1996年、北野武監督の青春映画。
北野監督としては6作目となる。
この映画、最高だった。
セリフ、カット、音楽…どれを取っても良いのだ。
こういう映画は珍しい。ボクの琴線に見事に触れてくれた。
落ちこぼれの高校生のマサル(金子賢)とシンジは、受験ムードになっても悪戯やカツアゲなどをして勝手気ままに過ごしていた。
ある日、カツアゲの仕返しに連れて来られたボクサーに一発で悶絶したマサルは、自分もボクシングを始め舎弟のシンジを誘うが、皮肉にもボクサーとしての才能があったのはシンジであった。
ボクシングの才能がないと悟ったマサルはボクシングをやめ、以前にラーメン屋で出会ったヤクザの組長のもとで極道の世界に入り、2人は別々の道を歩むことになる。高校を卒業しプロボクサーとなったシンジは快進撃を続け、マサルは極道の世界で成り上がっていく。
時を経て、それぞれの世界で挫折を味わった2人は再会する。かつてのように自転車で2人乗りをする中、ふとシンジはマサルに「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかな?」と問いかけると、マサルは「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」と答えるのだった…
馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねぇよ。
このセリフがハートに刺さり、以降「終わりだな、こいつ」と思われても、このセリフを糧に生きてきた。
まさに、心の友だった。
1994年、北野監督はバイク事故で死に直面した。
しかし、ブランクを経て撮影した復帰作となった。事故が作品の世界観に大きな影響を与えていると思われる。
音楽を担当した久石譲である。
彼は当時、映画音楽の仕事を休止していたが、本作が2年ぶりの映画復帰作となった。
久石は若者が主人公の映画なので、音楽は元気なものである必要性を感じ、ユーロビートなどをベースにしたリズミックな音楽を手がけた。ラストシーンの音楽についてたけしは「あのエンドロールのために映画があったなあ」と喜んだという。
本作では生楽器をあまり使用せず、シンセサイザーが多用されている。パーカッションはサンプリングがメインだが、1パートは必ず生音を入れている。これについて久石は、生の持っている人間臭さとリズム・ループのメカニカルな部分の両方が好きと述べているのだ。
作品の評価だが、シンプルなストーリーとしっかりした画面構成が淀川長治に絶賛されたほか、それまで北野の才能を評価しながらも一貫して辛口評価を続けてきた田山力哉が賞賛。北野は驚いて「本当に?」と何回も聞き返してしまったという。
とにかく、いい映画である。
続編も生まれているが、やはり「1」である。
青春に悩み・苦しんでいるあなた、是非観るべき映画である。