だから私は建築の専門学校に行くことにしました。
もちろん昼は仕事なので夜間の専門学校です。
中学生までの数学、力学が理解していれば問題なく授業を理解できますが、その基礎を勉強していなかったのです。
基礎学力をもう一度学ぶ直す必要がある私に格好の先生がいました。
某一流大学での実兄がいたのです。
毎日仕事が終わってから3時間学校で学びます。
帰宅して12時まで授業の復習を行います。
お酒は好きでしたが合格するまでは止めました。
何かを成し遂げようとすれば何かを捨てる覚悟がないと成し遂げることはできません。
昭和55年の2級建築士試験に臨む私の個人的な合格率を想像するとこの時点では30%有るかないかだと自覚していました。
周りのものどころか家族までそう思っていたはずです。
口には出しませんが。
その可能性を100%まで上げるには生半可な覚悟ではできません。
覚悟を決めた時からお酒や遊びは当然で彼女とも合格するまで合わないと決めました。
その覚悟には一度というキーワードも入れました。
「俺は今年の受験で合格しなければ俺の人生の未来はない!」と決めました。
今年合格しなければ来年があるなどとは欠片も思わなかったです。
不合格=人生終わり
昭和55年度福岡県2級建築士試験の結果
受験者数 4000名
合格者 200名
その前もそのあとも最低合格率の記録は破られていません。
受験者の90%が大学、高校の建築課卒業者
残りが大工さんなど現場従事者。
これでどうやって受かるのか?