いらっしゃいませ![]()
![]()
ご訪問、ありがとうございます![]()
「自分を変える」と決めた私の前に
最終的にたちはだかる壁、「自我」
自我について
ミカエル様のサイトからヒントを頂きたいと思います。
(赤字・・抜粋、「・・・」中略の意)
「自我との戦い」
https://ameblo.jp/leo085/entry-12337595850.html
新約聖書 ルカによる福音書 9章23~24節
それからイエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。」
新約聖書 マタイによる福音書 10章37~39節
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。
この「自分を捨てる」という意味を本当に理解していますか。これは言い換えれば、自我の放棄であり、地上で生きる間に自分がしたいことをする、自分が考えたいように考え、自分が信じたいものを信じるというような事象は、すべて自我から来ており、そのような肉の思いを捨てることを意味します。
私が衝撃を受けた一節
「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。」
「親や子どもへの愛情さえも捨てなさい、私についてくるならば」とおっしゃっています。
普通は、「親や子どもには愛情を持つべき」と言われます。
「捨てなさい」とは全く真逆のお言葉です。
にわかには受入れ難いものではありますが![]()
![]()
![]()
ものの見方・考え方を変えたければ
これくらいの発想の転換が必要なのかもしれません。
まさに、コペルニクス的転回で物事を考えたときに
新しい思考回路が私の中で目覚めるかもしれない![]()
と思い直し、あれこれ考えてみました。
「親と子は大事にすべき」「親には感謝すべき」「子は愛すべき」
この「大事」=「一番大事」として私の潜在意識には刷り込まれています。
「一番大事にしなければいけない親や子よりも愛せよ」と強制させられているようで、
「それってちょっと・・・・・![]()
」
なんて、恐れ多くも聖書にさえ反抗心や拒否感を抱いてしまいます![]()
この反抗心や拒否感はどうしてでてくるのかな~?と冷静に自己分析してみますと、
「自分は正しい、相手がおかしい」という私の一番のネックの思考回路が
ここでも自動的にそういう反応をさせてしまっています![]()
![]()
![]()
自分でも知らないうちに
5、6歳までの育った環境の中ですりこまれた
こういうものの見方・考え方しかできない人間の自我って
自己中心的で傍若無人な自我なんですよね![]()
![]()
ミカエル様が仰るところのまさに「肉のおもい」であることが殆どといえます。
ここまでしっかり潜在意識に根ざしてしまっている
私のこの思考回路を変えるには
親や子との縁を切るくらいの相当な覚悟がいる!
ということなのかもしれません。
そもそも、その自我って親から引き継がれきたものの見方・考え方です。
そういう自我って私の場合、先祖から脈々とひきつがれたきたものです。
そんな自我とは縁を切るべき![]()
アッ![]()
今、わかった気がします![]()
この聖書のお言葉は
そういう親から引き継いだ「自我をすてなさい」
その自我を捨てるには、
親子の縁を切るくらいの相当な覚悟がいる
その覚悟を持ってしてこの肉欲、自我を乗りきった先にこそ
今の自分より幸せな世界が始まる![]()
とおっしゃっているのではないでしょうか![]()
![]()
![]()
そういう風にこの聖書のお言葉を受け取ると
この聖書のお言葉は、私の心のなかに
スーっと入ってきます![]()
親との縁を切る、という部分は私の中では整理がつきました![]()
では、子どもとの縁を切る!覚悟ってどんなものなのでしょう???
それは次回にまわします。
最後までお付き合いくださりありがとうございました![]()
