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人のせいにしている人は、自分が人のせいにする性格だということに気付けないことが非常に厄介です。
そのことをに気付けずに一生を終えてしまったのが私の母親です。正確に言うと、気付けるだけの思考能力がなかった、そういう思考回路のできる神経が未発達だったのです。これってある意味一種の発達障害ですよね![]()
それは私にも遺伝してしまいました![]()
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そんな母親の元で育った私もやっぱりその神経は未発達のまま。そして人のせいにする思考回路をつくり出す神経だけはどんどん発達し、スクスク育っていったのです。
そういう母や自分のおかしさに気付かないまま20代に突入した私に転機がやってきます。
母親の鬱です。
その頃の状況をザッと説明させて頂きますと![]()
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私は地元を離れた他県に住む大学2年生。両親は父親の転勤で実家とは別なところで生活。学校の寮にはいっている高2の弟、兄は他県で一人暮らし。という5人家族 実家は日頃は空き家状態。
大学2年生の夏休みは実家に帰省し、鬱の母親、高2の弟、時々帰ってくる父親という家族で過ごしました。
母は私が小さい頃から化粧品の訪問販売をしていました。帰ってくるのは夜7時過ぎで、それからご飯を作るので、家の夕食はいつも8時から9時ごろ。
私が小さい頃は、専業主婦のお母さんが多かったので、よる遅くまで働く頑張っているお母さん、というイメージが私の中にはありました。
父親は6人兄弟の長男で、いつも上の立場で下にものを言う育ち方をしていて、かなりの亭主関白。
家ではほとんど座ってテレビを見るか、本を読むかくらいで、子供と遊んであげる、家事を手伝うなんてことは一切ありません。
お正月やお盆に祖父母の家にいくと、父親の兄弟のそれぞれの家族も数家族集まります。その中で一番遅くまで家事をするのが長男の嫁である母でした。そこでもよる遅くまで頑張るお母さん、というイメージが私の中にはありました。
しかも、笑顔などなくほとんど喋らずどちらかというと空気を不穏にする父親とは対象的に、笑顔でお喋りして場を和ます母親に対するイメージはますます私の中ではいい人として刻まれていき、母親が人のせいにして生きている、というような批判的な見方は私の中には全く生まれませんでした。
私にとっては、どうして母が鬱になるのか?その頃は全く検討がつかず、今までの母親とは違う姿の鬱の母の姿に一緒に生活を始めてただただ同情心だけが募っていきました。
そんななか、お盆の時期になり、母親が一番頼りに慕っていた伯父の3回忌の法要にいくため、母と私は二人で船に乗りました。途中の港で父親と合流する予定になっていました。
船は夕方6時頃出港して、翌朝9時頃に目的地に付く予定になっていました。一晩船で過ごします。そのため、船では眠れるように一人用の布団と毛布が用意されていて、そのスペースが自分の席ということになっていました。私と母も布団を敷いて寝ていました。
しばらく寝入って目が覚めたら隣に寝ているはずの母がいません。何だか胸騒ぎがした私。おきると、メモ紙が置いてあるのに気付きました。
「迷惑をかけてごめんね」という内容の遺書のようなものでした。
この続きは次回に!
最後までお付き合いくださりありがとうございました![]()
