人間のある状態が『病気』あるいは『障害』なのかどうかを判断する時に、まず第一に重要な事は『本人が苦痛を感じているか否か』である。《普通と違う》というだけで病気や障害と決めつけて、治療の対象とする現代の精神科医に対して極めて遺憾である事をここにお伝えする。
 なぜなら、本人に苦痛がなく、むしろその個性に満足しているのであれば、基本的に治療する《障害》ではなく、一つの《個性》として考えなければならないのであり、その事を理解せずに報道を続けるメディアは差別を助長する脅威となっている事を自覚していない馬鹿者である。
 ‎然し、本人が現在の時点で苦痛を感じていないからといって、全てを放置してもよいというものではない。
 ‎もしそう考えた馬鹿がいるのなら、メディアよりも馬鹿者である。
 ‎障害の特性をそのままにしては、社会に適応して暮らしていく事は現実問題として難しい。親がいつまでも子供を保護することはできない。そういう観点では職を得て自立できる様にする為の《適切な介入》は必要である。
 ‎ただ、社会に適応できるかについては、その時代の社会情勢によっても異なり、一昔前の社会であれば、ある程度の障害があったとしても適応はできたかもしれない!
 ‎農作業や職人的な手作業など、黙々と自分の仕事をこなして他人とあまり関わらなくてもすむ職業が残っていれば、障害があっても自立して暮らしていく事はある程度は可能だからだ。
 ‎まぁ、法制上でいえば優生保護法などが無くなった分、今の方が過ごしやすいというのもあるが、各国ごとの民族性を理解した上での法整備をしなければ、いくら外国の法律を真似たところで、無意味な法律となっている。
 ‎例えば『障害者差別解消法』が良い例だ!
 ‎周知がなかなか進まず、法律が効力を発揮しているとはいえない。
 ‎その原因は政治家というよりは、報道を行うメディアにある。
 ‎北朝鮮からのミサイルが発射されようが、報道の内容はモリカケ問題や相撲界の暴行事件。
 ‎視聴率稼ぎにしか思えないメディアの報道は国民を馬鹿にして政治家を馬鹿にする。
 ‎『人の命』よりも『お金』を大切にするメディアは、《真実を報道する》という名目のお金稼ぎ。
 ‎児童虐待の報道はなかなかされず、いまこの時も1人また1人と小さな命が消えていく。
 ‎メディアが報じてくれなければこの《小さな命》すらも救えないのである。少子高齢化社会をどうにかする為にも、きちんと報道もして欲しい。