母の認知症は、かなり進んでいたので

家の中も、靴を履いて歩いてました。


だから、母の部屋と
トイレ以外の部屋へは
入れないように していました。

私が仕事から帰って
晩ご飯の用意をしている時も、

トイレに行く時、
ゴトゴトと音がしていました。

また靴で歩いてる。

そう思いながら 母の食事を準備して

トイレが終わるのを待ち、
手をきれいにさせてから
部屋へ連れて行きます。

そして晩ご飯を食べさせてから

廊下の掃除です。

夜中も、毎晩2時から3時

靴を履いても 履かなくても、

トイレに通ってました。


昔の家は、トイレが外にあったので
そのつもりだったと思います。

真夜中も廊下とトイレを掃除して


母の寝ているところへ行くと

ちゃっかり 靴と
添い寝していました。

靴は 玄関に置いておきましたが、

毎朝、4時になると


靴があってもなくても

大声で
トイレがどこかわからない
という大騒ぎが

始まるのでした。


ニワトリかい🐓。


今思うと、ほぼ10年間
家では 毎晩 一人で夜勤をして

睡眠時間が トータル
多くても2時間。

それも連続して2時間寝れないので

いつも 私一人だけ
体調が悪かったです。

かかりつけの先生にも、
とても要介護2や3の
レベルではなかった。

明らかに介護認定が 悪過ぎる
と言われました。

先生の意見書としては、
介護度は、かなり重症の見解が
出ていたはずですが

ケアマネが、介護度を
上げたくなかったのは
見え見えでした。

変更申請もしたくない様子だったし。

仕事しろよ。という感覚です。

おかげで長い間

苦労させられました。


ボケた年寄りを責める事は
できないけど

頭でわかっていても

人間である以上

感情があり、我慢も、できる事も

限界があります。

先生から、
誰にもできない事を
長い間、たった一人で
やってきたから

背負い込んでしまうようになったのは
わかるけど
何でも 一人で
抱えこんではいけないよ。

と言われた時は
泣きそうでした。

気持ちに余裕ができて
初めて 思いやる事ができます。

逆に考えれば、
母の場合
認知症の問題行動を

派手にやらない、
よくいえば お行儀のよい
パターンだったわけです。

でも、助けてほしかった。