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いつもありがとうございます
ずっと書けなかった母のこと、一気に進めたいと思っています。
2014.6.21
主治医より声をかけられ、すごく話しにくそうに
「お母さんの親しいお友だちとか、ご親戚とか、会わせてあげたいなという方がいらっしゃったら、そろそろ」
あとはゴニョゴニョですね
正直言うと、私は誰にも母に会ってもらいたいと思いませんでした。
私の母は人付き合いは悪くないのですが、腹を割って人と話すことはないタイプで、
友だち同士で夫や子どもの愚痴すらこぼさない人でした。
良く言うと孤高の人
だから人に自分の弱さを見せられない、強がりというのかな・・
私が二十歳の時に胃がんの手術をして、2/3摘出したことも、身内を除いて誰にも話したことないと言ってましたし。
そういう母の性格をわかっていたので、友だちに連絡なんてしたくなかったんです。
チューブがいっぱいつながっていて、意識もなく寝ている母を見せたくなかった
でも、親族は仕方ない・・
おじ・おばと従姉妹たちに連絡して、会ってもらうことにしました。
主治医の話を伝えるとみんな言葉をなくして、
「sybilla母さんが一番長生きするって、みんな思ってた!」
とか言われて・・泣き笑いです。
みんな一生懸命に母の手足をさすってくれました。小さな子どもたちまで。
いつもお読みいただきありがとうございます
続けて書き上げようと思っています。
病院で働く人たち、
医師、看護師、理学療法士、作業療法士、レントゲン技師
など、多くの職種があると思いますが、
病室のお部屋のお掃除や、寝たきりの患者さんのオムツを交換したり、体位交換とかしてくださる方たち、
実はこの方々が、私には一番身近な存在でした。
母がもう、まったく開眼しなくなった時でも、
オムツ交換や身体の清拭のときなどに、うっすらと目を開けるときがありまして、
そんなときはすかさず、
「sybillaさん!お母さん目を開けたわよ!早く早く!」
と、私が母の視界に入るよう、場所を譲ってくださったり、
「sybilla母さん〜♪ 今日もいい天気よ!こんなとこいたくないよね〜散歩に行きたいよね〜」
とか、返事のない母にも明るく大きな声で話しかけてくださるんですね。
人工呼吸器が装着されてから亡くなる日まで、
結局一度も目を開けず、話をすることもなかったけれども、
私の一方的な話しかけと、お世話をしてくださる方々の声かけは、きっと母に聞こえていたと思います。
あの時の明るい陽気なみなさんの声、
ずーっと耳に残っています。
今さらですが、とってもありがたかった
ありがとうございます