母が亡くなった時、
県外から帰っていた姪に
「おばあちゃんの昔の話しを知らない」から
と、どんな生き方だったのか
聞かれました。

私が聞いていた範囲で
姪におしえたら、

「そんな苦労ばかり…。知らなかった。
何もいい事がなかった。」
と言って 余計に泣き出しました。

言った事がなかったから
仕方ない。
と言いました。
それに、甥や姪と会う時は、
可愛い孫との楽しい時間なのに、
わざわざ昔の苦労話しを
する事はない。
という考えでした。

私の教えられていた
母の生き方は、
人間として 扱われた事が
ありません。

継母がとても気の強い人で、
物心ついた時から、
山仕事や農家の仕事ばかり。

継母は、都会の生活が長く、
そんな事はした事がないので、
大人と同じ仕事をさせられた。
機械代わりだった。

といつも言っていました。

朝は、大人達が起きる前に
ご飯の支度をして
みんなが食べ終わるまでに
仕事の準備、

ご飯が終われば
仕事に出る前に
後片付け。

全て終わらせて
子供が先に仕事へ行く。

めが回るような毎日だったと
思います。

それだけでなく
嫁いでからの苦労、
嫁いびり、事細かに
私は聞いていました。

しかし、この時初めて知ったのは、

ほとんど兄は聞かされていなかった
事。

そんな事があったのか。
知らなかった。

というばかり。

母の生い立ちを聞いて、
楽しい事、嬉しかった事は
何一つない。
聞いているだけで
気持ちが落ち込む。

と言っていました。

私は子供の頃から何度も
聞いていたし
母のそばで いろんなみていたのだと
思いました。

これを私が知らなければ、
誰も知らないままだった。

母を供養する時、
もっと深いところで
母を理解して欲しい。

何だか、私が 母の語り部の
ようでした。

その後も、こんな話しも聞いている。
と兄に教えると

そんなことだったのか。

と、深くため息をつきました。

もしかしたら
知っていれば、兄の
母との関わり方は
違っていたのだろうか。

そんな事
考えても仕方ないので
今は、ずっと 母を思っています。