遺伝子Y染色体(父方のルーツ)

をさらに調べたら、

大分類が(C)でその細別が(c1a1)でさらに(c1a1a1)

と出ましたかなり濃い日本人らしいです。原人中の原人なのですかね。どうやってわかるのか、何からわかるのかわからないので、戯言だと思われてもかまわない。誇りに思うが、別に羨やられるわけでもないし、何かもらえるわけでもないし、命を狙われる時代でもない。日本人の男性のDNA-Y染色体ハプログループは主にОが半分以上 Dが30%から40%、私のCはわずか5、6%と少ないがもっとも古く日本にいて外国にはほとんどいない。古代にアフリカから日本に来て、途中唯一別れたと思われる系列がほんの僅かアルジェリアと太平洋沿岸のポリネシア人、アボリジニも近い系統らしい。CにもC1とC2があってC2はモンゴル系らしい。C1、日本のC1と言われるC1a1は驚くほど少数が日本しかいない。最近さらに小分類が解析出来て私はC1a1a1とでた。

 それもその中でも少ないという人もいる。検査方法は唾液を

サンプルに入れて民間機関に送るだけ。

  3度別の機関で検査したがY染色体はいずれもCで母方のミトコンドリアはいずれもB4と信頼はできると思う

 凡人中の凡人の私だがどうやらこの国の先住人で理由は解らないが渡来人が増える中、しのぎを削りながら生き延びてきた血筋

のように思える。同じc1a1の私が信頼する歴史に詳しい方の考察代々の口伝ではご先祖は出雲族で関東や東北へ追われた安部氏のDNAで朝廷に滅ぼされた挙句残党は四国に流刑となり、散り散りになったという話はとてもピッタリとする。

  一つ面白い話は、広島おいて私の妻や近くの友人などは「納豆」をとても嫌う。だがわたしは好きですんなり食べる。「関東の人か?」と聞かれたこともある。二人の息子の幼少期日に離乳食が終わるころ与えるとすんなり食べていた。

 今から思えばそれが血筋なのだろう。

 家先祖の事は親や親戚から変わった話は全く聞いたこともない

伯方の塩の町に多くいる親戚。差別を受けたことも聞いたことが無い。語ることもタブーなことがあったのだろうか?伊予の伯方島といえば「能島村上水軍」のホームタウンであった。この島に阿部(明治以前の墓は安部)姓はとても多い。この島古くからのひとは、歴史に詳しい人曰くほぼ海賊だそうだ。安部の家紋は代々

(鷹の羽)の家紋が多いがうちの家紋は明治以降だが、(丸に橘)で村上家と同じだ。代々の横に並んだ墓の後ろに見守るように村上某家の墓がある。特に何かつに枯れがあったか、親戚なのかもしれない。数年前の私や二人の息子にも全く興味も関心もない話であるが。親戚の男たち特徴と言えばみな背が高く器用ではないけど真面目でその辺は普通の日本人。無口な方で短所では少し血の気が多いというかもめると逃げるより反撃する方に属する。