ニュースで聞いた仙台育英の須江監督の言葉

青春って、すごく密なので....。

というくだり 

全国の高校生に拍手を という言葉

本人の言葉で聞いた時、じ〜んときました。

やはり報道ではダメです。本人の言葉でなければ。


そして、テレビで

耳をすませば を 観る事が出来ました。

自分の高校生の頃を思い出しながら。


放課後、友達と一緒に図書室へ行ってみると

鍵がかかっていて、まだ先生が来ていない。

職員室まで鍵をもらいに行くか、でも

めんどくさい。


友達が「いい事がある。」と 

おもむろに、自分の頭からヘアピンを取り

これで開けようという事になり

二人で鍵を開けようとしていました。


しばらくして、気配を感じて二人が同時に振り向くと

先生が笑いながら立っていました。


二人が、あっ と言って ヘアピンを隠すと

先生が「面白いじゃないか、やってみなさいよ。」

と、これまた笑いながら 言いました。

結局開けてもらいましたが。


でも、1番忘れられないのは

一年先輩の事です。よくある話しです。


男子が苦手で、ほとんど話した事がなかった私。

文化祭の準備の時、生徒会執行部からの嘱託

というかたちで文化祭の実行委員になり

毎日放課後は、執行部室へ行くようになりました。


私の班の責任者は、生徒会の先輩で、

女子からとても人気のある人でした。

男子に興味がなくて、その先輩に

冷たそうな人、という印象を持っていた私は

苦手でした。


しかし、毎日夜まで一緒に準備をしていたある日、

時間が遅くなり、駅まで行く生徒は

先生が車で送ってくれるという事で、

執行部室から一番遠い教室にいた私が

外へ出た時は、送ってもらう子達は

車に乗っていました。

そして最後に、先輩も乗るように 先生が

促していた時、

「待って先生。乗せてやって。」

と、私を先生の車に乗せようとしました。

先生は、当然というように 私に乗るように

言いました。

結局 私が先輩の代わりに車に乗り

送ってもらいました。

先に駅に着いた私達。私は先輩を待ちました。

そして、お礼を言い、先輩は笑っていました。


文化祭が迫ったある日には、準備も進んで

外は真っ暗になり、気がつくと 教室に

先輩と二人きりになりました。


いつも、先輩は椅子に座る時

私に 隣に座るように言ってくれていたので

なんの抵抗もなく 自然と並んで座っていました。

CDがちゃんとかけられるか、テストしていたので

ちょうど音楽もあり、気まずくもなかったです。


文化祭の実行委員を選んだ基準を教えてくれたり。

(その頃、クラス全員の写真があったので

その中から選んだそうです。)


やがて進路の話しに。

先輩は、大人達の自分に対する決めつけが

嫌だと話してくれました。自立したかったので

高校を中退するつもりだった。

家でも話しをして、学校でお父さんと先生と

3人で話し、結論は、卒業はするという事になったと

話してくれました。


そして私が忘れられないのは、

先輩が、「親父が男として理想だ。」

と言った事です。

自分が人生で最初に会う男の人であり、

尊敬していると。

その時、すごいなと思いました。


高校生といえば、親の事を尊敬するだなんて

ほとんどの人が言わない年頃 という認識が

ありました。

それが、堂々と言う人を初めて見ました。


2人きりの時間は 心地よかったです。

「誰にも言った事がない」事を

お互い話して 笑って

ちょっと ドキドキしていました。


先輩は どう思っていたか、わかりません。


私は先輩の影響を受けたと思います。


自立したい という気持ちを

意識するようになったのです。


冷たそうで 苦手だった先輩が、

実は 自分が言ってほしいと思っていた言葉を

どんどん投げかけてくれる人だとわかった時、

一番近いところにいてもらえるのは

とても安心する事なのだと気づきました。


そして 文化祭が終わると

毎日会っていた先輩と

会う理由がなくなり、遠くから見つめていました。

もちろん、好きです。なんて

とても言えません。

友達にはバレバレだったそうですが。


昔の事だけど、これも青春だったんだなぁ。

と 思います。

その時は そんな事思わないのに。


あの時の思いは、今も大切に持っています、

墓場まで持って行きます。