、心配をかけて。」

マヤは三人に頭を下げる。
そんなマヤに真澄は大股で近づいていき、人目も憚かることなく、自分の胸に抱き寄せた。
真澄は、またもマヤを護ってやれなかった事が悔しくてならない。
けれど何より、こうしてマヤが、怪我こそしたものの、無事だった事に何より安堵した。

~君を失ったら、俺はきっと、生きてはいけないだろう・・・。
君だけが俺を生かす唯一の存在なんだ。~

マヤの胸に、真澄の想いが伝わる。

~ああ、この感覚・・・前にも何度かあった。
紫の薔薇の人と速水さん・・・その胸の中は何時も同じだったな・・・~

マヤは真澄の胸の温かさにホッと溜息をついた。

水城と黒沼は、警察側の要請で事情聴取に付き合うことになった。
図らずも部屋には真澄とマヤの二人だけとなった。

「マヤ、すまない。
また俺は君を傷付けた・・・守れなかった。」

血まみれのブラウスをタンクトップの上から肩に羽織っているマヤ。
真澄は直ぐに自分の上着をマヤに掛けた。
そのまま、傷に当たらないことだけを気をつけて、真澄はマヤを再び抱きしめた。

「すまない、マヤ。
今度君に逢えたら真っ先に言おうと思ってたのに・・・
マヤ、愛してる・・・・。
ずっと君が好きだった・・・。」

「私も速水さんが好き・・・紫の薔薇の人が速水さんだったらってずっと思ってた。
本当に速水さんだとは思ってなかったけど・・・。」

「君にはいっぱい辛い想いをさせてしまったな・・・許してくれ。」

「私こそ、貴方をきっとたくさん傷付けた。
それなのに、昔からホントにたくさんの愛情をくれて、ホントにホントにありがとうございました。」

「礼なんか言わなくていい、これからも俺の傍にいてくれさえすれば、それだけでいいんだ、マヤ。」

真澄は何度もマヤを抱きしめる。

二人の想いは尽きなかったが、いつまでも病院にいるわけにも行かない。

事情聴取を終えた水城と黒沼が戻ってくるのを待って、今後の話し合いをする。

「幸い軽傷で済んだ。
試演に支障を来すことはないだろう。
北島、明日のゲネプロは無理に難しい動作はしなくていい。
全体の流れだけ、な。
その後は、もう試演まで稽古は不要だ。」

「真澄様、マヤさんをこのままアパートに帰すのは危険ではありませんか?」

「ああ、それは俺も考えていた。」

真澄は迷いながらもマヤに尋ねた。

「マヤ・・・俺のマンションに来ないか?」

「えっ?」

「それがいいわ、マヤちゃん。
真澄様のマンションならセキュリティは完璧よ。」

「それと、試演・・・いや、鷹宮とのケリが着くまで、聖にマヤを守らせる。」

「それがいいだろうな。」

黒沼にも異論はなさそうだ。
こうなるとマヤとしても、素直に従うほかない。
決して嫌なわけじゃない、本心を言えば嬉しいくらいだ。
ただ、あまりにも早急な展開に心がついて行かない。

「今回の件、やはり鷹宮が絡んでいるのでしょうか?」

水城が心配そうに真澄に尋ねる。

「まだそれはわからないが、そのうち報告があるだろう。」

もし鷹宮の仕業というのなら、もう手段を選んでいる場合ではない。
聖が入手した情報を使って一気にカタをつけるまでだ。
そうなれば、まだ婚約解消を承諾していない紫織もどうにもならなくなるだろう。
できれば、彼女をこれ以上傷つけずに済ませたかったが、これ以上マヤが危険に晒されるのとは比べる術もない。

こうしてその夜、真澄はマヤを連れて自分のマンションに戻った。


「マヤ・・・今は、試演の事にだけ集中しなさい。
俺も大都の為に全力を尽くす。
そして、全てが終わったら・・・
何もかもが、上手くいったら、その時こそ俺は・・・。」

「わかりました。
私、自分を信じて、そして速水さんを信じて、全てを受け入れて紅天女になります。」

潔いマヤの言葉に真澄も勇気をもらう。

真澄は一度だけマヤを抱きしめ、離れがたくはあったが、身体を離した。


別々の部屋で眠るにしろ、一つ屋根の下で過ごす事が出来るなんて、夢にも思わなかった。
真澄はマヤを手元における安心感を噛み締めた。
それはマヤも同じであった。
二人共が精神的にも肉体的にも極限状態にあったため、その安心感は、久方ぶりの安眠を二人に与えてくれた。

あともう少しで、紅天女の・・・二人の運命の幕が開く・・・


~To be continued~