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鬱になり自殺未遂騒動を起こした母は、その後もほとんど話すこともなく相変わらず部屋にこもって横になっている状況。

 

時々、部屋を覗きに行く私に、ある時は電気のコードを首に巻いていて、「殺して」と言ったこともありました。

 

こんな母親の姿を見せられた娘は、母をとにかくこの状況から抜けさせなくては、と言う思いに駆り立てられ、電話帳をみて精神科に何軒か電話をかけました。

 

ある先生が連れてきてみなさい、と言ってくださり受診。

 

しばらく点滴をうちに通い、夏休みが終わる頃には母はほとんど以前と変わらないほどまでに回復しました。

 

この夏休みの衝撃は、その後の私の人生の優先順位を大きく変えました。

 

自分の将来についてそれまでは自分のことしか考えていませんでした。

が、この夏休みの出来事で、「母が欝にならない、自殺しないためには」が私の優先順位一番になりました。

 

母の自殺が私の心に不安として宿ってしまったのです。

 

母親が鬱になることは、子どもにしてみればかなりのショックです。子どもという私がいるのに、どうしてそれが生きる力にならないんだろう?と私は思ってしまうのです。

そして力になれない自分に落ち込みます。責めます。

 

「どうして?」と思うこと自体はいいと思うのですが、その先が問題でした。

 

私は、生きる力になれない原因を自分以外のものにあると最初から決めつけて考えていました。これこそが人のせいにする生き方です。母や私の根本的原因でした。

 

そのことに30年近くたってやっと分かったのです。

 

母親から私にしっかり受けつがれた、人のせいにするものの考え方、見方です。

 

これはなかなか自分では気付けないことだと思います。というのは、母のお腹の中にいるときから、そういう考えからでてくる母の言葉をずっと聞いて育つのですから、それがあたりまえで、私の常識なのです。

 

だからといってはいけないのかもしれませんが、それ以外の発想なんて私にはできなかったのですあせる(友達や本などからそのことに気付かされ、変えていける賢い人もたくさんいらっしゃると思います)

 

そんな発想の親子の顛末に幸せはないのですえーんえーんえーん

 

この続きは次回に!

 

ラブラブ最後までお付き合いくださりありがとうございましたラブラブ