2006年に誕生した長女 いつからか不登校ぎみになった

本人のせいではない 家庭環境にある

当時の妻が水商売が多く ダブルワークする際も水商売を選んでしまう

しかし自分はそれも含めて自分の責任と考えている

借金があると結婚前に言われたことや家経費使い込みなども自分がカバー出来なかったから

そこまで責任被る必要はないと言ってくれる人もいる しかしそれまで背負っていかなければいけないのは昭和の考えだろうか


そんな事情で寝付けずに幼い娘は夜中に何度も目を覚まし母親が帰っていないか確認していた

紆余曲折あり簡単に言うと同居させていた元妻の両親と確執があり 自分の地元に対してアンチだった事、すでに故人になっていた自分の両親の仏壇がある日転がっていた事、表札を付け替えられゼンリンの地図も名前を変えられていた事、今では考えられないが地方の権力者 黒い関係があるらしく容易にできてしまうらしい 押しかけ同居して自分の自宅を占領されてしまい自分と娘はいつからか5LDKある自宅の1室にひっそり過ごすようになった

当時娘からはじめて聞かされたのは祖父母からの虐待だった

当時涙ながらに言葉にできず自分のfacebookを貸してくれと娘が言い拡散したいと書いた証拠が今でもある

ブログなので人に対して誹謗中傷にもなるので名前や住まいは一切明かさないようにしよう

しかし記録と語る上でこのネガティブな案件はトラウマだが書かなければいけない


虐待を知ってから2人で引きこもるようになった 昼働いて帰るまで心配で仕方なかった

元妻に訴えたがその中で育った彼女には響かず離婚に至った

娘に対して何歳だろうが平等にしたかった自分は元妻と娘 自分と娘 三人でと3回どちらに着いていくか話し合いをした

決して自分を擁護するわけではないが娘には お母さんの方がいいんじゃない?と促したが自分についてきてくれた

正直ほんとに嬉しかった

離婚届を出した日だった

元妻の両親は家を出て行かないと言いはじめ口論になった

市役所からひとり親の手続きするには同居人がいてはできないと言われたからだ

最初は我慢して頭を下げた

しかしさすがに自分も我慢できず ここは自分の家だと主張した

義理父はこわばった表情に豹変し今にも殴りかかろうとゆっくり歩いてきたが元妻とその母親、娘がそれを必死で止めた


自分はすぐ冷静になり警察に通報した

それぞれが別の部屋で事情聴取を受けた

娘の証言で警察は自分は悪くないと言ってくれた

そして「危なかったですね」と言われた


自分からは見えなかったが後ろ手に包丁を握っていたらしく それでみんな必死に止めたのだった


しかし今考えるとそんな危険な状況でも警察は義理父を連れて行かなかった

早く退去するよう勧告しただけだった

もし刺されていたらどうなのだろうか


祖父が目の前で自分の親を刺そうとするのを娘は見ている


しかしこの件も中には自分のせいだと言う人もいる

間違っているだろうか

毎日罵倒され知らない時間に娘が虐待されそれでも頭を下げて退去をお願いした

正直自分は納得していない


それは2017年 娘が小学校5年生になる直前の4月5日の出来事だ

離婚は娘の最後のお願いで5年生になってからだったが元妻は待てないと春休み中となってしまった あと数日だったのに