いつの間にか書けなくなってしまった母のこと。
途中で終わったら、
「また〜sybillaは根気なさすぎ
」
と言われそうなので、ぼちぼち続きを書こうかと思い始めました。
今年はもう七回忌だったんです
びっくりですが、6年も経ったんですね。
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2014.5.10
医師との面談で、回復の見込みがないことを知らされたにもかかわらず、
私は一日おきに母の面会に行ってました。
この頃、遷延性意識障害という言葉も知り、
目を覚さなくても生きてくれる!
と、よりいっそう献身的に、手足のストレッチや首や肩のマッサージなど続けていました。
もちろん、ひたすら返事のない会話を続けながら。
5月10日のお昼、父から電話があり、母の容態が急変し人工呼吸器を装着したと病院から連絡があったと聞き、
就業後猛ダッシュで病院へ
なんと主治医が私を待っていてくれました・・
(家族の中で一番うるさいから?)
「sybilla母さんは、胃ろうができなかったため、経管栄養だけでは十分な栄養が摂れなかったんです。
少し前から血糖値も高くなり、アルブミンも減少していて、今朝は輸血をしました。
今は少し回復しています。」
「ですが、今後はこの繰り返しになると思います」
「人工呼吸器を装着しないと、肺の中が水浸しのような状況になるので、急きょ装着しました。」
「人工呼吸器はやはり苦しいので、お薬で眠ったような状況にさせてもらっています」
父にもすでに説明されたであろうことを、
私にもひとつひとつ丁寧に説明してくださいました
そして、一番聞きたくなかった、
「この状態になると、あと2週間・・ゴニョゴニョ・・」
もうこの時思うことはただひとつ
母は苦しくないのか
ということだけでした。
苦しくないように眠ってもらっている、という先生の言葉に安心はしましたが、主治医に
「先生、母は今、どこにいるんですか?」
と聞いたんですね。
眠ってる?気を失ってる?
眠ってるのなら、揺すったら目を覚ますよね?
見た目は眠っているけど、意識はどこにあるの?
そういうニュアンスで聞いたと思います。
主治医は無言でした。
私もそれ以上何も聞かず、主治医と2人でけっこうな時間、人工呼吸器に胸をふくらまされる母のことを見つめていました。