病歴②
昨日の「病歴①」の続き。
高校卒業後、東京の漫画の専門学校に行く為に高校のクラスメイト2人と上京した!
足立区のマンションで3人一緒に暮らす事になったのだ!
最初はオレの母親だけ保護者として一緒に来てくれて、ご飯など作ってくれた。
しばらくして母親が広島に帰るので東京駅までお見送りをした。
新幹線が発車する直前に母さんが突然泣き出したのでビックリした!
オレは東京生活にワクワクしてたけど、母さんからすれば糖尿病になってまだ数年だし、
料理も洗濯もした事ないボンボンだから心配なハズ(上京前に少しは練習したけど)
あーあの場面は今思い出しても泣ける〜
↓その頃のオレと母さん
ってか全然、病歴の事書いてないや
紹介してもらった有名な糖尿病専門の病院に母さんと行ったな(有名人もよく来るらしい)
ちなみに3人生活は「あいつまた掃除さぼりやがって」などが続き、半年で解散!
でも半年で出たのに、壁が日焼けしてるとかタオルハンガーが壊れてると文句ばっか言われた!
タオルハンガーは最初から壊れていて、何度も管理人さんに言ったのに直してくれなかった!
学生3人だから舐められたのかな お母さんがあまり揉めたくないと言うので諦めたけど、
いまだに、長⚫️工のCMを見るたびイライラする!
30年以上前のこの恨み!絶対に許さない(しつこい?
)
またそれた
でも専門学校は楽しかった!課題は多くて大変だったけどとにかく楽しかったな
今も仲良い友達がたくさん人いるし、その中の1人が防災コミックを手がけた女子なり!
↓病歴について書かずに宣伝してる
あっという間に楽しい2年は過ぎ去り、デザイン会社に就職。
その後、転職したりして今の会社に入った!
たまに入院したりもしたけど、糖尿病生活は何とか頑張れた。
25才の厄年の時に森高のコンサートで右耳だけ突発性難聴なった
スピーカーの近くではあったけど原因は不明とのこと。
ま、耳は2つあるからいっか!と思ったけどけっこう不便
右側から話しかけられると聞こえないし、遠くから声をかけられると方向がよく分からない。
友達にはいつも左側に来てもらいオレが右側!これなら会話はスムーズだ!
そしてポジティブに『オレの右に出る者はいない!』と思っている
糖尿病生活に大きな変化はなかったけど、少しずつ糖尿病3大合併症の1つ腎臓が悪くなって来た!
2017年には顔がパンパンに浮腫んでいた!
んで緊急入院して、首から透析する事になった。
その後の透析も2種類あって、腹膜透析と言う腹膜を手術して毎日自分でやる透析と、
血液透析と言う週3回(4時間)病院でやる、いわゆる世間が思う透析と選べた。
週3で血液透析をすると仕事が出来ないので腹膜透析を選んだ。
毎日機械をセットするのは大変だったけど、寝てる間に出来るので良かった!
んが、段々腎臓の数値が悪くなってきて、週一で血液透析、後は腹膜透析になった。
その頃、膵臓と腎臓の同時移植が出来る事を知った!
糖尿病でも1型糖尿病だけ出来ると言うので登録してみた!
中1の時に「一生治らない」と言われて諦めていたけど、医学の進歩は素晴らしいね!
今、難病で苦しんでる方々も希望は捨てないでほしい!オレも40年ほど待ったし!
でも登録して数年が経ったけど、ドナーさんは中々いないようだ。
移植が出来る身体かどうか毎年色んな検査をしていたけど、そこで腎臓の癌が見つかる!
「移植の為にも取りましょう!」と言われ、右の腎臓を摘出。
その半年後に術後どうなったか検査すると、今度は左の腎臓が癌に!
もう本当にショックだった
でも少しだけ良い事も!右の腎臓を摘出した時に10万円が当たり、
左の腎臓を摘出した時に73万円が当たった!
これは天国のお父さんから「頑張れよ!」のお見舞いだと思った!父さんありがとー
それから(5年は確認するらしいけど)一旦癌は落ち着いた!
そんな時、東京の大きな病院に移植手術をする予定で登録してたのに、
その病院が移植手術から撤退すると言うではないかっっ
新たな病院を色々探したり紹介されたりして、今入院してる名古屋の病院を選んだ!
わー長くなったな病歴についてはこんな感じ!
今度は移植手術や入院中のアレコレを書く事にしよー