主演、グレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーン。

監督・制作は、ウィリアム・ワイラー。

 

名画である。

始めてみたのが、大毎地下劇場だった。この名前からしてかなり昔の話だが、1953年作品となっている。

 

ヨーロッパきっての伝統を持つ某国の王位継承者であるアン王女。ヨーロッパ各国を親善歴訪問中であった。最後の滞在国であるイタリアのローマで、過密なスケジュールと疲労感・自由の無い生活への不満により、ついに王女はヒステリーを起こしてしまう。

 

その夜、密かに城を抜けだした王女は、直前に打たれていた精神薬のせいで、無防備にも路傍のベンチでうとうとし始める。そこに通りかかったのが、アメリカ人新聞記者のジョーだった。見かねて介抱するうち、いつの間にか王女はジョーのアパートまでついて来てしまう。

 

眠くて仕方のない王女は、ついに寝てしまう。

翌日の昼になって王女の素性に気づいたジョーは、王女の秘密のローマ体験という大スクープをものにしようと、職業を偽り、友人のカメラマンであるアーヴィングの助けを得て、どうにか王女を連れ歩くことに成功する。

 

王女は、市場での散策を楽しむ。まずサンダルを買い、美容院で髪の毛を短くし、スペイン広場でジェラートを食べたりする。

 

その後ジョーとベスパに2人乗りしてローマ市内を廻り、真実の口に手を入れ、サンタンジェロ城の川辺でのダンスパーティーに参加する。

 

その様子をアーヴィングが次々とスクープ写真を撮っていくうち、ローマで、自由を満喫するアン王女と新聞記者のジョーの気持ちは、次第に近づいていく。

 

しかし、お互いに本当の想いを口に出せないまま、アン王女は祖国と王室への義務を果たすために宮殿へ戻る。一方、ジョーはせっかくの大スクープのチャンスを捨ててでも、王女との思い出を記事にしないと決心する。

 

翌日の記者会見の場でジョーは記者として謁見する。「一番印象に残った訪問地はどこですか」という質問に王女は「ローマです」と答え、ジョーは王女にアーヴィングが撮影した写真をローマの土産として手渡す…。

 

アカデミー賞で、主演女優賞・衣装デザイン賞・原案賞を受賞。オードリー・ヘプバーンは、本作で名声を手にしたと言っていい。

 

当初、エリザベス・テイラーとケーリー・グラントに主演の話が行ったらしいが、あまりにも高額のため断念。

しかし、この映画はヘプバーンのための映画でもある。断念して正解である。

 

時として、歴史には、こういうふうに「逸話」が残る。しかし、これは史実としては残っているものの、歴史としてはこれで正解という場合がほとんどである。

 

映画としても、逸話が残っている。

観光地でもあるローマでの撮影、騒音対策、交通整理、パパラッチ問題などなど悪夢の連続、完璧主義者のワイラー監督にとっては許せなかったのだろう、撮影監督がフランツ・プラナー(病気での降板!)からアンリ・アルカンに交代した。

 

さらに有名なベスパで2人乗りのシーンでは、僅か3分くらいの尺なのに6日間も撮影に要したそうである。

 

当時はマッカーシズムという赤狩りが行われていた。映画界でも「ハリウッド・テン」と呼ばれる人物が追放されるなど、この映画もその悲劇の主人公となった。脚本家の名前を変えさせられるなど、本当に悲惨であったようである。

 

そんな悲劇を微塵も感じさせない、ヘップバーンとグレゴリー・ペックの眩しいくらいの輝き。

 

本当に素敵である。