朝起きて、、、スマホ見ると!
「母の余命はあと、1ヶ月」を本人に伝えられず後悔?
の様な記事を読んだ。
余命を本人に伝えるって事は、、、難題だ。
本人は望みを持って病気と向かいあってるだろうが、、、その望みを断つ行為とも言えるし。
オッサンの周りのジジイはどうなんだ?
と見るに。
大半の?ジジイが「今がまだまだ続く」と
思っている人が多数に感じる
75 歳迄の住宅ローン、高額なマイカーローン、コンビニでの爆買。
若い頃は未来の自分に甘えても良いが
40歳、50歳を過ぎて未来の自分に甘えるジジイとかが、病床生活になった時に?
余命を宣告!したら
絶対に落ち込むと思われる。
だって未来の自分を信じて病気と向きあってる人に「もう死ぬんだから、人生論やトルストイを読んだ方が良いよ」と言えるハズもないだろうし。
だから余命宣告しなくでも後悔する必要は無いだろうね
そもそも?考え深い人は自分が在る程度の年齢に達したら死を意識して自分の人生を自分で俯瞰的に考察するから。
で?凡人には人生の意味はゼロ!って現実に気付くし。
今読んでる本に
ガリレオ?ニュートン?が幼少で死んだ場合は、、、云々、、。
と書かれてあった。
義理父が癌になったらしい。
肺癌?だか?
で、必死に禁煙してるらしい。
オッサンはタバコは中学生から常用者だったがかなり前に辞めた。
健康のためとかではなく金銭的に余裕が無いから。
もしオッサンが義理父の年齢まで喫煙を続けて、その年齢で肺癌になってもオッサンなら禁煙はしないね〜
だって煙草ってめちゃくちゃ美味しいし。
食事の後の一服とかはめちゃくちゃ美味しいの判ってるから。
往生際は一大イベントなのも判ってるから。
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