香港小夜曲〜Serenade〜 1 | 夢の終わりに・・・

夢の終わりに・・・

哀しいほどの切なさとときめきを


彼女と初めて海外に来た。

100パーセント、プライベートの旅・・・だったら良かったんだが。

仕事半分、プライベート半分。
それでも充分に幸せだと思う俺がいた・・・。

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話は半年前に遡る。

例年、我がグループのカレンダーは、著名な写真家の作品が選ばれているが、今年は姫川亜弓と北島マヤのダブルキャストで彼女たちのグラビアカレンダーの企画となった。

非売品であるそれは、おそらくプレミア必至のお宝となるはずだが、俺は当初この企画には、乗り気ではなかった。
というか、否決しようとしていた。

何故かって?・・・マヤのグラビアカレンダーが、世の中に出回るのである。
世間のオヤジ達の好奇の目にマヤが晒されるかと思うと、
「はい、そうですか。」
と決裁する気には、到底ならないだろう。

俺は企画書を一瞥した後、そのまま未決裁箱に企画書を戻し、見て見ぬ振りを続ける。
我ながら幼稚な抵抗だ。
マヤの事となると、どうにもおかしくなる俺の行動。
自覚がないわけではないのだが、マヤに関しては、理性よりも感情が圧倒的に優先されてしまうのだ。

未決書類の山から、ちっとも抜け出せないでいるカレンダーの企画書を溜息交じりに秘書の水城君が手に取った。
恐らく嫌味のひとつも言われるに違いない。
俺は、他の書類に没頭している振りをする。

「真澄様、こんなことでいちいち目くじらを立てていらっしゃったら、これから先、貴方様の身が持ちませんわ。」

「ああ、、、」
俺は、曖昧な相槌で、ごまかす。

水城君は、何を言わずとも俺が決裁を渋っている理由を見抜いている。

そして、俺が決裁をせざるを得ない状況になるようにするための、lethal weaponも持っていた。

「今回のカレンダー企画、亜弓さんは今滞在中のシカゴでのロケがあります。
マヤさんはスケジュールの都合もあり、近場でのロケを予定していますが、香港か台湾辺りなら海外ロケもありかと、検討中です。」

『海外ロケ』と『香港』という単語がなんとなく力強く聞こえたのは、俺の耳のせいじゃないよな・・・。

「香港か台湾・・・」

俺が喰いつくのをじっと見ている、ハンター水城。

「水城君、確か今年は香港で・・・」

「はい、香港支社の創立15周年記念パーティーが、6月4日にございますわね。
真澄様もそのパーティーにはご出席いただかなくてはなりません。」

俺は未決書類の中から、企画書を取り出し、もう一度企画のスケジュールに目を通す。
ロケ先は検討中とあるも、撮影スケジュールは6月上旬とある。
俺は水城君の方を見た。
彼女が不敵に微笑って見せる。
速水真澄がいとも簡単に、ハンター水城の罠にかかった瞬間だ。

「条件付きで、決裁を通してやる。」

その条件とは、言うまでもない、「ロケ先は香港とする事」、「創立記念パーティーの特別ゲストに北島マヤを招くため、それにスケジュールを合わせること。」これが承認のための条件だ。

恐らく、水城君はそこまでの青写真を描いているに違いない。
この条件に対応できないような詰めの甘い企画であれば、そもそも、水城チェックの段階で突っ返されているはずだ。
腹立たしいほど、有能な彼女の事だから。

まだこれから半年もある。
スケジュールの調整は出来るに違いない。
いや、今のうちに手を打っておかないと、折角のチャンスを不意にしかねない。
余裕のないところを秘書に見られるのは癪だが、この秘書にはどんなに取り繕っても無駄な事は、嫌という程思い知らされている。
ならば、無駄な見栄を張らず、素直に甘えた方が、得るものは多いはず。
俺は早速、水城君に声をかける。

「水城君、君に頼みがある。3日いや、2日でいい。香港滞在の最後にマヤと俺のオフを合わせて確保してくれないか?」

「2日でよろしいんですの?」

「恐らくそれが限界だろう・・・」

殊勝な俺の言葉に、水城君は満足気だ。
俺の反応は、水城君の想定通りだったようだ。
となれば、恐らく今回の俺の希望は叶えられるという事か。

「そうですわね、2日であれば何とかなるかと。
ホテルはペニンシュラのプレジデントスイートでよろしかったですか?」

それみろ、既にホテルも押さえてありそうな勢いじゃないか。
しかし、そんな野暮な突っ込みはしない。

「ああ、頼む。それから、ランクは君に任せるが、他にスイートを二部屋、同じ期間で押さえておいてくれ。」

これには、水城君も意外な表情を見せた。

「水城君と藤堂君、君たちも今回は同行したまえ。
君たち二人の部屋だ。
遠慮せず好きな部屋を選んでくれ。
俺たちがオフの時は、もちろん君たちもオフだ。
これで、evenだろ?」

「真澄様・・・」

水城君は感激してくれたようだ。
正直、俺はこの有能な秘書に足を向けて眠れない程、恩義を感じている。
ビジネスを抜きにしても余りある程の苦労と思い遣りをもらっている。
水城君と藤堂君がいなければ、俺とマヤの未来が重なる事は無かっただろう。
俺は生涯、砂を噛むような人生を歩いていかなければならなかったはずだ。

たかだかこの程度の事で恩返しができるとは思ってはいない。
少なくとも今回の我儘で、二人にまた苦労をかける事になるので、その詫びの気持ちだ。

「藤堂君にも伝えておいてくれ。
マヤのスケジュールをきっちり死守してくれと。」

「承知いたしました。」

「それから、飛行機はビジネスクラスで構わない。」

日本のエアラインの場合、アジア短距離便は、ファーストクラスが少ない。
したがって、アジアへの海外出張の際は普段、外資エアラインのファーストクラスを利用する。
しかし、今回はそれでは困るのだ。

「ファーストクラスでなくてよろしいのですか?」

「時間も短いしな・・・ビジネスクラスであれば、便数も増えてスケジュールの調整もしやすいだろう?
国内でも外資でも構わないぞ。」

もっともらしい理由を言ってみる。

俺が今回、ビジネスクラスを選んだ理由・・・それは、シートだ。
最近のファーストクラスは居住性を追求する余り、プライベート空間を確保することが最優先の設計になっている。
つまり、飛行機に乗っている時間、思うようにマヤと緊密な時間が過ごせないという、最大のデメリットを有しているのだ。
ビジネスクラスも最近は、カプセルシートになりつつあるが、何とかシートは隣り合わせになっている。
普通に会話をするのには問題ない。
この点だけで言えば、俺はエコノミークラスでも構わない、というかエコノミークラスがいい。
あの狭っくるしいシートなら、マヤと俺の間には殆ど空間もなく、狭いシートピッチは、人の視線も遮ってくれる。
手を握ろうが、マヤの膝に手を乗せようがやりたい放題だ・・・が、流石にエコノミーとは言えないよな。
俺は、フライト中のマヤとの時間に想いを馳せる。

「そういうことでしたら、外資よりANAかJALがよろしいですわね。
外資のエアラインは、カプセルシートが増えていますので。
アジア路線でしたら国内エアラインは、ビジネスでもそれなりに隣の方と近いですものね。」

水城君には俺の心の声が聞こえているのか?
バレていた・・・完全に俺の思惑などお見通しなのである。

「あ、ああ、そうだな。
君たちももちろんビジネスを使ってくれて構わないから。」

何とか話を逸らしたい。

「では、真澄様達から離れたところで取らせて頂きますが、国内エアラインですから、あまりイチャイチャされませんように。
CAたちにSNSなどで余計な事を書かれては後々面倒です。」

我が秘書殿には完敗である・・・。

「わかった・・・努力・・・する。」

かくして、俺は5泊6日のマヤとの香港の旅を手に入れた。



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後は、マヤとの香港の旅を待つばかりと思っていた俺に、思わぬ伏兵が現れる。

それはマヤ本人であった。

「私がパーティーとか苦手なの知ってるくせに、何でわざわざ香港まで行って、パーティーに出なきゃいけないんですか?
聞けば、そのためにロケ地が台湾から香港に変わったとか。
速水さんダメですよ、社長だからって、我儘言っちゃ。
皆困るじゃないですかぁ。」

Boo, Boo‼︎ まさにブーイングの嵐である。
しかもマヤの話は、微妙に的を得ていたり、外れていたりする。
別に台湾に決まっていた訳じゃないしな。
そもそも水城君の計画で行けば全て想定内の筈だが。
でも、いちいちこれを正していると、益々マヤの機嫌は悪くなり、最後は、
「速水さんなんて大っ嫌い‼︎」
と叫ばれる。
これはこれで俺的にはクセになっていて、怒った可愛いマヤが見られるのでいいのだが、今回の香港行きは何としてでも実現させたい。

故に、俺は真面目にマヤを説得する事にした。

「確かに今回は、君と俺のスケジュールを合わせるために、ロケ地を香港にしたし、パーティーの出席も俺の一存で決めた。」

でもね、と言って、俺の横で仁王立ちになっているマヤの手を引いて、抱き寄せた。

「こうでもしなきゃ、俺たち、お互い忙し過ぎて、一緒に海外へ旅行するなんて夢のまた夢だよ?
今回のチャンスを逃したら新婚旅行まで、海外旅行なんてお預けになってしまうよ。
それでもマヤは平気なの?」

本当に泣きはしないが、泣き落とし作戦だ。

「俺は、マヤと少しでも長く一緒にいたいし、マヤと一緒に色んな体験をしたいんだ。
ずっと俺はマヤに片想いしてたから、その想いが人より強いのかもしれないな。」

話してるうちに俺は本気で、切なくなってきた。

「パーティーだって、今回初めて俺は君のパートナーとして出席できるんだよ。
俺がどれだけそれを願って、待ち望んでいたか、君だけにはわかって欲しいんだ。」

あの頃の切なさとやるせなさが甦る。
マヤの手を取りたくても取れなかった。
俺のこの手も未来も紫織さんが握っていたあの頃。

「・・・マヤの恋人として、初めて公の場に立てるんだよ。」

「それが速水さんの本音?」

「そうだよ。
マヤの恋人は俺なんだって、やっとみんなに言えるようになったんだ。」

マヤとの交際宣言は、マスコミ相手に記者会見をした。
しかしそれ以来、公の場にはマヤと一緒には姿を見せていない。
照れ臭くはあるが、やっぱりマヤと恋人同士になったということを、他人のフィルターを通しても確認したかった。
自他共に認められる仲になりたかった。

マヤが少し悲しそうな顔をする。
ここまで言ってもやっぱりダメなのかな。

「やっぱり嫌?」

「違うの、私自分の事ばっかりで、速水さんの気持ちとか、全然分かってなかったなって、反省してるの。」

「なら、今度の香港行き、パーティーの件もオフの件も受け入れてくれますか?お嬢様。」

俺は彼女の手の甲にキスをする。

「はい、よろしくお願いします。」

マヤの笑顔にホッとして、嬉しくなる。

「ありがとう、マヤ。
嬉しいよ。
君と一緒のフライトも。
普段はつまらないと感じるパーティーも。
そのあとの二人だけの休日も。
何もかもが楽しみで仕方ない。」

2日目と3日目は、互いのそれぞれの仕事の予定がみっちり組まれる事になるから、ホテルで一緒に眠る以外の時間は持てないだろうが、二人が出逢ってこれだけの時間を長く二人で過ごすのは初めてだということは、彼女も意識してくれているみたいだ。

「速水さんと飛行機乗るの初めてだよね。
私、飛行機苦手なの。
顔引きつってるかもしれないけど、笑わないでね。
あのフワッて飛行機が下がるのが怖いの。
お仕事で何回乗ってもダメなの。」

「大丈夫、俺がちゃんとマヤの手を握ってるから、怖くないよ。」

その為に、ファーストクラスはやめましたとは、言わない。

「あとね、水城さんに教えてもらって、インターネットで見たの。

アフタヌーンティーって、お皿が3段になってて、サンドイッチやケーキがたくさん載ってるの、、、あれ食べてみたいの。」



流石、水城!
がっつりマヤのツボを押さえてくれてるじゃないか。

「俺たちが滞在するペニンシュラのアフタヌーンティーは有名なんだよ。


もちろん最初からマヤと一緒にアフタヌーンティーを愉しむつもりだったんだ。」



これは、出任せでもなんでもなく、本当にそうするつもりだった。

二人だけでゆっくりと、アフタヌーンティーを愉しむなんて、日本では考えられないからな。


アフタヌーンティーのスタンドを目の前にしたマヤの笑顔を想像するだけで、幸せな気分になる。



「あとね、マヤ。
君もロケで香港の名所は幾つか行くだろうから、オフの1日目は少し足を伸ばして、澳門(マカオ)へ行こう。
昔はポルトガル領だった所だから、エッグタルトとかスイーツもあるし、街並みも可愛いんだ。
きっとマヤも気に入ってくれると思うよ。」

俺の期待だけじゃなく、マヤの期待も膨らませてあげないとな。

「なんか、とても楽しみになってきました。」

さらにマヤを喜ばせる為に、今回の香港には、水城君と藤堂君も同行する事を伝えた。

「わぁ~、なんか遠足みたいで楽しそう。」

ビジネスクラスで、ペニンシュラのスイートの旅を遠足と例える我が恋人のあどけなさがたまらなく愛しい。

素顔のままで、何も変わらない君が好きだ。
これからだって、俺ができる事は何でもしてあげる。

「マヤ・・・、半分は仕事だけど、半分は恋人の時間だからな。
二人で楽しく過ごそうな。」

マヤが満面の笑みで、約束をしてくれた。


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マヤとの初めての海外。
気流も安定していて、フライトも穏やかだった。
マヤは昨日の夜も遅くまで雑誌の取材が入って、疲れている様子だったので、機内食を済ませると俺は早々に眠るように言った。
香港国際空港に到着したら、すぐにホテルに入って、夜会の支度をしないといけない。
休めるうちに休ませてやりたかった。
窓側の座席に座ったマヤは、リクライニングをフルフラットにすると、俺の方に体を向けて眠り始めた。
俺もマヤに合わせて、シートを倒した。
マヤの手が、俺の左腕に触れている。
俺はマヤにブランケットを肩口まで掛けてやり、彼女の寝顔を眺めていた。
彼女の右腕をブランケットの中に入れて、互いの手のひらを合わせて恋人繋ぎにした。


予定通り、ペニンシュラに到着すると、小休止のお茶もそこそこに、予め部屋に用意されていた正装用の衣装に着替え、パーティー会場となるカオルーン シャングリ・ラ ホテルにリムジンで向かう。
機内での仮眠が功を奏したのか、マヤは元気だ。

今日のマヤの衣装は、薄紫色のシルクサテンのドレスだ。
襟元が中国風の立ち襟になったノースリーブで、スカートはフワッとしたAラインになっている。
ゆったりと結いあげた髪には、紫の薔薇の生花とパールの髪飾りがあしらわれている。
足元は同素材のミドルヒールのパンプスだ。
今回の装いは、予め水城君と藤堂君で決めてもらった。
マヤ本人からのリクエストは、髪に紫の薔薇を着けたいとの一点だけ。



パーティーでは、終始笑顔で俺の傍に寄り添い、ゲストに挨拶をしてくれている。

「素敵なお嬢様を射止められましたね。」

と、地元の名士達が口々に賞賛してくれる。
時折、マヤに視線を向けると、彼女も自然にこちらを見てくれて、俺は言いようのない安心感を覚えた。
マヤが自分の傍に確かにいるんだという充足感が自然に俺の表情さえ変えてしまうようだ。

何人かから、

「速水社長、以前と比べると、ずいぶんと雰囲気が変わりましたな・・・。」

と、言われる程に。

パーティーも後半にさしかかった頃、香港映画会の若きスターである、ユン・シャオランが俺とマヤの所に挨拶にやってきた。

「この度はおめでとうございます。御社の益々のご発展をお祈り申し上げます。」

日本人も舌を捲く流暢な日本語を操るユン。
俺も社交辞令ながら、鄭重に相手をする。

「速水社長、実は是非お願いしたい事が。」

「何でしょう?」

「今度是非、ミス北島と映画で共演させてください。
貴女は、僕の理想とする女優そのものだ。」

ユンは器用にも前半は俺に、後半はマヤを相手に言葉を発する。

「こちらからも是非お願いしたいですね。
実現すれば素晴らしいニュースになりますから。」

俺は、プロダクション社長としての立場で、対応をした。
顔では平気に笑って見せているが、心は少しささくれ立つのを感じた。
マヤを自分の理想だと公然と言ってのけるこの男が小憎たらしく思えてきた。
もちろん女優としてと言っているわけだからと自分を宥めてみるが、そんなの本心はわからないよな。
素のマヤを見て、惹かれない男はいないだろう・・・そんなの男じゃない。

「ミス北島、もしよろしければ、滞在中、香港を僕がご案内しますよ。
何かあればこちらに連絡を。」

彼は胸ポケットから、淡いグリーン色の小さめの二つ折りのカードを取り出し、マヤに手渡す。

「ありがとうございます。」

マヤは笑って御礼を言うが、それ以上踏み込んでは答えなかった。
それでいいよ、マヤ。
君をエスコートするのは俺だけの特権なんだからな。

俺はユンからマヤを引き離したくて、適当に挨拶をして切り上げた。

「マヤ、疲れていないか?
少しくらいなら外の空気を吸いに行ってもいいぞ。」

「大丈夫、飛行機の中で眠ったのが良かったみたいです。
なんか、速水さんの隣で眠ったら、すごく良く眠れたの。
安心できるのかな~。」

マヤ、今ここでそのセリフは反則だ。
俺は自制心をフル動員させて、冷静さを保つ。

「今夜はこのパーティーが終われば、自由だから、もう少しの我慢だからな。」

マヤに言ってるんだか、自分に言い聞かせているのかわからんなと自嘲する。
マヤと俺が二人でひそひそ話しているのが、おかしかったのか、水城君と藤堂君が二人でこちらを見て、意味ありげに笑う。

パーティーも終わりに近づくと、何人かのゲストがマヤと記念撮影がしたいと寄ってきた。
その度にマヤは笑顔で応え、俺の元から離れて、ゲストのカメラに収まる。

俺はそれを傍で見ている役だ。
流石に俺にカメラマンになれと依頼してくる者はいないからな。

「真澄様、これからが大変ですわよ。
これまでみたいに、ヤキモチ焼きでは御身が持ちませんことよ。
おおらかに構えていらっしゃって。」

藤堂君が俺に進言してくる。
水城君は、思いもよらぬ義父の言葉を伝えてくれた。

「マヤさんのパートナーになる殿方は、大変ですわね。
陰に日向にマヤさんの身も心も支えていかなくてはなりませんもの。
いみじくも、会長がこないだ仰っていましたわ。
天女を護る名誉は、一国にも価すると。
鷹宮を棄てても余りあるその価値があの子にはあるなと。
ただし、真澄はこれからさらに度量ある男にならんといかん。
天女を護る男は、並の男では務まらんぞと、真澄に伝えておけと。」

あれ程鷹宮との縁談と提携に躍起になっていた義父のセリフとも思えない。
が、確かにマヤの紅天女を見たときから、義父の態度が変わった。

「全く、人の気も知らないで。我がオヤジ殿は。勘弁して欲しいよ。」

でも、あの義父ですら二人の仲を認めてくれて、鷹宮との提携解消も上手くいった。
おそらくは、俺の知らないところで、義父も尽力してくれたことだろう。
それを思えば、義父にも自然と感謝の情が湧いてくる。

いよいよパーティーもお開きとなった。
俺たちは、大都の現地法人の代表に見送られ、シャングリ・ラを後にする。

リムジンの中では、マヤが大きくひとつ息を吐く。

「ご苦労様、マヤ。
よく頑張ってくれたね。
ゲストもみんな喜んでいただろう?」

俺はマヤの手を握って、彼女の労をねぎらう。

「マヤ、もしこの後、疲れていなければ、ペニンシュラのラウンジで軽く飲まないか?」

「私達のお部屋じゃなくて?」

「うん、綺麗にドレスアップした君ともう少しデートしたいんだ。
俺たちほとんど何も食べていないし、軽く何かお腹にも入れたいだろ?」

「私は大丈夫。
速水さんがそうしたいなら付き合います。」

可愛いマヤのこのドレス姿をもう少し見つめていたいと思った。
ホテルに到着すると、俺はマヤの手を引き、最上階のラウンジへ向かった。

二人が通されたのは、人目につきにくい、奥の二人がけのソファー席。
窓際に面した、香港の夜景を見ることができる席だった。

俺は、Crystalのボトルと、軽めのアミューズにパスタ料理をオーダーした。

マヤは、やっぱりお腹が減っていたみたいで、アミューズやパスタを美味しそうに食べてくれた。

マヤは時々「これ美味しいよ~」とか言って、俺にも食べろと進めてくれる。
彼女は緊張が緩んだ反動か、かなりリラックスした様子で、何のためらいもなく、料理を俺の口元まで運んで、食べろと言う。
ガラス窓に俺たちの姿が映るのを見て、面映ゆい。
でもここならほとんど誰からも見られないし、見られたとしても海外であればさほど珍しい光景でもない。
俺は変な遠慮は捨てて、マヤに甘えた。

「美味しい?もっと食べる?」

「ああ、美味しいよ。」

「もっと?」

「もっと。」

このひとときで、積年の苦労も報われる気がするなんて、俺も結構単純な男だな。

マヤが小さな欠伸をした。
そろそろ限界だな。
俺は、グラスをテーブルに戻して、マヤと席を立つ。

そのまま部屋に戻ると、バスの用意が整っているのを確認して、マヤに入浴を促した。

「速水さん・・・朱夏さんは・・・まだ戻ってないかなぁ」

マヤが困ったように言った。

「何か用か?」

マヤはモジモジして何も答えない。
おそらくドレスを脱ぐのを手伝ってもらいたいんだろう。

「そんなことくらい、俺に言えよ・・・」

何も言えないマヤの思いを察して、バスローブを持ってきて、ドレッサーの前のマヤの背後に回る。
ドレスは丸い共布の包みボタンが沢山付いており、それで留めるようになっているため、ひとつずつ外す必要があった。
俺は手早く、その仕事を終えて、ドレスを上部をマヤから剥がすとすぐにバスローブを纏わせてやった。
足下にストンと落ちたドレスを跨いで、マヤがバスローブの前を閉じる。
マヤの顔が真っ赤になっている。
俺はドレスを拾い上げ、ドレッシングルームの台の上に二つ折りにして、置いておく。
俺は、そのままタキシードの上着を脱いで、カマーベルトと蝶タイを外す。

俺はカフスを外しながら、マヤを探すした。
マヤは、広いバスルームの洗面台の前で、髪に飾った紫の薔薇を慎重に外し、少しだけしんなりとしたそれに軽く口付けて、水を入れたグラスにそっと挿した。
そして、何本かのピンを抜いて、結い上げた髪をバサッと下ろした。

マヤにとって紫の薔薇は特別な花だということが、その仕草でよく分かる。
紫の薔薇への執着は、そのまま俺への執着と自惚れていいんだよな、マヤ。
俺はようやく、マヤを後ろから抱きしめて、その頸や首筋にキスをした。

「マヤ・・・愛してる。
やっと二人でここまで来ることができたね。」

アルコールで少しだけ昂ぶっている俺の感情。

マヤは、俺の腕の中でクルッと半回転して、俺に抱きついてくれた。

「大好き・・・速水さん。
私の大切な人・・・紫の薔薇の人が、速水さんで良かった。」

「マヤ・・・」

「もう、何処にもいかないでね。
ずっと私だけの紫の薔薇の人でいてね。」

「マヤこそ、一人で大丈夫とか言って、もう俺の傍から離れて行くなよ。
ずっとここに、俺の腕の中にいてくれよ。
マヤがいなきゃ、俺は生きていけないんだから。」

俺はマヤにキスをした。
マヤはぎこちなくも一生懸命俺に応えてくれる。

「ん・・・」

マヤが俺の腕の中でとろん・・・と蕩けたような目をして、身を任せてきた。

その後俺たちは、シャワーとバスを使って、ようやくベッドに入った。
流石に今夜はこのまま眠らないと、マヤの明日の仕事に差し障るな。
そんなことになったら、それこそ、二人の女傑に何を言われるかわからない。
俺はマヤを腕に抱いて彼女が眠りについても暫くは、その寝顔を眺めていた。

「俺の天女様・・・愛してる・・・」

もう一度だけ、おやすみのキスをして・・・


To be continued...