母は最近、しんどいと よく言うように
なりました。
年も年なので当然です。
かかりつけ医に行くのも
車椅子が必要です。

その割には、自分の気分次第では
よく歩きます。
認知症であろうと無かろうと、年寄りは
みな同じです。誰でも、気分がのらないと
作業も進まないので、同じ事です。

生まれた家に帰りたいと言うようになり、
空き家になって10年以上経っているので、
屋根や壁が落ちて、とても家として
見る事はできません。
それを教えると驚いていました。
空き家になった事も、母親代わりだった
おばが亡くなっている事さえ
覚えていませんでした。
おじも、おばも、みんな亡くなっているし
家もない事を教えると 驚いて
「そうか、一人になったか.....。」と
泣くように言いました。
葬儀にも出て、特に一番上のおじの時は
私と母で葬儀の手配までしたのに
それも全く覚えていません。

見事に 経験そのものが
記憶からバッサリと無くなっています。

おばが亡くなった時の
ショックの大きさから言えば
覚えていなくてよかったかもしれません。

毎日、その一瞬だけが
今の母の 人生、経験の全てです。

ボケると

やる事全て 汚いです。

清潔 という単語には 縁がありません。

いくら掃除しても、消毒しても
その倍以上汚します。
毎日が、汚染と悪臭と騒音との闘いです。

処方箋をもらいに
かかりつけ医に行った時、
処方箋をもらうだけなのに
診察室へ呼ばれて、
最近の様子を聞かれました。

端的に伝えると、先生は頷きながら

「よく頑張っているけど、大勢の人で
みるのと、一人でみるのとでは
大きく違うから。頑張り過ぎないように。
我慢は絶対続かないからね。」と
言われました。
施設入所の費用を払うだけの

経済力がないのは わかってもらえて

いるので、いつも 私の気持ちが
軽くなるような声をかけてくださいます。

2年前、母の食欲がなくなり、
遠回しに ターミナルを言い渡された時

自分を責めないで。よく世話できてるし、

誰にもできない事をやってるんだから。

と言われました。
認知症は、本人が一番辛いですが、
世話をする人も、これは家族だけでなく
施設の職員も、直接関わる人は

誰もが、本人と同じくらい辛いし、大変です。


世話する立場では、体力も
症状に対する理解も ストレスも
他人からの無責任な言葉にも

全てに対応できなければなりません。

そのストレスは、経験した者でなければ
わからないし
表現できる単語を 
私は持ち合わせていません。

認知症は、関わる人さえ
病気にするのは確かなようです。